"遠くにも近くにもあったもの"『灼熱の魂』(ネタバレ)


 中東の内戦における一人の女性の半生を描いた、戯曲の映画化。


 ケベックで暮らすジャンヌとシモンの双子の姉弟は、プールに行った日、突如倒れそのまま亡くなった母が、遺言を残していたことを公証人に知らされる。それは、死んだ聞かされていた父と、存在さえ知らなかった兄に手紙を渡すこと……。いやがるシモンを残し、母ナワルの故郷である中東へ向かうジャンヌ。そこで知った衝撃の真実とは……。


 母のルーツを辿って中東に入った娘と並行する形で、母の過去を明らかにする構成。冒頭は意味の取れなかったシーンも、一つ一つピースがはまるにつれて、その全貌をあらわにしていく。


 ざざっとwikiを眺めただけで目眩を起こしそうになったほど複雑かつ長期に渡ったレバノン内戦だが、それを俯瞰できるほどの情報量は提示されない。代わりに一人の女性の視点を通し、その人生を破壊した対立と偏見、果てのない争いと報復の連鎖が描かれる。そこに巻き込まれた彼女自身も息子を失った反動で、その報復の中に身を投じて、再生産に加担する。そして払わされる重い代償……。


 炎上するバス、頭を撃ち抜かれる子供、廃墟となった都市……。すべてが現代の風景とコントラストを描くように設計された作りが巧みで、否応なくそこに横たわる歴史に思いを馳せることになる。一見、平和になり再建されたかのように思える街や村で、人々の言葉の切れ端からふと、「かつて」が甦る。それは母一人の妄執などではなく、今も暮らす人々のすべてに根ざしている。
 現代、移民として遠く離れたカナダで暮らす双子の感覚は、ルーツのことを除けば、現代の観客である我々に近いのかもしれない。知りもしなかった遠い世界、遥か昔。でも、それもまた世界の一部で、我々につながっている。


 中盤の淡々とした積み重ねがむしろ心地よい重みを持って感じられただけに、後半の展開はややストーリーテリングに走り過ぎに感じられたなあ。元が戯曲だからしようがないか。失ったはずだった息子との気づかぬままの再会、双子の誕生、さらに月日を経ての本当の再会……。凄絶なまでにドラマチックで、まさに「劇的」な展開。だからこそ少々大げさだし、偶然というか出来過ぎに感じられ、内戦の渦中で生きたということだけで十分な重みがあるものを、さらに過剰に飾り立てたように思える。


 その凄絶の極致を「母性」をもって受け入れ、息子を許し愛することで、自らも加担してきた憎しみの連鎖を断ち、双子を愛せなかった己をも許すことができた……というストーリーは筋が通っていて良くできている、とは思うのだが、作りすぎな印象であった。でもって、ここまで全てを受け入れられるのは「母性」しかないのか。ちょっと背負わせ過ぎでは、とも感じたなあ。「母性」が都合のいいキーワード化したお話も色々あるが、それを極限までブラッシュアップすればこうなる、という気がする。
 ただ、このストーリーテリングには少々批判的にならざるを得ないが、それは「一人の女性の物語」として見ればの話。視点を変えて双子と同じような移民、移民二世、共通のルーツを持たない現代の観客、それら平和ボケした者を揺さぶるための「メッセージ」として捉えたならば、この韓国映画的にさえ思える「俗悪さ」を孕んだ「近親相姦」という爆弾が必要なのかもしれない。「ああ、いいお話だったね」で回収されない、強烈な印象を与えるための飛び道具だ。そして「自分がレイプの果てに生まれた子なら」「近親相姦の落とし子なら」、そういった想像をさせることで揺さぶり、胃の奥をつかまれたような座りの悪い思いをさせ、引いては世界の在り様を考えさせるための触媒だ。それはフェアとは言えないし、今作においてはむしろそれが露骨になってしまっていると思うが、「見せ物」としての戯曲なり映画なりとしての在り方の一つなのではあろう。


 複雑なメッセージ性と、劇的なストーリーは必ずしも相性がよくない、ということをつらつらと考えた。似た構成なら先日の『サラの鍵』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20120127/1327659573)ぐらいのスタンスが好みだし、同じ最後に爆弾を落とすならばもう少しシンプルな物語性に特化した方が良かったかなあ。


 最強の狙撃者、拷問の達人が、戦後はただの掃除夫になってるあたりは面白かったな。戦争が終わってそんな技能も必要とされなくなれば、プールで友達と遊ぶ平凡な人になってしまう。
 しかし冒頭では、


「おかん、無茶振りしよるで! どこまで行かなあかんねん!」


と、恐らく双子(特に弟)と同じことを思ったが、実際のところは探す当の人物は同じ市内に住んでて、しかも実は二人じゃなくて一人でいい。おかん的には、


「近所に住んでんねんから、すぐ見つかるやろう」


ぐらいの軽い気持ちだったのかもしれんなあ。遺書が謎めいた書き方しすぎなのも、かつていくら探しても見つからず、もう諦めていたというのに、あまりに答えが近くにあって超偶然にも見つかったから拍子抜けして、ちょっともったいつけてみたくなったのかもしれない……。母親のキャラクターにはなかなか共感しづらいつくりになっているのだが、彼女もまた作り手の考えた超偶然ストーリーに翻弄される被害者として見れば、プールで呆然としてる表情も、


「え、息子? え、拷問野郎? しかもわたしのこと覚えてない? え、なんで今になって、こんな近所で? わたし泳ぎにきただけで、なんも心の準備ないねんけど? マジ超ショック……ああ、もうあかん……」


という風に読み取れて、最後には充分同情的になってしまったのであった。

レバノン―混迷のモザイク国家

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国際化と民族抗争―レバノン内戦・パレスチナ紛争・湾岸戦争

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