“そして祖母にならない”『ギフテッド』(ネタバレ)


映画「ギフテット」(マーク・ウェブ監督作) 予告編

 マーク・ウェブ監督作。

 フロリダで7歳の姪メアリーと暮らすフランク。だが、小学校に上がったメアリーは、数学の才能を発揮し始める。実は彼女は天才的数学者と言われたフランクの姉の才能を受け継いでいたのだった。その噂を聞きつけ、没交渉だったフランクの母エブリンが、彼女に英才教育を施そうと接触してくるのだが……。

 一年ぐらい前だったかな……「そう言えば、マーク・ウェブって今なにしてんだろ。新作来ないかな」と思ってTwitterを検索したら、「マーク」と「ウェブ」が一般的な単語すぎるせいかごろごろ出てきて、彼の情報には一向にたどりつけなかったことがあったな……。不遇だ……。
 たぶん、そのちょっと後ぐらいに情報出たのかな。ぽろっと公開されたのがこれ。自殺した姉の遺児である姪っ子を引き取って育てるクリス・エヴァンスだが、実は彼女は天才的数学者であった姉の血を色濃く受け継いでいた……。

 天才児ものというのは、時々「天才子役」を売り出したいハリウッドではおあつらえ向きの題材で、手垢がついてるというのが正直なところ。ただ、今作を見てるとその子供が天才云々の話は商売向けのフックであり、単なる味付け程度のネタに過ぎないんではないか、という気がしましたね。早期教育というのは別に天才児だけに限って持ち上がる話ではないし、奇矯で学校に馴染めないというだけの子供でも同じような話は作れるような気がする。

 子育てというのは、徹頭徹尾「今」「今!」「今でしょ!」が問題で、あまり関係ないと言えば関係ないのだが、キャラクターの背景が薄味で、さらりと台詞で説明されるにとどまっている。オクタヴィア・スペンサーも過去に子供がらみで何がしかあったのかもしれないが、特に説明はされず単純な近所のいい人扱い。娘を奪おうとする祖母も、その過去の行状は息子であるクリエヴァの口から語られるだけなので、その人品は映画内で目に映る行動で判断するしかない。「今」子供とどう向き合い、何をして何を語るか、だ。
そういう意味で、今作の家族関係はフラットな目線で見ることを心がけることになるのだが、そうして過去が語られない中で、実はクリエヴァが大きな秘密を隠していることがラストで明らかになるのである。

 兄弟姉妹というのは、親という共通する存在に対した時、どこかしら互いを同志的に捉え、共犯者的な関係性を持つことがあるのではないか、と思う。弟が姉の自殺を止められなかったことに責任意識を抱え、託された姉の子を代わりに育てるという話の裏に、実はもう一つ託されたものがあった……。
 母親が自殺した娘を「馬鹿なことをした」と言った時、弟は「世界でもっとも賢い人間の一人だった」と反論するが、これが伏線になっているのだな。生前、解くまであと一歩と言われていた「ナビエ-ストークス方程式」を、実は姉はすでに解いていたのである。「母親の死後に公開して」と言い残して……。
 これ、実はものすごいシスコンの話だとしたら、結構しっくりくるんだよなあ。賢く美しく奇矯で、平凡な幸せを得るチャンスを全て母に奪われ、自ら命を絶った姉。その死に責任を感じて同じことを繰り返さないために、自分の仕事や業績も何もかも捨てて、ただその娘に平凡な人生を与えるためだけに生きる弟……。時々は楽しんでいるようでいて、実は自身は誰とも深い関係にならず、姉の遺志を果たすことだけを考えている。しかし娘は成長すればするほど姉に似てきて、またその才能の片鱗をも発揮し始めるのだ……。これが姉への憧憬含みの恋愛に近い感情ゆえの行動だとしたら、なんかこう……ドキドキしてきませんかね……フフフ……。

 まったくの父親不在ストーリーに加え、姉弟の母親への復讐っぷりが容赦なしで恐ろしい。
 母親の死後に業績を公開しろ、と言い残して死んだ姉もそうなのだが、その約束を反故にして業績を母親に渡した弟の行為も、一見物分かり良く手打ちしているようで、「ほら、あんたの望みどおり「業績」だけあげるよ」と言わんばかりで、ぞっとするような冷たさ。断絶せず、憎み合ったり殺しあったりもせず、ちゃんと話し合っているのに、その中でバッサリ切り捨てていて心はどこまでも遠い……。姉貴の他の部分は全部俺のもので、おまえには一切くれてやらねえよ、という、少女漫画読者でないと伝わらないような細かさだ。やっぱりシスコンものだ!
 しかし、ここまでやらないとわからない上に、涙を流しつつも結局その業績を手にとってしまう母親のキャラクター造形もある意味すごいな……。結局、母親にも祖母にもならなくていい、ということを自ら認めてしまう。プライドがないのか……。

 クリエヴァおじさんは姪っ子に対してもすごく頑張っていると思うんだが、裁判を経てちょっと自信を失ってしまう。母親に預けるのは以ての外としても、里親に預けるのは仕方ないんじゃないか。姉を見てきたことと、自分がそこまでの才能はなかったせいで「普通の生活」信仰がちょっとあるので、姪っ子にも「普通」が必要なんじゃないか、と常に考えてしまっている。
 育て方を自分が誤ってしまわないか……という危惧は誰にでもあると思うが、しっかりやっていてもそういった気持ちに囚われてしまうのも、ああ言う風にはするまい、と思わせてしまう親がいたからで、自分ももしかしたら道を誤っているんじゃないか、と余計な心配をしてしまう。これも毒親の副作用と言えそうだ。

 片目の猫、フレッド君が重要なポジションで、単なるマスコットかと思いきや、母親と里親が子供の気持ちなど何も考えていない人間であることをはっきり印象付ける役回りに。この女の子の一本筋の通った愛情深さが、彼を通してよくわかる。で、保健所から彼を救出する時に、つい他の処分寸前の猫も連れ出してしまうおじさんのその気持ちよ……!

 実はUFC映画であるあたりもポイント高かったですね。うちにも甥っ子がいるのだが、万が一、シングルマザーである妹に何かあっても甥っ子は俺が育てる!と決意を新たにしましたよ。まあうちの母親はあんな毒親ではないですが……。