"それでも野球に夢はある"『マネーボール』


 実在のアスレチックスのGMビリー・ビーンの半生を映画化。


 選手、スカウトを経てアスレチックスのゼネラル・マネージャーに就任したビリー・ビーンワールドシリーズ出場を逃した翌年、スター選手の離脱によってチームは深刻な危機に立たされる。出ない予算、集まらない選手……。しかし、インディアンズにトレード交渉に行った先でのピーター・ブランドとの出会いが、チームに大きな変化をもたらす。「セイバーメイトリクス」、野球を経済学的に読み解くこと……。ビリーは勝つために、チームの改革に着手するのだが……。


 『ソーシャル・ネットワーク』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20101030/1288442495)のスタッフが製作ということで、これもまたアメリカの「神話」の一つ。最初はソダーバーグが監督する予定だったのだよね。実話がベースということで、実に淡々とした作り。主役はブラピだけど、主人公に少しもヒロイックさがないところが面白い。試合がある一方で、GMってのは非常に地味な仕事であることをうかがわせる。チーム作り、選手集め、スカウトの意見の取りまとめ、オーナーへの意見具申……。しかしながら金を出すのはオーナーだし、チームを直接動かすのは監督だし、まして実際にプレイするのは選手。その間に立って右往左往、意見もなかなか通らない。ああ、中間管理職、なるほど「マネージャー」だなあ。
 その中で、いかに「自分の意見を通すか」ということが主軸に語られ、制約の多い中でどう自分のビジョンを実現するか、が描かれる。ゲームに関わる実権がない以上、最大限に使えるのは選手の雇用と解雇の権利だけ。それでもってどうチームを動かすか。チームの監督やスカウトは皆、保守的で、大物選手が抜けたと言うのに危機感がない。その中で、さらに「マネーボール理論」というドラスティックな改革をやってのける必要がある。


 主人公は元は高校の天才選手だったが、スカウトの口利きでプロ入りするものの結果を出せずに引退。今、自分がスカウトを経て運営側になり、かつての自分の扱いは正当なものだったのか、今の自分はあの時のスカウトと同じことをしているのではないか、という疑問を抱いている。トレード交渉でインディアンズに行った時、一人の若者と出会ったことが、それに答えを出す。かつての自分は、いい選手ではなかった。「マネーボール理論」に則れば、取るような選手ではなかった……。


 挫折からの再挑戦は、簡単ではない。過去を吹っ切ることでやっと動き出せる。大きな変化に挑もうとするには、それだけの何かを捨て去らなければならない。さらに、この主人公は、他人にもそれだけのものを捨てることを強要するのだから。
 常識にしがみつく球界の反発は大きく、特に監督の反抗は理論の実践に関わるだけに重大。この監督はフィリップ・シーモア・ホフマン。あまりいい役じゃなかったな〜。ただの頑迷なキャラクター。もうちょっと若ければ、彼がジョナ・ヒル役回りだったのだろうが。イェール大卒のピーターと言うキャラクターは、実名でない架空の人物。モデルのポール・デポデスタには、脚色が過ぎて実名使用を断られたらしいが、確かに実物の写真を観たらデブではなかったよ……。作中ではほぼダブル主人公的位置づけ。後に彼も出世し、他球団のGMを勤めている。


 地味過ぎて、どこがクライマックスなのか分かり難く、実話だからリアリズム溢れるお話に結末も落とし込まれ、あまりカタルシスはない。「マネーボール理論」そのものを描いた作品でもないので、結局それで勝った過程や結果は伝わりにくいし、さらに主人公は金銭の価値も否定する。スピード感のある「スモールボール」や選手の華を否定し、その結果得られるスター性への報酬、「金」というアメリカの夢も否定。難しい題材を選んだものだ。


 だがそれでも、野球に夢はある、ということを表現し続ける良質な作品。主人公の娘が歌う二つのシーンにはベタな感動もあり。lenkaという歌手の「The show」という歌だそうです。

マネー・ボール (RHブックス・プラス)

マネー・ボール (RHブックス・プラス)