"叩き割れ、全ての怒りをこめて"『トガニ』


 実話を元にした韓国映画


 霧深い街・霧津。ある朝、一人の少年が列車に跳ねられて死んだのと時を同じくして、美術教師のカン・イノはその街にやってきた。車をぶつけられた人権センターの幹事であるソ・ユジンに送ってもらい、赴任先の聴覚障害者学校にたどり着く。だが、勤務開始早々にそこで彼が目にしたのは、教師による児童に対する日常的な暴力と、金まみれの校長たち権力者の姿だった。ある日、イノは帰り際に女子トイレから異様な叫び声が漏れるのを耳にする。この学校では、いったい何が起きているのか? 翌日、寮長によって洗濯機に頭を突っ込まれる暴行を受けている女子生徒を発見したイノは、彼女を学校から連れ出して病院へと運び込む。ユジンを呼び出し、協力を頼んだ彼の前に突きつけられたのは、想像を絶するおぞましい現実だった。


 非常に重い題材に真っ向から取り組んだ映画で、なおかつメジャー公開作、そして大ヒットして社会問題にまで発展した……ということで、そのあたりはこちらの記事に詳しい(http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20120809/1042417/)。書かれている通り、まさにその構造ゆえにど直球の娯楽作品のような佇まいで、観客のエモーショナルを掻き立てる作り。ホラーっぽい演出やセンチメンタルな音楽の使い方、それでいてレイティングはきっちり意識したと思しき映像表現。ちょっぴり笑えるところや、泣かせるところ、吐き気を催させ怒りを掻き立てるところ……隅から隅までプロの仕事。社会的な目線に答えられるレベルまで、細部に関しても徹底的にやるぞ、という気概が仄見える。


 コン・ユの演じる主人公の佇まいがいい。どんな時でも絶対に声を荒げない、ちょっともどかしいぐらいの大人しさ。でも気が弱いわけじゃなくて、むしろ理想主義者。静かな中に強さと折れない意志が垣間見える。わかりやすい大口やハッタリなど一切なし。だが、こういうカッコ良さにこそ憧れる。一緒にいて、本当に頼もしいのは、きっとこういう人だよね。このコン・ユも韓流ドラマで人気らしいが、それもわかるよ!
 その相棒役、人権団体の幹事役のチョン・ユミのキャラもナイス。最悪の出会いをしたアホみたいな酔っ払い女が、もっとも頼れる存在になるってのはお約束だよね。「大丈夫か、あんな女で?」と思ってたら、超キリリとした表情で再登場するあたりもカッコよすぎる。
 原作小説と比べると、どちらも誇張された上でかなり理想的な人物に描かれているが、思い切って単純化したとも取れる。キャラクターの複雑さはもちろん薄れており、そこはマイナスではあるが、逆にストーリー展開の描写は厚みを増した。法廷シーンのスリリングさがまた強烈で、裁判としては完全に勝っているのに不安がまるで消えない。主人公たちは傍聴人として見守るしかない立ち位置で、それゆえにもどかしさがつのる。児童虐待、強姦、何も問題になるはずのない圧倒的な事実が塗り潰されていき、少女に対して残酷な証言が求められる。何かが狂っている。全てが持てる者の論理で構成され、当事者を離れて解決が委ねられた先もどうしようもなくその論理に絡めとられている。


 原作にもくわしいが、事態は単に児童へのレイプという犯罪だけに留まらない。物語は民主化された韓国社会に潜む問題にスポットを当てる。金、利権、政治、事なかれ主義……。社会の最弱者に対する犯罪事件が、まさにその縮図となる様を象徴的に描き出し、一時は主人公も陥りかける見て見ぬふりをする姿勢こそが、それらを生み出す温床であることも語られる。
 娯楽映画として、エモーションの針は限界を振り切る。おぞましい犯罪の姿は残さず暴かれる。さあ、あとはそれを一気にエンディングへつなげるだけだ。……だが、カタルシスはない。豪速球の超エンターテインメント映画として作られているのに、ハッピーエンドにだけはならない。公開当時の韓国の観客は、さぞ膨れ上がった感情を持て余したことだろう。さて、それはどこへぶつけるべきなのか?
 2012年現在、我々は「トガニ法」の成立を知識として知っているし、舞台となった学校の末路も知っている。日本公開版ではエンドロール後のテロップでその「結末」が語られるが、それは韓国での映画公開当時はまだ動き出していなかった。「物語」として映画化されたのではなく、社会を動かすためのメッセージとして作られたこの映画の「結末」を、受け取った側の社会がつけた、という事実は重い。韓国における映画の力の強さを実感する。


 海を挟んだこちらの「民主主義国家」においても、岩手県の高校で起きた傷害や脅迫事件の隠蔽には、『トガニ』で描かれた事件を覆い隠したのと同種の力学が見え隠れしている。また、それは昨年の原発事故後の情報公開や事故処理の問題にも通じるし、多種多様な事件、問題につながっている。原作では、それらを風化させていく「こんなことがありえるはずがない」「いくらなんでもこんなひどいことをするはずがないだろう」という、そう信じ込みたい気持ちも合わせて描かれる。「学校の先生がそんなことをするはずがない」「電力会社は真摯に事故収拾に当たるはず」。「正常性バイアス」と言うが、この国で、この世界で起きていることは、僕たちのそんな願望などより遥かに残酷でおぞましい。
 社会としてはもちろんだが、問題に直面した時、勇気を持ってそれを告発できるか、も、今作は一人一人に問う。だが、同時に恐れる必要もないことも示される。我々は一人ではなく、同じ意識を抱える人間は必ずいる。小説版のラストで、敗北し去る主人公に対し(映画版とは違う結果だ)、彼の愛と献身がわずかな時間であったとはいえどれだけの力になったかが語られる。小さくとも、弱くても、ほんのわずかでも良い。それこそが「世界に自分たちを変えさせない戦い」のための第一歩となる。


 真面目な話はちょっと置いといて、普通に韓国映画ファンには必見の作品でもありますよ。情け容赦ない暴力描写、役者陣の味のあるフェイス、性的な香りを感じさせない主人公のスマートさや、タフで強いヒロイン像、子役たちの個性、すべておなじみですね。映画オリジナルの主人公のおかんもグッド! 「普通の人」がいかにこの問題に心を動かされるか、という意味で象徴的な役回りなんだけど、大阪のおばちゃんのごとき出で立ちで食い物を差し入れるあたりがナイスすぎる。
 そして『ダニー・ザ・ドッグ』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20100904/1283592142)(そう言えば、これも虐待の話であったね)に並ぶ「植木鉢映画」の系譜に連なる作品でもあります。なんだろう、虐待野郎には植木鉢で一発喰らわすのが効果的、みたいな法則でもあるのかね?

トガニ―幼き瞳の告発

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