悪魔が来たりて。

 しかし思うんですよね。

 「むかつきますね」と言った魔裟斗さんも、おそらく……きっと一度や二度ではないだろう……ブアカーオやサワーを手段を選ばずに叩き潰す事を……夢想したことがあったのではないか? 幾度も自分を阻み続けた二人の男、自分より先に二度の王者になった男たちを……憎んだことがあったのではないか?

 3連覇の青写真が夢想と消え去ったあとも……あるいは夜の悪夢の中ででも……サワーに肘を食らわせ、ブアカーオの金的を蹴り上げる事を……一度も想像しなかったと……彼は言えるだろうか?

 おそらく彼は否定するだろう。なぜならば、彼はそれら悪魔の誘惑を乗り越え、人間として再び王座をつかみ取ったのだから。

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 あらゆる敵を射抜く超高速の右ストレートが暴君の顔面を打ち抜く。老いてなお健在であり、最強王者さえも退けて勝ち上がってきたかつての怪童は、先代の悪童に不覚を取った時と同様に速度と切れについていけず、いいように顔面を打たれ続ける。それでも止めを入れさせずに踏みとどまったのは、経験か、意地の為せる業か。

 だが、悪童は頓着せずに襲いかかる。稲妻をも切り裂く上段回し蹴り、かつてスタイルを変える前に得意とした飛び膝……なす術無く棒立ちになったかつての王を、レフェリーが抱き止める。

 極真の誇りを打ち砕き、新たな怪物が悪童の前に立ちはだかる。正統派のテクニックと、暴虐なまでの破壊力を併せ持ち、凄まじい一撃で勝ち上がってきた怪物の渾身の右が、わずかな集中力の隙を見逃さず悪童の顔面を捉える。

「打たれもろい」「精神的に弱いのでは?」

 そんなことを言われてきたはずの悪童は、しかし常にない回復力を見せ立ち上がる。止めを刺さんと振り回されるフックをやりすごし、彼自身の幾多の窮地を救ってきた渾身のボディブローを振るう。合間に繰り出され、確実にプレッシャーを与え続けるハイキック、そしてボディブローをフォローするミドル。

 全階級最速と称されたジャブが火を噴き、立て続けに突進を止めて見せる。速い。瞬きする間に、すでに拳は元の位置に戻っている。そして再び唸りをあげる渾身の右。二人の極真戦士を葬ってきた怪物が、ついにその矢で射抜かれ沈んだ。

 しかし、かつてなく巨大な破壊の翼を広げ、怪鳥が悪童の前に立ちはだかる。まるで当然のことのように古豪と新鋭をまとめて右の蹴りで叩き落としてきた怪鳥は、かつてと同じく悠然と悪童の挑戦を受け流し、その翼の与えるプレッシャーだけで悪童を下がらせ、ついに左の爪の一打ちでマットに這わせた。

 面にこそ出さなかったものの、かつて以上の執念で王座を欲してきたであろう男。その執念の前に、ここまでで全てを出し尽くして戦い抜いてきた悪童もついに屈するかに見えた。蓄積した疲労とダメージ、リードを奪われたポイント。掴みかけた栄光の頂点が、神を僭称する紳士ぶったいけすかない男、最も憎んでやまない男によって奪いさられようとしている。

 悪童は立ち上がる。自らの全てを解き放って。力も速さも技術も、もはや通用しない。かつて異国のストリートを席巻した暴虐なまでの力、封印していた力が再び彼の中に満ち溢れる。

 何かが囁く。勝ちたいか? ならおまえの魂を寄越せ。おまえに力をくれてやる。あの偽物王者など、一瞬でひねり潰せる、無敵の力だ。そうだ、おまえこそは悪魔王子、新時代を築く男だ! 

 ソウダ、オレハムテキダ……! ダレニモトメラレナイ……! 

 だが、それこそが最も頼ってはならない力、人が人であるためには行使することを許されない力だった。王座、栄光、富、勝利、人間であった悪童が求めたはずのもの、全てをかなぐりすて、悪魔は笑う。地獄の炎をまとった悪魔王子に、竜巻でもって立ち向かった怪鳥が、姿勢を崩し大地に薙ぎ落とされる。わずか一瞬、手を止めたのは、彼に残された最後の理性の、名残のようなものだったのだろう。だが、悪魔はその狂気のままに、審判の鉄槌を振り落とした。

 ハハハハハ、どうしたのだね、私のバダ・ハリ? 何をそんな呆然としたような顔をしているんだ? これこそがお前の望んだもの、お前の望んだ勝利ではないかね?

 私の力を受け入れ、あの嫌みな男を叩き潰したのだ。嬉しいだろう? 楽しいだろう?

 ほら聞くがいい、セコンドが立つなと囁いているぞ……? ククククク、つまらない演技をしているものだな。あれはそんな程度の男、偽物のチャンピオンだ……。

 リングの下を見てみろ。おまえの女が泣いているぞ。あの女の涙は、どんな味がするんだろうなあ?

 フフフフ、聴こえるだろう? 観客どもの溜め息、格オタどもの落胆……これこそが私への最大の供物、私の美酒だ。
 ああそれを与えてくれるおまえは、本当にいい子だ、私のバダ・ハリ、私の王子よ……!

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