『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』


 新ストーリーの劇場版。今回はテレビ版の7〜19話あたり。


 五号機と新キャラ登場のオープニング、新型弐号機とアスカ登場のエピソードからスタート。1〜6話だった『序』に比して、展開は速い。使徒の数もごそっと減り、何体かは完全に噛ませ犬化した。


 もっと減るかと思われた日常描写に意外にも分量が割かれ、学校やミサト家のシーンは、アスカのサービスショットも含め、結構念入りに描かれている。それでも、アスカがシンジを認めて好きになっていく過程はさすがに描き切れているとはいいがたい。テレビ版の丁寧さに比べると、やはり弱い。


 ……が、これは2時間弱の映画に再編集するにあたっては当然の構成である。「描き方が弱い」と書いたが、もっともっとカットされた部分が数多くある。観客は大方テレビ版を見ているだろうし、それを前提として、描かれた部分も多い。


 もし、映画しか見ない人がいたとすると、おそらく「マヤ」というのは誰だっけとなるだろうし、「リツコ」がどういう役回りか、ネルフで何をしているのか、さっぱりわからないはずだ。「人を超えて神となる」とかなんとか、抽象的な説明しかしないし、ほんとに賢い科学者か(笑)。しかし、テレビを見てるということを前提にすれば、ここらへんは大胆にカットしてもまったく問題ない。このあたりの取捨選択は、かなり意識的にされているような気がする。


 うまい、と思ったのは、19話の加持が畑の水やりをしているエピソード。映画版ではズバリとカットされているのだが、焼け野原になった畑をチラッと見せる事で、このエピソードの存在をすぐに思い出させる。もちろん思い出さなくても、加持さんの畑がやられた! 許せん!という捉え方をすることも可能。テレビ版と映画版は表裏一体になって、二重の意味を映像に持たせているのだ。


 そう考えていくと、キャラクターの心理に関わる細かい演出も、受け取り方が変わってくる。昔は、加持やミサトが時々いいことを言っても、彼らは大きな物の論理の中ですり潰されていく存在でしかなかった。ゲンドウの強さはまやかしで、母性は計画の道具で……。歪んだ世界で大人はとっくにダメになっていた。そんなある意味リアルな感覚があったからこそ、シンジを巡る閉塞感も強烈にいや増していった。


 しかし、映画では何かが違う。大スクリーンに描かれる空はカラリと高く、破壊された環境を取り戻そうとする試みも進んでいる。かつて「お前ら、ほんとはそんなこと信じてないんじゃないの?」と疑ったミサトや加持の名言も、なにか説教くさく感じられ……でもなぜかその分、重みがあるように思える。アスカは己の非を認め、綾波は恋をし、マリは仲間と共に戦い、シンジは皆に感謝する。おーい、なんだよオマエら、可愛すぎるだろうがよ、ちくしょうっ! そこに、テレビ版の閉塞感はない。相変わらず使徒は襲ってくるし補完計画も進んでいて……でもテレビ版とその後10年を経て相対化されたそれらは、もはやどうしようもない恐怖、絶望の未来の象徴ではすでにない。


 が、それでもオレのゼルエルたんはやはり最強だ。弐号機を圧倒し、あらゆる攻撃を弾き返す。強い。20世紀末の恐怖は、今になってなお強大だ。それに対して突貫をかける零号機=綾波の姿に、思わず涙がこぼれた。ああ、この女はやっぱりカッコいいぜ。でも、その行為はかつてのような、「自分にはそれしかできないから」というような投げやりさを伴った行為ではない。綾波レイはどこにだって行けるのだ。誰かの幸せを願って、誰かのために何かをすることができるんだ。


 助けようとするシンジに、彼女はつぶやく。


「私が死んでも、代わりはいるもの」


 だが、その綾波に対してシンジは叫ぶ。


「命は何にだって一つだ! だから、その命はきみだ! 彼じゃない!」byキラ・ヤマト


 ……すいません、間違えました(台無し)。
 でもまあ、そういうことなんだよ。


 10年の時を経て映画化された『ヱヴァンゲリヲン』。キャラクターこそ年を取っていないが、観客であるオレも制作者たちも10年分老けていて、時代も10年分流れていて……。かつて「使徒」「補完計画」という形で描かれた絶望の「新世紀」は、もう現在になってしまっている。繰り返しになるが、以前にはとんでもない恐怖だった「母体回帰じゃダメだよ」と辛うじて結論づけるのが精一杯だったそれらは、相変わらず困難な相手ではあるものの、希望を口にしながら乗り越えることが可能な存在になったのだ。だから、今作ではかつてないほどに「希望」が描かれる。困難を、手を取り合って乗り越えるキャラクターたちを通して。


 しかし、なんとしたことか、映画はまだ二本残っている。かつて未来だった「新世紀」を迎え、先行き不透明な絶望を制作者たちは乗り越え、今、それを観客に伝えようとしているのではないか、と僕は考察している。だが、乗り越えた先にあるのは何だろう。シンジたちは新たな時代を前にして、再び母胎か自分の殻に閉じこもるのか、それともそれらにさえ挑んでいく力を手に入れられるのか。完成まで、あと4年前後はあるだろう。それまでに、我々を取り巻く環境も大きく変わるかもしれない。『ヱヴァンゲリヲン』という作品が、未来に対していかなる答えを出すか、楽しみに待ちたい。


 他。
 弐号機のケツのラインが悩ましい。
 「今日の日はさようなら」が悪趣味すぎる(笑)。
 妹の退院を喜ぶトウジの笑顔に、殺意を覚えた(笑)。
 宇多田〜! 新曲書かんかい〜!

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 (EVANGELION:1.11) [DVD]

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