”全てを超えて高みへ行け”『ブラック・スワン』


 ナタリー・ポートマンアカデミー賞主演女優賞受賞作品!


 バレエ団のプリマドンナ・ベスの引退により、次シーズンの「白鳥の湖」から、新たなプリマが選ばれることとなった。だが、先進的なコーチは清純な「白鳥」と妖艶な「黒鳥」を両方踊れる者が必要だと言う。バレリーナだった母に言われるままに自分を抑制し、才能を磨いてきたニナは、自分が「白鳥」しか演じられないと感じつつも、主役の座を射止めたいと願うのだが……。


 新解釈の「白鳥の湖」を踊るプリマの物語。突き詰めて行けば、これは「表現者」としての覚悟を問う物語であり、バレエに限らず「表現」するということの過酷さと難しさを描いた作品であると言えよう。


 主人公以外の登場人物は、一見ある種の「障害」であるかのように描かれる。元バレリーナの母親は神経過敏で過保護だし、ヴァンサン・カッセル演じるコーチは序盤は実力を認めてくれずセクハラ体質、ミラ・クニスの演じるライバルは「黒鳥」そのものといったムードを持ちあっさりと代役の地位を得る。だが、それらとの戦いを乗り越えることが、バレリーナとしての表現を高めることになるのだろうか?


 それらは全て、自分以外の他者ではあるのだが、実は主人公自身が抱くコンプレックスや悩みの写し身である。作中で印象づけられる母親の偏執、コーチのセクハラ、ライバルの意地悪は、まさに主人公の実感としてそう感じられるよう、巧みに描写されている。瞬きもせず、クローズアップで、じっとこちらを見つめるショットの数々が印象深い。苛立ち、値踏み、嘲笑……つい、それらを読み取ってしまう。
 が、実はそれら他者がさしたる悪意もないことも、やがて明らかになる。プリマとなった主人公を横綱とするなら母親はたかが関脇で、所詮は口を出せるレベルも知れている。コーチはセックスよりもバレエ馬鹿で、本気で迫ったり役を奪ったりするかというとそうではなく、順序をわきまえている男だ。そしてライバルは顔に似合わずさわやかな性格で……。彼ら一人一人は、今作においては何らテーマになり得ていないし、本当の敵ではない。
 表現のいきつくところ、母も演出家もライバルも、全ては「肥やし」であり「踏み台」に過ぎない。娘を束縛する母親も、セクハラ爆発の演出家も、影のように役を狙う共演者も、凡百の映画ならばそれだけで一本取れる題材、敵役になれる存在だ。「親からの自立」「エッチしなきゃ。女になって表現力を身につけて(byラサール石井)」「宿敵との切磋琢磨」……しかし、これら一つ一つでは、今作で目指される表現の境地への障害に、実は到底なりえない。だからこそこれらは全て波状攻撃のごとく襲いかかり、主人公を蝕んでいき……やがては消化され蹴散らされていく。


 演出家や共演者、サポートする人はいても、どこかの時点で表現者は孤独となり、己と、己自身の絞り出すものと向き合わざるを得なくなる。自分の弱さ、空疎さと対峙し、幻滅し失望しながらも、持てる全てを吐き出さねばならない。
 本当に主人公が超えるべきは、そうした他者との関わりではなく、その姿を取って現れる自分自身……ダーレン・アロノフスキー監督が今回意識的に多用した演出技法そのものとも言える、鏡の中の自分だ。
 鏡の向こうの自分は、上記のコーチや母、ライバルよりもずっと雄弁で直截的だ。肉体を傷つけ、「こちら」の自分の変容を誘う。だが、それももちろん主人公自身の望みだ。鏡の向こうの「黒鳥」を己のものとし、一体となる。向こうの自分がこちらに来るか、あるいは自分があちらに行くのか? クライマックスでは、割れた鏡の存在が示唆的だ。「境界」である鏡が砕けた時、ついに合一はなされる。


 スポーツ、舞踊、映画、音楽……トップアスリートや表現者はとてつもないストレスにさらされ、自分自身と周囲の世界さえも歪めて行く。だがしかし……それを乗り越えて初めて、凡人には永遠に辿り着けない世界が見えて来る。
 舞台が動き出せば、作品と表現者は、演出家の手さえ離れ、より高次の領域へと飛翔して行く。作中で「完璧」と称される境地はあまりに高く、そこはほんの一握りの人間のみがとてつもない努力と奇跡的な運の積み重ねでもってようやく辿り着ける、至高の領域なのだ。障害を乗り越え、己のものとし、全てを超え、「白鳥」にして「黒鳥」は羽ばたく。


 その瞬間を、我ら凡人にも、ナタリー・ポートマン=ニナを通して垣間見せる、まさに奇跡的な映画。
 奇跡というと少し偶然を思わせるニュアンスが強いかもしれない。もちろんアロノフスキー監督や役者陣の頑張りあってこその作品であり、計算されて生み出された精緻な芸術品であることはもちろんなのだが、マチルダ役で映画の世界に入ったナタリーが今までキャリアを積み演技を磨きトップスターとなってきた、その経緯に思いを馳せたい。
 あるいは彼女も今作のニナのように役作りや演技に苦しみ、時に潰れてしまいそうになったり役を降りたくなったり、恋人との生活を選んでみたくなったり……そんなことがあったかもしれない。だけど、彼女は女優としての道を選び、今ここにいて、こうして『ブラック・スワン』という傑作の誕生に立ち会っている。その道程のひとつひとつが今作のニナの姿に重なって見える。
 先の『抱きたいカンケイ』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20110428/1303909730)の際にも書いたが、「痩せてて脱いでも痛々しいし、やっぱりマチルダのイメージを引きずってて……」というイメージは常につきまとい続けてきたし、あるいは今作を経てもなお言われ続けるのかもしれない。だが、それはラサール石井浅田真央評と同根の浅薄な意見であり、表現の高みを目指し続ける者にとっては、もはや顧みる価値さえないだろう。
 何か一つ欠けたら、少しでも進む道が違えば、一歩でも立ち止まってしまっていれば、彼女というはまり役を擁するこの作品は生まれなかったかもしれない。そう考えれば、やはり奇跡的という言葉が似つかわしいと思う。


 終幕時の大喝采が、先のアカデミー賞授賞式における祝福の拍手に重なった。この作品を終えた後に、パートナーを選んで出産を選択したことも、きっと彼女にとって意義深いことなのだと思う。おめでとう、おめでとうナタリー。貴女と同じ時代に生まれて、素晴らしい演技と作品を観られて、僕は幸福です。ありがとう、そして幸せに。

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