”饐えた沼を逃れて”『紙の月』
吉田大八監督作!
わかば銀行に契約社員として入社した梅澤梨花は、慣れないながらも堅実な仕事ぶりを見せつつ、夫との平凡な日々を過ごしていた。埋めがたい空虚を心の内に抱えながら……。ある日、得意先である平林という老人の家で彼の孫の光太という男と出会う梨花。彼女は密かに一線を越え、同時に銀行員としてのタブーへと踏み込んでいく……。
久しぶりに邦画鑑賞。言わずと知れた『桐島』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20120905/1346763191)の監督ですよ。
さて冒頭、契約社員で新米銀行員の宮沢りえが、古馴染みのお得意様の爺さん石橋蓮司のお宅に、国債を勧めるべくご訪問。お茶を入れさせられ、「子供いないの?」「旦那と仲悪いの?」「作ってんの?」「作らなきゃできないよ」とセクハラを連発。何とも不愉快なのだが我慢我慢……というシーンなのだが、劇場内ではここで笑い声が上がってゲンナリ。まるで寅さんを見ているかのようにウケている後方のジジババたちであった。
そもそも来てる客層はというと、かつての宮沢りえ写真集に股間を熱くしたオッさんであり、そんな彼らが今やジイさんになって再び熱くなりに来ている(実際ビンビンになったかは知らんが)のであろう。さて彼らは石橋蓮司ジジイのセクハラで気を良くしたか、その後にバカで金遣いの荒い若者こと池松壮亮君のチンコに己の欲望を仮託せねばならんことに歯噛みしたであろうか。定かではない……。
その宮沢りえの夫役が田辺誠一。一見、偉ぶったところもなく感じもいいのだけれど、実は妻や家庭に無関心に近い男。妻からペアで時計をもらったのに、妻へのお土産にまた時計を買ってきてしまい、何一つ悪気がないところに、絶望的な断絶が横たわる。
仕事とはそういう嫌なもんである、夫婦とはそんな程度のもんである、人生というのはそういうところで生きるということである……という、まあ「ありがちな話」の中で生きてきた主人公が、その裏にあるもう一つの「ありがちな話」に手を染めていき、二つの「ありがち」の境界線を突っ走っていく。
セクハラに耐え地味な仕事を淡々とこなし貯金をこさえたのはいいが、いつしか会社には必要とされなくなって辞めていく人がいる。一方で、上司と寝て不正に便宜を図って立ち回り、美味しいところだけを掴んで去っていく者もいる。結婚後の再就職という立場で、その両方の道のちょうど岐路に立った主人公が何を選んだか……?
不倫! 横領! わーい! と、若い男と大金を手に入れて、さぞお楽しみのことだろう、と思いきや、必ずしも主人公は楽しそうではない。高級ホテルのスイートに三泊して、ルームサービス取りつつセックス三昧し、ブランド物を買い漁る……という、バブル期の名残のようなベタなことをやっているのだが、そんなことをしてたら金がいくらあっても足りん! お会計の時に「うっ……!?」となるあたりがリアル。
だいたい、またもワインが分不相応な散財や贅沢の象徴のように登場して、ワイン好きは肩身が狭いのである。
新たな生活を手に入れても、それを維持するためにまた汲々とし、横領に横領を重ねていく。地味なすり替えから始まった横領が、金額も膨らむ一方な上、次第に証券偽造へとどんどん技術的にもエスカレートしていくあたりも面白かったですね。横領現場も非常にサスペンスフルで、観た後は銀行のスタッフを思わず勘繰った目で見てしまうこと間違いなし。
バブル期も終わって、華やかな夢や希望はなくなったけれど、まだそこにしがみつきたい、他に幸せのモデルケースが見出せない人の悲劇のようでもあり、そこでの最大の価値観である金に縛られた人の話でもある。
貯金、家庭、仕事、ありとあらゆるステータスの虚構性に気付きながらもその虚構の中でしか、結局は人は生きられない。
……いや、本当にそうなのか?
最後の宮沢りえと小林聡美の会話シーンで、初めてその世界観が揺らぐ。金額の多寡、犯罪かそうでないか、そういった平凡な価値観ではなく、人がやったかやらないか、自分の心が充足したか否かが、まさにルールの内側で夢もなく生きてきた人の代表のような小林の口から問われる。
不倫をしても犯罪者になっても、そこまでいっても「ありがちな話」の枠から逃れられないでいた主人公の内面が会話をきっかけに噴出し、ついには全てを捨てて疾走を開始する。「ダメじゃん、報いを受けろよ」と思う反面、「そのままどこまでも突っ走ってください!」とも思わせる。その行く手に安息はないのだが、そもそもそんな安息なんてどこかにあったのか?
人生でやったことないことに唯一「徹夜」を挙げた小林聡美に対して、宮沢りえが「そうそう、私もしたことなかったけど、でも一晩中セックスして起きてたら……」と言ったのに、「そうそう、じゃねえよ!」とイラっとする辺りが最高!
この二人の関係、なんとなく西村寿行の『君よ、憤怒の河を渉れ』の最後のやりとりを思い出したところでもある。追う者と追われる者が不思議な共感を果たす話だ。
「饐えた沼か。俺はそういうところが好きでね……」
「俺は別の世界を探すよ」
そうして、主人公は一人去っていき、追跡者はそれを見送る。
「何をしている! 連れ戻すんだ!」
「永遠の逃亡者でね、奴は……」
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