”運命に破れて”『アデル、ブルーは熱い色』(ネタバレ)


アデル、ブルーは熱い色(字幕版)

アデル、ブルーは熱い色(字幕版)

 カンヌ映画祭パルムドール


 ボーイフレンドとの関係にのめりこめず、終止符を打ったばかりの女子高生アデル。ある日、彼女は街で青い髪の女と目が合う。バーで再会したその女はエマと名乗り、二人は激しい恋に落ちていく……。


 今年の審査委員長はスピルバーグさんだそうで、果たしてどんな映画を推したのか、興味津々。観てみると、いやはやスピやんは絶対撮らないタイプの映画でありましたね。


 主人公アデルちゃん、常にぼやっと口を開けてて、高校生ということもあって、まだまだ自我と言うか主体性のない感じがつきまとう。これは他の高校生も同様なのだが、学生のクローズアップを順番に映していく授業シーンで、ちょっとしたやる気の違いを異なるニュアンスとして見せるあたりが面白い。授業のテーマは「運命の恋」で、当然これから起こることを暗示しているのである。
 高校のシーンでは、友達関係の希薄さも印象的で、たまたまクラスがいっしょだからというだけの表面的な付き合いという感じ。集まるところが校門前という通過点なのもまた空々しい。
 ただ、延々と主人公のクローズアップを撮るカメラはびっくりするぐらい接写しているわけだが、それは何も心情的に近さを現しているわけではない。ただただその被写体の表情とそこから滲み出る内面を余すことなくカメラに収めてやろうという、偏執的なまでの眼差しを感じる。そうして、至近距離からガン見されているような状況で演技せねばならん主演女優二人はさぞ大変だったろうし、これは主演女優賞も納得なのであった。


 そんなカメラが近い中でスパゲティミートソースを貪り食うアデルちゃんは、男の子との恋愛に全然のめりこめず、自身がレズビアンであることを漠然と認識し始める。男の子も振られた瞬間は一粒涙をこぼしたりして、繊細な演技をしとるのお。そして、いよいよ熱い色たるブルーの髪の女エマとの出会いが訪れる……。


 レア・セドゥさん、髪もばっさり切って青くしてかつてないイメージでまとめて、超かっこいい。過去の出演作(『美しい人』とかな)では、それこそアデルみたいな高校生役もやってたのだが、今回はちょい年上で、口説く側の役。あっという間に燃え上がり、濃密なセックスシーンが……!


 『それでも夜は明ける』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20140324/1395587257)もそうだったが、ドキュメントみたいな距離感になってるので、少々時間経過がわかりにくい。いきなり数年飛んでいたのでびっくりしたわ。アデルは高校を卒業して幼稚園の先生になり、美学校生だったエマは念願の画家に。同居しているのだけれど、前後しての両家を訪ねるシーンでなんとなく育ちの違いが見えた通り、アデルはエマの交友関係に微妙になじめない。エマの方がいいとこの家の出なのだが、絵描きということで浮世離れしてるかというとそんなことは全くなく、社交的でビジネスもきっちりやる堅実さ。相変わらず口の半開きなアデルちゃんはパーティーの準備で真面目にお料理するのだが、絵にはうとい「奥さん」のポジションで疎外感を味わう……。
 映画はこの後半の方が本番という印象で、二人の関係は破局に向けて驀進する。やっぱり口の半開きな女は何か庇護欲をそそるのであろうか、幼稚園の同僚にも口説かれ、やがてやっぱり主体性なくキスを……全然、成長していない!


 前半のアデルは授業を受ける側で、後半に教師になってからは教える側に回り、幼稚園児、小学生と対象年齢が上がっていくのだが、これが彼女の成長を示しているのであろう。小学生に教えるようになったのは、エマとの破局後だ。そうして授業をしているシーンを観ていると、前半の「運命の恋」についての授業を思い出した。つかの間、目が合い、そして恋に落ちた運命の二人……。だが、それが失われた時、人はどうすれば良いのか?


 普通の恋愛映画なら、これを肥やしとし、起点とて人間的に大きく成長したり、新しい相手に出会ったり、とにかく無駄にならないように処理が行われるのだが、今作では、そろそろ受け入れることができたかな?と思いきや、「やっぱり愛してるの〜!」となったり、パーティーに来ていたちょっといい男が追いかけてきても、反対方向に歩いて行ってフラグをへし折ってしまう。
 だが、ショーアップされた娯楽として、商品としての恋愛ではなく、それこそ文学的に一つの恋の重さを描き切ると、自然とこういう展開になるのではないかという気がしますね。さてさて、運命に破れたアデルはどこへ向かうのか? それでも人は歩いていくしかないのか……。

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