"オレにもしゃべらせろ!"『ザ・ファイター』


 アカデミー賞、助演男優女優ダブル受賞作。


 シュガー・レイ・レナードからダウンを奪い、地元の星と言われた名ボクサー、ディッキー・エクランドを兄に持つ、同じくボクサーのミッキー・ウォード。スターの兄に引け目を抱き、戦績も三連敗と低迷中。次の試合でも対戦相手が急遽変更、9キロも重い相手と戦って惨敗。ヤク中になり、トレーナー業でも遅刻してばかりの兄に、とうとう愛想をつかすミッキーだが……。


 実話が元になっている作品では、ちょうど『ランナウェイズ』を見たところだったが、より濃密に描き込まれた素晴らしい映画であった。


 主人公は男二人女七人のうちの次男坊。ポジション的にはほぼ末っ子。映画が始まった時点では、ボクシングの才能があるのかどうかもよくわからず、兄のような実績はいまだなし。自信なさげで、女を口説くのも及び腰。離婚歴あり。別居してる娘一人。
 長男はあの伝説のボクサー、シュガー・レイ・レナードの全盛期にダウンを奪い、地元の星と呼ばれた名ボクサー。引退し、今は弟のトレーナーをやっているが遅刻しがち。地元では有名人で、どこにいてもとにかく目立つ天性のショーマン。しゃべりすぎ。しかしボクサー時代に覚えたクラックで、完全にヤク中になっている。地元でも人気、刑務所でも人気、まさに暗黒のカリスマだ。こちらも息子一人。
 母親はボクシングファンで、兄弟のマネージャーを長年勤めている。二人は実は異父兄弟で、現在は二人目の夫と暮らす。ショービジネスの世界を生きてきて、押し出しが強く、特に兄の方を溺愛。
 父親は再婚で、押しの強い妻の影に隠れがち。娘軍団とはうまが合わず、血をわけた息子である主人公に肩入れがち。
 どれがどれだかわからない七人姉妹。みんないい歳のはずだが、誰一人家を出るでもなく母親にくっついている。


 もう一人のトレーナーは元アル中の警官オキーフ。ボクシングは好きだが素人。こちらも父親と同じく、女軍団には辟易している。
 試合をきっかけに主人公が付き合い始めるのが、大学を中退してバーで働くシャーリーン。勝ち気な性格で、まず口を出し、それから手を出すタイプ。


 これが主要登場人物の全てだが……バランス悪いよね(笑)。実話ならではの人物配置だが、無条件に頼れる、信頼出来る「理想的な男性像」がまったく存在しないところが面白い。主人公には男の友達がいないし、ボクシング以外で「師」となるような人物も登場しない。全ての役割をクリスチャン・ベール演じる兄が背負っているのだが、とにかく人間的にだめ過ぎておかしい。
 同じく「理想的な女性像」も家族内には求め難く、付き合い出したシャーリーンの欠点も、話が進むごとに見えて来るのである。


 話の軸は、ボクシングで名誉を勝ち得た兄と、そこに至っていない弟だ。母も、父も、姉達も、弟自身も、かつての兄の活躍に熱狂し、夢を託した。兄はボクシング史と地元に名を残しながらもタイトルを取れずに引退し、今は映画の撮影に熱心だ。家族はいまだに兄をもてはやし、結果を出せない弟の存在感は薄い。ウエイトにハンデのある試合を組まれ、惨敗。続いて兄の逮捕劇に巻き込まれて手を負傷したのをきっかけに、付き合い出したシャーリーンのすすめのもと、ついに母や兄と袂を分かつことを決意する。


 環境を変えて練習し、試合にも結果が出始める。だが、それは母が指摘した通り、若手の有望株の当て馬を用意するためのプロモートに過ぎなかった。大苦戦の中、彼を救ったのは、直前に刑務所に面会に行った兄のアドバイス。一時は最悪の環境の象徴のように思われた母と兄だが、得難い経験と嗅覚があるのもわかってくる。
 立場が逆転し、理解者だったはずのシャーリーンやオキーフが、自己主張を始める。あの二人が戻ってくるならもういやだ、やりたくない……。


 ここに到って、ほのかに漂っていた違和感の正体がやっとわかる。主人公以外の全員が全員、はき違えているのだ。試合をするのは誰なのか? リングでぼろぼろになるまで戦うのは誰なのか? 栄光をつかむのは誰なのか? それはマーク・ウォールバーグ演ずるミッキー・ウォードというボクサーでしかないのだ。「兄弟」「家族」「恋人」「トレーナー」……それらの肩書きを他の全員が口にする。それは、その関係性によって、ミッキーと自分を同一化しようとしているに過ぎない。その肩書きが、彼の生き方に対して口を出す権利かなにかのように勘違いをしているのだ。口を開けば「貴方のため」「おまえのため」「家族のため」。だが、実際のところは、自己顕示のために彼を利用しているに過ぎない。スポンサーのタクシー会社の社長が金目当てに利用してるだけと非難されるが、実は彼と何も変わらないのだ。


 末っ子パーソナリティに満ちた主人公が、ついに爆発する。「これはオレの試合なんだ!」


 主人公も含め、すべての登場人物は欠点だらけだ。おかげでスポ根ものであるにも関わらず、ハリウッド映画の脚本らしからぬいびつな……ある意味リアルな話になっている。できる人だけど欠点もある……のでさえなく、なんとか一芸ぐらいはないでもないですよ、という人の寄せ集まり。それなのにお互いのだめなところをあげつらい合う。


 当初、歪んだ家族愛からの自立をうながす立派な彼女、という立ち位置だったはずのシャーリーンも、その勝ち気な性格が末っ子ミッキーをスポイルしてしまう構図が見えてくる。ミッキーが発言する前に、「付き合ってるの」「彼は独立する」と先に宣言してしまう。悪気はない、彼のために一生懸命だ。だが、徐々に、対立する女達からの誹謗への対抗意識が先立ってくる。わたしはあいつらと違う、彼のためになる人間だ、だから彼はわたしのもので、わたしの言う事を聞くべきだ……! それは実は、母親がミッキーに対して思っていることと、まったく同じものなのだ。それはもはや愛ではなく、支配欲だ。「家族」を離れ、もう一つの「家族」に入ることを強要している。
 メリッサ・レオエイミー・アダムスが同時に助演女優賞にノミネートされて話題になったが、この二人は実は似たところのあるキャラクターを演じているのだ。


 皆が皆、ボクシングというショービジネスの栄光にすがる。そこには、ブルーカラーとして生まれ、一生そこにいるしかない者達の現実と悲哀がある。だけど、その栄光をつかむのは実際に戦うミッキーであり、その取り巻きでしかない人間は、彼とは別人でしかなく、相変わらず何も持たない人間であることを認めなければならない。
 ヤクに溺れ服役し、かつての栄光も薬物依存を描いた映画によって踏みにじられた兄ディッキーが、とうとうそのことに気づくシーンは圧巻だ。クリスチャン・ベールの演技は、ハゲや歯並び、なまりや身振り手振りの再現まで徹底していて素晴らしいが、こうした心情の機微の表現で止めを刺してくる。
 ディッキーがまず一歩下がり、母もシャーリーンも、やっと同じように一歩引いた立ち位置からミッキーを見ることができるようになる。そして、そうして自分が何も持たない人間であり、彼が自分と違うと認めても……ミッキーを愛している気持ちには変わりはないし、家族として、恋人として、仲間として、彼と喜びを分かち合うことはできるのだ。


 撮影は延期やキャスト変更が重なり、大変時間がかかったそうだが、その間に脚本も練られ続けたのだろう。多くの要素が抽出されることなくみっしりと詰まり、キャラクターの行動に重層的な意味を生んでいる。「家族」とそれをもっと解体した個人と個人の関係性、そこからどう距離を取りいかに付き合うか、そして否応なく孤独となるリング上においてどれだけそれを力に変えるか。格闘技は個人競技だが、セコンドを含めたチームスポーツとしての側面もある。そこに家族関係が投影された時の光と影も描き出される。
 実話だが、省略されている試合も多い。K-1魔裟斗と戦ったビンス・フィリップスともIBFのタイトルを争っている。そこで敗れ、もう一度ローカルタイトルに挑戦して失敗、映画のクライマックスの試合には、それからやっとこぎつけているのだ。


 ミッキー・ウォードの生涯戦績はこれ。
http://boxrec.com/list_bouts.php?human_id=3603&cat=boxer
 ざっと見ただけでも、これが映画のあの試合、というのがわかってニヤリとしてしまう。
 実際の試合もyoutubeで観てみたが、作中の「ほんとかよ?」と思ってしまう展開も、全部本当だった……。もうダメだ帰りたい、と言い出しそうな顔でコーナーを出る本物のミッキー・ウォード。その後もボコボコと打ち込まれ、倒れるのを待つばかりかと思いきや、左ボディ一発で流れが……!
 こうして映画になったわけだが、続編で描かれると言う噂の伝説の三連戦も含め、兄と違う意味で何か持っているボクサーだったのだろう。兄弟本人の映像を見ると、ほんとに映画そのままのような関係だったのがわかって面白い。


 まさに「絵に描いたような実話」の映画化ということで、最初から最後まで堪能したなあ。腹を抱えて笑わせるところや、ほろりとくるところもあり。ベールさんの顔芸も最高です!


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