"神話と現世をつなぐ環"『イップ・マン 葉問』


 イップ・マンって誰? ふーん、ブルース・リーの師匠……ドニーさんって、ほんとにブルース・リー好きだねえ……本人についてがネタ切れだから、今度はその師匠を映画化ということかな? と言うのが、最初にこの映画について聞いた時に思ったこと。


 さて、イップ・マンとは何者なのだろう?


 第二次大戦終結後、英国領・香港。息子と身重の妻と共にこの地にやってきたイップ・マンだが、不況の余波は重く、武館を開くが弟子集めも思うに任せない。さらに、地元の武館の組合に、この香港で道場を開きたければ道場主たちと勝負をせねばならないと要求される。組合の頭である洪家拳の師匠とも互角に戦い、師たるに相応しい実力を示すイップ・マン。ようやく他の武術家たちとも認め合うようになるのだが……。


 『エンプレス』はDVDだったので、劇場でドニー作品を見るのは『かちこみ! ドラゴン・タイガー・ゲート』以来ということになるか。しかしながら慣れ親しんだその様式、映画が始まってすぐに、すっと心がその世界へと入り込むのを感じた。いいよねえ、クンフー映画は……。


 前作の予備知識がないままに冒頭。
 香港へやってきて、屋上のペントハウス道場に借りた詠春拳の達人、イップ・マン師。チラシを作るんだが、全く弟子が来ない。屋上は階下のおばちゃんの洗濯物で席巻される。干すのを手伝うイップ・マン。
 ドニー・イェンと言えば、わりと頭の固い融通の利かない人、つうか戦闘マシンを演じることも多かったが、今回は武術家としてだけではなく、1950年代の中国における、家族を持った「市井の人」として、人当たりのいい平凡さを見せる。年齢を重ね「師」たる貫禄を身につけ、非暴力主義の人格者なのだが、いざ武術を振るうとなると一変……しない。武術を使うのはやむを得ない時のみに止め、不必要な危害を人に加えることはない。アクションシーンでもその挙動と性格づけが徹底されていて、温和な佇まいはそのままだ。


 そのイップ・マンと出会う、洪家拳の師匠役がサモ・ハン・キンポー。こちらはちょっと頼りなさそうなイップ・マンと対照的に貫禄充分。やや尊大で喧嘩っぱやいが、子だくさんの家庭人であり、多くの弟子を抱える人格者でもある。


 二人の対決シーンが中盤にある。足場の不安定な円卓の上で、剣を模した逆さに置いた椅子に囲まれて戦うと言う、非常にクラシカルなバトルシーンだ。落ちたら負け、ということで、バランスを取り合う空中戦が展開され、当然、数々のワイヤーワークが駆使されて構成されている。
 「ほんとなら、周りは剣だ」というのはギャラリーの台詞だが、ドニー・イェンでこのシチュエーションと言えば、周囲は杭と炎の海……ご存知超難易度ワイヤーアクション『アイアンモンキー』を彷彿とさせる。
 重力を超越したバトルが展開される。両達人の激突は見応え充分。現実離れした空中殺法同士がぶつかり合う。


 二人は武術家としての誇りを賭けて戦うのだが、それ以外の理由もほの見える。すなわち道場主として、一家の柱として金を稼ぎ、弟子や家族を養わなければならない、というしがらみ。そのために戦い、道場を開く権利を得なければならない、という生活のための事情。互いに「市井の人」としての立場があり、ただ純粋に闘争心だけに任せて戦うというわけにはいかない。
 年齢も、重要な要素だ。二人とも歳を取っていて、自らの限界を思うシーンがある。まだまだ強いけれども、いつか若い弟子達が自分を超えて行くだろう。


 見ていて、感慨深い。かつてのドニー・イェン……そう最高傑作の一つ『ドラゴン危機一発'97』において、無数の敵と最強の殺し屋達を向こうに回し、たった一人で林を駆け抜けたあの姿、あの強さ。
 かつてのサモ・ハン……ジャッキーとの共演作や『デブゴン』シリーズ、まるでダメージを知らないかのようなタフさ、弾むような動きと速さ……。
 その彼らも、今や昔と同じではない。かつての「闘神」たちも年を取った。だが、それも一つのテーマ。年齢を重ねた代わりに、家族や背負うものができて、自らの持っているものを次代に受け継ごうとしている。作中の二人の姿は、今のドニー・イェンサモ・ハン自身の姿でもあるのだ。


 そんな想いに耽ってしまう、どこか懐古的なムードと情緒に溢れる中盤までと対照的に、後半はリングの上で、儀礼的要素の無い西洋の合理的格闘技……ボクシングとの対決を余儀なくされる。古色蒼然たるワイヤーワークは影を潜め、最短距離で放たれるジャブやフックに超至近距離で対抗する、リアリズムに溢れた攻防一体のクンフーが画面を彩る。
 強いと言ってもボクサー……そうかつての「闘神」たちの敵ではなかったはずだ。だが、その合理性に則った肉体と技術によって、イップ・マンもまた苦戦を強いられる。幾度も顔面を打たれ、リングに這う。ルールによって禁じ手が決められ、翼をもがれた状態で戦うことになる。
 ショーアップされ、観客席に囲まれたリング。対する敵は、スポーツ的、合理的な格闘競技ボクシング……。それらは全て来るべき西洋との対峙を示唆しており、中国武術もそれに対する回答を出さねばならなくなる。それも老いた肉体で……。
 繰り広げられる激闘の凄惨さは、その道行きの遠さ、困難さを物語るかのようだ。


 このように、前半と後半ではそのファイトシーンのトーンが大きく異なる。前半は、様式美に徹した華麗なる型とワイヤーワーク。後半は対リアルとでも言うべきリング内でのバトル。
 前半が隠喩しているのは、超人たちが自在に宙を舞った伝説の時代の名残だ。地に植えた剣は今や椅子で代用されるようになったが、方世玉、黄飛鴻父子、洪武帝が天を駆けた神話の時代を表現している。
 その古き良き時代はついに過ぎ去ろうとし、西洋化、近代化の波にクンフーもさらされる。それが後半の流れだ。そしてこの1950年代、香港という地において、ブルース・リーに端を発する香港クンフー映画の波が生まれる。


 ここで、最初の問いへと戻る。イップ・マンとは何者なのだろう?


 英国による植民地化、日本による侵略と、混迷の極みに達した時代。あるいは……もしかしたら……急激な時代の変容に耐えられず、クンフーそのものが滅びることもありえたのかもしれない。だが、時代はつながり、僕たちは今もって銀幕にその妙技の数々を見ることができる。
 その時代をつなげた者こそが……かつての神話の時代の名残を知り、現代との狭間において、ブルース・リーにその拳を伝承し、架け橋となった人物こそが……異文化の侵攻に退かず怖れず立ち向かい、その誇りを守り通した者こそが……イップ・マンだったのだ。


 彼なくしてはブルース・リーも存在せず、今こうしてクンフー映画を見ることもできなかったかもしれない。この時代とこの地を舞台に、このイップ・マンという人物についてを、他ならぬドニー・イェンサモ・ハン・キンポーが映画化したということの意味を思う。彼らの、その先人に対する敬意とリスペクトを思う。


 クンフークンフー映画をつなぐ最も重要な環とでも言うべき偉大なる人物イップ・マン。この2011年において、今こそ語り継ぐべきだ。

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