エマ・ストーンよ、永遠に。『ゾンビランド:ダブルタップ』に寄せて

 その女優、エマ・ストーンとの出会いは『ゾンビランド』だった。荒廃しゾンビが彷徨う世界で、妹と共に生き抜く詐欺師姉妹の姉、ウィチタ役。のちに『EASY A』(小悪魔はなぜモテる?)、『スーパーバッド』と鑑賞。いつだったか、誰かがこう呼んでいるのを聞いた……。

ゾンビランド (字幕版)

ゾンビランド (字幕版)





「オレたちのエマ・ストーン



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ゾンビランド』より

 「オレたちのエマ・ストーン」とは何か? それは上記三作を観たところの印象によると、まあだいたいこんな感じだ。
 華のある美人なんだけど、親しみやすくて、「オレたち」つまり、しょーもないボンクラ男子の話も聞いて笑ってくれて、なぜだかいつも寄り添ってくれる存在。それでいてしっかり自己像を持っていて、自分の意志で一緒にいてくれる。ある意味、ファンタジーの具現化、善意の塊のような存在。ボンクラにとっての理想のパートナー像かもしれない。
 甘っちょろい設定だな、いねーよ、こんな女!とぶった切るのは簡単だが、彼女のキャラクターはそう言いたくない絶妙なところを突いてくる。『ゾンビランド』では男を騙す詐欺師役ということで、冷たい人間なのかと思わせるが、故郷が滅んだことを知ってショックを受ける主人公に、胸を突かれたような顔を見せる。ごくごく平凡な同情心、良心の表現だが……いや、この瞬間に欲しいものって、他にあるか? こんな平凡な優しさこそが、この世界で何より尊いんじゃあないか。このキャラクター性は、他作品にも共通する。


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ラ・ラ・ランド』より

 そんな定番とも言えるキャラになった「オレたちのエマ・ストーン」だが、その言わば最終回となったのがデイミアン・チャゼル監督の『ラ・ラ・ランド』だった。自分の店を持つとか、そんなわけのわからない誇大妄想を抱いたボンクラ男ライアン・ゴズリングを好きになって、並んで歩いてくれるエマ・ストーン
 しかし、悲しいかな、彼女には女優という夢があり、二人はそれぞれの夢のために道を違える。もうオレたちとは一緒にいてくれない。時は流れ、夢は夢でなくなり、ゴズリンは自分の店を持った。そこへ夫と共に訪れるエマ・ストーン。もしかしたら、二人が一緒にいられた未来があったかもしれない。だが、現実がつながっているのは、そうでないここだ。言葉をかわさず再び別れる二人。
 だけど、あそこで去り際に振り返ってくれるのが、やっぱりエマ・ストーンが「オレたちのエマ・ストーン」である所以なんだね。他の女優だったらシリーズを時々考えるが、あそこで振り返ってあの表情を見せる優しさ、甘さこそがエマ・ストーンなんですよ。例えばキャリー・マリガンだったら、振り返らずに店の外に出て、そこでやっと一粒涙を零すだろう。ガガ様だったらゴズリンの曲が終わった瞬間にはステージにいて、すかさず一曲決めるはずだ。ブリー・ラーソンなら……おっと話がずれた。思考実験は尽きないが、あのラストのあの味はエマ・ストーンでないと出せないんである。


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バトル・オブ・ザ・セクシーズ』より

 そして続いてやってきたのが『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』、これは史実、設定からして、まったく「オレたちのエマ・ストーン」とは関係ないことがわかっていた。エマ・ストーンが演じるビリー・ジーン・キングは、自らのセクシャリティ、テニス・プレーヤーとしての矜持を賭けて戦う。彼女の選んだ彼女の人生だ。「オレたちのエマ・ストーン」は今、「エマ・ストーンエマ・ストーン」になって、初めて自分自身のために戦っている。その戦いに「オレたち」の介在する余地はない。
 ……だけど、それは本当に関係ないのか? 今までずっとエマ・ストーンに寄り添ってもらった「オレたち」だからこそ……今こそ応援すべきじゃないのか? オレたちは今こそ「エマ・ストーンのオレたち」となって、自分の戦いを始めた彼女を支えるべきじゃないのか? 襲いかかるのはスティーブ・カレル。この男もまた自らの誇りを賭けている。重い打球に苦戦するエマ・ストーン。映画館の客席、否、コートの観客席で、自然と応援する声が出る。

エマ・ストーン! エマ・ストーン! エマ・ストーン


 その声援に応えるかのように、急角度のダンクスマッシュが決まり始め、時代遅れの恐竜を圧倒する。この日のために走り込んできた、アスリートのスタミナが尽きることはない。いけ、いけ、エマ・ストーン
 作中では、あの後に別れる夫の人が、あるいはこの心情に最も近かったのかもしれない。彼もまた愛されることなく道を違えるが……それでも束の間、かけがえのない瞬間があったのだ。



 こういった後日談を経て、オレたちとエマ・ストーンの物語は、完全に終わったわけですよ。彼女は自分の道を歩き始め、きれいに終止符が打たれた。ちょっぴり物悲しくて、でも素晴らしいラストだった。いい関係だったんじゃないかな。

 しかしそこで『ゾンビランド:ダブルタップ』が来てしまうわけなんです。
 まさかの続編は、前作から10年、作中でも10年。もうアビちゃんとか言ってられないぐらい、アビゲイル・ブレスリンもすっかり大人になっている。もちろん、オレたちのエマ・ストーンも10年歳を取った。そしてオレたちの分身ことジェシー・アイゼンバーグもまた……。
 いや……なんか心配になっちゃうんですよ。これはつまり『ラ・ラ・ランド』では「夢」として描かれた、もう一つの未来なわけです。「オレたちのエマ・ストーン」と10年経ってもまだいっしょにいられる未来。でも10年経ってオレたちは、「オレたちのエマ・ストーン」と……果たしてそんなにうまくやれてるんだろうか? 関係は、始めるよりも続けて維持していく方がずっと難しいと言われます。10年という年月が経って、「オレたちのエマ・ストーン」もまた、変わってしまったんじゃないか。
 いや、「オレたちのエマ・ストーン」が変わらず「オレたちのエマ・ストーン」のままだったとしても、オレたちは今、その優しさに値する人間であるのかな。あれから、何か成長できているのかな。甘えるばかりのどうしようもない人間になってしまっているんじゃないかな。そんな結末を避けた『ラ・ラ・ランド』はどうしようもなく正しいんだけれど、でも、それとは違う未来もあったんじゃないか……その答えが、もしかしたらここにあるんじゃないか。

 そんなわけで観てきました『ダブルタップ』。
 いや……なんかすいません、ほんと。10年経っても相変わらずコロンバスことジェシー・アイゼンバーグは、口だけの頼りないヒョロヒョロモジャモジャした男で、目覚ましい成長なんてまったくしておりません。もちろん悪い奴じゃあないですが、意思も弱くて半端に傷つきやすい、ただの男です。10年経って、二人の関係もちょっとマンネリなんだが、そこで今さらプロポーズする外した感……。
 しかしそんな相変わらずの男に対し、たまにカリカリするんだけど、やっぱり帰って来てくれるエマ・ストーンの、10年経っても変わらぬ少しも気取らない感じな……。
 ああ……なんだろうな、「いつもありがとう」……これしか言葉が見つからない……。きみがいるから、この世界には価値があるんだ。これからもずっとずっといてください。フッ、これを手放すとは、やっぱりバカな野郎だったな、ゴズリンは……!

 エマ・ストーンありがとう、ありがとうエマ・ストーン! アカデミー賞も取って、役の幅も広がって、本当に素晴らしい女優になったけど、同時に定番キャラもアップデートされ、「オレたちのエマ・ストーン」は今作でも健在だった。10年経っても変わらないもの変わったものを、作り物じゃなく確かに見せてくれた。これはリンクレイターの『ビフォア』シリーズにも匹敵する表現ではないかね。こうなると、また10年後が見たいな。10年後も大して変わらずにウダウダ喧嘩してんのかもしれないけど……でも、やっぱりいっしょにいたいね。

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ゾンビランド:ダブルタップ』より