”分たれぬもの"『悪童日記』(ネタバレ)


 伝説のベストセラーがついに映画化!


 第二次大戦末期……。双子の少年たちは、母親に連れられ、国境のほど近くにある祖母の家に疎開する。祖母はかつて夫を毒殺したと噂され「魔女」と呼ばれていた。畑仕事や家畜の世話を覚えた双子は、やがて街に出るように。そして、母の言いつけ通りに勉強を欠かさず、二人で日記をつけるようになる……。


 これはほんと、話題になってた本だったな。原作は家にはありましたが、未読。観てから改めて読む事に。
 両親の家を離れ、会ったこともなかった祖母の家に疎開して来た双子の少年が、戦火の中、たくましく生き抜いていく姿を描く……というと、何やらファンタジックかつ感動的な話になりそうな気がするが、そんなハートフルさは欠片もない。
 原作は日記、映画も小エピソードの集積として構成されているが、常に淡々とした描写が心がけられる。「その場で起きたこと」がそのまま放り出され、解釈は観客に委ねられる。


 食うものも着るものもろくにない田舎で、お互い以外に頼るものなどない環境に放り出された双子が、両親からも危惧されて来た互いの絆をより深めていく過程がまず描かれる。常に離れず、心理まで共有するかのようになっていく。過酷な環境に置かれた者、例えば虐待の被害者が、もう一つの人格を作って被害をアウトソーシングする過程にも似ていて、起きたことを日記に客観的に書き留め、互いの痛みを分かち合うことによって軽減していく。それは次第に彼らの言う「訓練」へと発展し、食事を抜いたり互いを罵倒したり殴り合ったりする行為が繰り返されることになる。


 それは確かに「成長」とも受け取れるし、戦地で生きていくために必要な力であった。誰にも期待せず、生きるため、必要な糧を得るためにはどんなことでもして見せるそれはまさに「強さ」というしかない。だが、痛みに耐えるというのはある意味、鈍感になるということでもあり、双子は奪うこと殺すことにも徹底的に鈍感になっていくことを選択する。
現代的な言葉をチョイスすると、それはソシオパスの成立の過程を描いているようにも見える。快楽としてではないが、利益のために奪う。ただ、それこそが戦時という時代にもっとも即した生き方でもある、ということを、ある種のアイロニーを込めて描いているのかもしれない。


 原作では性的な描写も多いのだが、「兎口」を殺した男性や、ユダヤ人を見下した女性、さらにドイツ人将校というゲイも、双子にとっては相容れないものとされ、決して近い存在にはならない。
 双子がかくも「成長」する環境を与えた祖母だけは、本人にはまったくその意識なくメンター的な存在に一部なっているが、彼女もまた持つものを継承し去るだけの末路を辿る。


 さて、子供がさらに強くなるために必要なものは何か?というと、それは通過儀礼である。双子はそれを自ら積極的に探し、次々と乗り越えていく……のであるが、あまりやりすぎるのも考え物で、両親との断絶を経て、本当の親殺しに発展するあたり、洒落にならないとはこのことであるな。


 原作の時間経過を短めにし、双子はやや大きめの年齢で固定。原作のSM、スカトロ、フェラ、内臓、骸骨など、様々な性描写と死体描写が大人しい映像になったり描かれなかったりしたあたりは、レートなどの問題か。淡々と進む中に、それだけ取り出せば血も凍るような出来事が、やはり淡々とした語り口で見せられる……というところがミソだと思われるだけに、やりすぎるとあざといがもう少し頑張って欲しかったところだ。
 祖母役の人は、原作と違って太い人に変わったが、力が強くなければ双子を御することも出来ないであろうことと、より発作を起こしやすそうな体型になっていることを考えたら、ナイス改変。


 原作の持つ研ぎ澄まされたソリッドさは、やはり映像化でかなり丸くなったなとは思ったが、ラストの別れのシーンまでスタイルを貫き通し、なかなかいい映画化だったのではないか。さあ、続編も読むとしよう。

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

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ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫)

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第三の嘘 (ハヤカワepi文庫)

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