"ぼくの手首の傷"『シェイム』


 合間に行ってきました〜。


 エリートサラリーマンであるブランドンは、密かに性依存症を抱えていた。仕事の合間、昼も夜も性欲を持て余す毎日。そんなある日、妹のシシーが行く場所を無くして彼の部屋へと転がり込んでくる。渋々ではあるが、数日という条件で同居を受けいれたブランドン。だが、妹の存在は彼の生活に大きな波紋を呼び起こして行く……。


 一口に「性依存症」と言われてもなかなかイメージが湧き難く、かの天才ゴルファーがそれ故に顔面をゴルフクラブでぶっ叩かれたという話のみ知っていても、果たしていかなるものなのか見当もつかない。今作で主人公を演ずるのは僕と同い年の、マグニートーことマイケル・ファスベンダー。映画の中では一介のビジネスマンだが、近年大スターの仲間入りを果たした存在感もあり、タイガー・ウッズ的なイメージもつい重ねて見てしまう。すなわち、「金も名声もルックスも充分に備え、寄って来る女を食いまくるやりチン野郎」なんではないか……。


 しかしながら見始めるとそんな印象はどっかへ飛んで行ってしまう。この主人公、澄まし顔の裏であからさまに余裕がないんですな。男子高校生並に毎日自慰。エロ動画も自宅、会社を問わずPCに大量保存。家じゅうにエロ本を隠してあるし、金で買う買わないを問わず相手をとっかえひっかえ毎夜のセックスも欠かさない。電車でミニスカの女の子を追いかけてしまうあたり、もう完全にやばいですよ。毎日妄想に浸れてリアルなセックスもできて結構なご身分だな〜、それはそれで楽しいんじゃない?と非モテなら思うかもしれないが、我らがファスベン様はどのシチュエーションにおいても、超楽しくなさそうなんである。まさに中毒症状で、アル中が酒あおって全然うまそうじゃなかったり、薬物依存症が禁断症状出て泡吹いてるような、そんな切羽つまり感が漂う。


 さて、そんな人生を送ってる彼の元へ妹が転がり込んで来るということで、役者がキャリー・マリガンでもあるし「健全」な人生を送る妹との対比を描くのかと思いきや、この妹ももろに愛情依存、男性依存な体質なのだ。女性の場合は個人で楽しめる性的コンテンツが少ないので兄ちゃんの性依存症とは描き方がまったく違うのだけれども、しつこくしつこくかけてくる電話など、随所にそれが示される。初登場シーンは、左手に生身の兄、右側に妹の鏡に映った全裸のショットだが、これは互いが互いの鏡像であることを示しているのだろう。しかしこのショット、映画全体に通底された長回しの効果で、ついつい画面に映るもっとも目立つものに目が行ってしまうのだよね。すなわち全裸のキャリー・マリガンの陰毛でさえなく、ぼよんとたるんだお腹へと……。自堕落なキャラとしての役作りだと思うのだが、なんというインパクト! 長回しの間、腹ばかり気になってしまい、シーンの象徴的意味合いに思い至ったのはかなり後の話であった……。


 両親の話題などが出ず、家族はもはや二人だけ、であるらしいのだが、過去に二人の家庭で何があったのかは明確には示されない。ただ台詞で「悪い場所にいただけ」と語られるのみだ。この辺りから、ひたすら美しくない下手なAVみたいな娼婦とのセックスも、コミカルな側面を通り越して次第に悲痛さを帯びてくる。同僚を誘ってみるものの普通の恋愛関係を結べない兄の性依存症は、自虐的、自罰的な色合いをまとい、やがて妹の手首についた無数の傷とも重なる。妹を幾度も突き放そうとするが、決して離れることは出来ない。それでも二人は兄妹であり、あまりに多くのものを共有しすぎている。否定することは自分を否定することでもある。


 依存症そのものを描く本作では、そこからの脱却は示されない。さて、病気を抱えた彼はどこへ行くのだろうか? ラストの澄まし顔もそうだが、その前の3Pシーンの演技が圧巻で、


「ああっ、ダメなのに、いけないことなのに、でもキモチいいっ……! どうにもならないっ、バカッ、ボクのバカ……!」


 と言わんばかりの表情が素晴しすぎる。どうもすぐにそこから逃れることは、妹共々かなわなさそうではあるが、なんとかサヴァイヴしていってもらいたいものである。もろに飲酒運転の車に乗るシーンもあったが、そんなことしとったら危ないし、チンピラに刺されても知らんぞよ!


 終わってみればなかなかいい映画だったなあ、と思うが、見てる間はかなり眠くて、一曲丸ごと歌うシーンなどはうつらうつらとしてしまったよ。さて、性依存症について、映画で見てもまだピンとこない人は、このマンガを読もう(http://yusn.net/man/464.html)!