『仮想儀礼』上下 篠田節子

仮想儀礼〈上〉

仮想儀礼〈上〉

仮想儀礼〈下〉

仮想儀礼〈下〉

 公務員の職を辞し、家庭も捨てて作家への道を追った鈴木正彦。だが、版元の倒産により5000枚の超大作は宙に浮き、彼自身も路頭に迷う事に。同じく路頭に迷った編集者と共に生き残りを模索する中、二人は超大作の設定を流用した新興宗教を起こす事を思いつく。でっち上げの教義と広い間口で、徐々に信者を獲得する二人。だが、その先には現代宗教の陥る陥穽が、漏れなく待ち受けていたのだった……。


 『ゴサインタン』『弥勒』があり、こないだの『転生』もあり、と宗教、ことにチベット仏教についてはもうお手のものである著者。しかし、今回はそれを流用して金儲けを企む新興宗教が本筋。こう書くと、いかにも極悪人が主人公の話みたいだが、うっかり夢想を抱いて失敗しただけ、生活に困り金は欲しいが、インチキやって金儲けしてるという自覚も良心の痛みも人並みに抱え、ついでに女には弱いと言う普通の人間。時折元公務員らしい良識が顔を出しかけるものの、それではインチキがぶち壊しなので、もっともらしく当たり障りない宗教観をぶち上げる。しかし、それがやがては己の首を絞めるように……。


 新興宗教の誕生、発展、そして崩壊の過程を、金の流れから法律関係、宗教にすがる者と反発する者の心理を交えて丹念に描き出す。インチキながら曲がりなりにも人の役に立ち、なけなしの稼ぎが大儲けに変転するあたりのカタルシスは、傑作『ロズウェルなんて知らない』にも通じる部分なのだが、その後の転落の非情さは壮絶。歌野晶午が『世界の終わり、あるいは始まり』で描かずに済ませた部分を徹底的に描き、『ハルモニア』と並ぶ読後感を残すラストに雪崩れ込む。
 宗教を否定もせず、経済行為としての部分も描きながら、その恐ろしさも描き、なおかつその恐ろしさを恐れる人間性も描写し……いやもう至れり尽くせり。厚さに違わぬ大作で、新興宗教について興味のある人はまずこれを読んでみればいいよ。


 『ホーラ』などを読んでいると、幻想文学作家としての力量はやや足踏みかな、と思っていた作者だったが、リアリスティックな描写を徹底的にやった後に訪れる、宗教ならではの奇怪さの描写は怪奇性が際立つ。これだったらまだまだいけるなあ。『第四の神話』など、一個の事象、個人に単を発する存在感を描いた場合は物足りない感じがするのだが、複雑に絡み合った事象や雑多な人間関係から混沌としての怪奇が生まれるところまで描くと、俄然、迫真感が増す。


 そして、相変わらずダメな男と勝手な女を描くと天下一な筆者。あまりに自分本位なゲス野郎が続々登場する中、情と常識に流されてそれを許容してしまう主人公の優柔不断さ、これこそが笑えない。どうしても女に肩入れしてしまう相方の甘さと合わせ、坂道を転げ落ちて行く二人を突き放して見る事がどうしてもできない。いやあ、恐ろしい。オレは宗教には手を出さないぞ(笑)。


 傑作。これは間違いなく代表作の一つになりますね。