"人生に潤いを! 大切なのは掃除と弁当!"『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』


 三年ぶりの新作! 『序』と『破』を予習してから観に行ってきました。


 アスカとマリによって、宇宙空間から回収された初号機。だが、目覚めたシンジを待っていたのは、奇妙な場所と謎の検査。そして、どこか変わってしまったミサトらかつての仲間たちの冷たい拒絶だった。そして告げられる事実……。綾波を助けたあの時、サードインパクトは起きた。そして……
 

 14年! いきなりそんなに経ってしまっておった。我らが碇シンジ少年、冒頭で眠ったまま新たな敵を爆砕し、今回も快進撃を続けるのかと思いきや、開始早々に冷水をぶっかけられる。『破』で熱狂した人間に、今回はあれとは違うんだよ、と深く深く釘を刺すような一撃!
 わけもわからないままどでかい船が未完成なまま動きだし、グラサンのミサト艦長が例によって分の悪い賭けに臨む。しかしながらかつて、その分の悪い賭けをことごとく成功に導いてきた立役者のシンジ様は蚊帳の外! せっかく主役らしく「僕も行きます!」と言ったのに「何もしないで」と来たもんだ。


 しかし飛び立ったこの船、宇宙を飛ぶのかどこを飛ぶのか知らないが、スカスカの骸骨のような船だ。やたら気合い入ったブリッジとエンジン周り以外は、きっと何もない無味乾燥とした殺風景な手抜きデザインなのだろう。いったい何人乗ってるのかもよくわからないし、ブリッジ以外で何か動かしている人もいるようだが、おそらく大した人数は乗っていないと思われる。きっと、14年かけて必死こいて建造したんだろう。飛んで戦う、以外の機能なんてまずろくにあるまい。生活空間なんてカスだよ、たぶん。


 説明らしい説明もないここらへんのシーンを反芻してたら、ふと、「ああ、ミサトさんはもうビールも飲めないんだろうなあ」と思ってしまった。
 グラサンなんかかけて艦長面してるが、相当殺伐とした14年だったのであろうことは想像に難くない。新組織が動きだしてるが、名前がチラッと登場しただけの加持さんは、きっとその発足やら何やらに絡んだことで、テレビ版通りに消されたのであろう。ベッドシーンはおろか活躍する暇もなかったな……合掌。おまけに「行きなさいシンジくん!」とかけしかけておいたら、本当に世界がぶっ壊れてしまい、あとは延々と続く復讐と戦いの日々。旧劇場版でやった自衛隊との殺し合いみたいな日々を過ごし続けてきたのであろう。そのうち敵は人間でさえなくなってしまい、ど素人の集団のリーダーに祭り上げられて必死の毎日。気心の知れた人間もごくわずか。
 でも、そんな辛い人生も、湯上がりのビールさえあれば乗り切っていける!……と思ったけど、缶ビール売ってないよね、ということはおろか、もうこの地球では麦芽は取れないよね、というレベルで、おそらくビールは存在してない(SFなんかでこういうこぢんまりした所帯ができあがると、たまたま酒を醸造してくれる小器用な人間が偶然にもいたりするわけだけど、おらあそういう御都合主義は嫌いだね)。
 ビールも飲めないし、男もいないし、トップだから愚痴も吐けないし、いや、もう最悪です。ストレスMAXだね。そこに自分のこの14年の苦労をなーんもしらんシンちゃんが、「綾波は?」とか言いながらひょっこり帰ってきたら、そりゃあムカつきの方が先に立つだろう。さすがに、「本部全員が背負って戦ってる」とか何とか言ってた人は、世界が滅びたのはおまえのせいだ〜!なんて責任転嫁はしないと思うが、あのアホ面を観てるとイライラしてきて、つい「何もしないで!」 その後も口が重くなってしまうわけだ。人間、そんな簡単に大人になんてなれない!


 さて、我らが碇シンジ様ですが、前作において最強の使徒を撃破し綾波を救出したことで、大いなる自信をつけていた……そのはずだったのですが、いきなりそれが全否定! 何があったんですか! 綾波はどこなんですか!という序盤の二大シャウトがそのまま観客の疑問になり、最悪の「結果」として呈示される流れに雪崩れ込む。
 ん〜、「運命を仕組まれた子供たち」というのは、『破』の『パラノーマル・アクティビティ3』並のフェイク予告(一応、この予告が2.5的に14年の間にあったことをわずかながら示唆する材料だとは解釈している)に入ってた言葉ですが、まあほんとついてないね、この人は。ろくでもない親父を持って、孤児同然だったのに、勝手な都合で引っ張りだされておかしなところで戦わせられて、散々痛い目をみせられて、結果がチョンボだからって全部おっかぶせられて、まあはっきり言っちゃって知ったこっちゃないわな。
 彼の『破』における活躍というのは、確かに格好良かったのではあるが、微妙に「コレジャナイ」感もつきまとっていた。やりたくもないことをやってたはずが、結果を出すことでそこに適応して居場所を見出す……というストーリーは、ブラック企業や虐待親の肯定、そしてそれを許容してる社会とセットになりがちだ。戦ってる彼は格好よかった。『序』を観ていてトウジとケンスケをかばって触手をつかむシーンで、『破』を観ていて「綾波を……返せ!」のシーンで、僕はそれぞれ涙がこぼれた。その瞬間、僕に渦巻いた感情というのは、自分に向いてもいないことを、それでも他の誰もできないから、目の前の命のために必死になってやってる、ということに対する、少しの「同情」と、多くの「敬意」だった。
 その成功体験によって彼は変わっていったけれど、結果から来る自信はその結果が消えれば簡単に崩壊する。この世界では、その「世界」自体が簡単に天秤にかけられる。勝つか、世界を失うか、結果だけが求められる世界だ。勝ったシンちゃんは皆に褒められた。負けたシンちゃんは今度はけなされた。負けた結果、失われたものが大きすぎるから非難も馬鹿でかくなる。


 でもしようがないっすよ! もともと向いてなかったんだから、この子には! そもそも勝ち続けててもやっぱり黒幕連中の計画通り、やっぱり世界は「わや」だったろうし。そろそろ向いてないエヴァ乗りは引退してもらう、それでいいじゃん。代わりに何か、向いてることをやってもらえばいいじゃない。


 ……それは何かと言いますと、そう、当然艦長様の殺伐たるライフスタイルに、少しでも彩りを加えケアすることだ〜! これしかねえ!
 まずは艦長なのに狭苦しくて何もなく、それなのになぜか散らかってるであろうお部屋の掃除! 終わったら洗濯! 飾り付け!
 そのあとは、もちろんお弁当作り! こんな何にもないであろう世界だけど、せめてジャガイモぐらいは作れる、と、そう信じたい! あのネルフで出てきたペーストのようなものも、加工次第ではもう少しマシなものになるかもしれないではないか!
 ミサトさんが目覚めたシンちゃんにかける言葉は「乗らなくていい」これは正しかった。だが「何もしないで」はルサンチマンと恨みに満ちてて大NG。続きにあるべきは「掃除お願い」でなければならなかったのだ。
 ああ、世が世なら碇シンジ君は、ちょっと頼りないけど優しくてお弁当作ってくれるかわいい子、として楽しく世渡りしていけたはずだったのだ。あるいは料理人としての才能に目覚めていたかもしれない。くだらないマッチョイズムに取り憑かれた野郎じゃねえんだから、ロボットに乗って大活躍とかそういう夢想はそんな連中に任せておけばよろしい。料理だって失敗することもある。でもアスカの「今日はまあまあね」がもうちょっと悪い評価になるだけのことだ。そんな平和な世に生まれていれば、いくらでも幸せになれたものを。


 「何もしないで」とか言ったりしてるのに、未だにミサトさんやアスカが彼に対して期待を残しているあたりも、何かむしろ切ない。その期待の中身は、きっと「今度こそ世界を救ってくれる」ことと「私のためにお弁当作ってくれる」ことがごっちゃになっているだろう。それは、すごく歪なことに思えて、ひどく人間らしくて哀しいね。


 そんなこんなで否定につぐ否定を受けたシンちゃんが、彼の行為の結果だけを見なかったカヲルさんにあっさりハマってしまうのが、この後の展開。仲良くなるきっかけは「お料理」じゃなくて「音楽」だったが、こういう時の心のケアにはこういう文化的なものが大事なんだ、という象徴。結局上手くいかないけれど、綾波9号のところに本を持っていくあたりもそうだ。そして冬月さんの将棋。
 ゲンドウとか、もはや文化どころか愛人さえいらなくなってるんだな。もうチンコも切っちゃったんじゃない? あのゼーレメガネはサイボーグ化したようにも見える。『CYBORGじいちゃんG』のようだ。ミサトさんもゲンドウもグラサンなんかかけて、非人間的な「闘争」と「作業」の繰り返しに明け暮れて、すっかり駄目になっている。今こそ必要なのはお食事会だ、馬鹿野郎ども! あるいはあれが実現していれば……。
 残念ながらカヲルさんはブラック企業の側だったので、せっかくの文化活動もマインドコントロールの一手法のようになってしまっていたのが残念である。


 しかしまあ、延々と地下に下りて行って世界の状況を見たら、麦どころかぺんぺん草が生えるかどうかも怪しいし、人間以外の生き物もどうなったことか。空だけはやたらと青いが、これを見たら「世界はもう終わってる」と思いたくなる。ネルフ本部と船団以外にはもう人なんていないんじゃないか? フォースとかファイナルとか(カウンターじゃないよ)出すまでもなく、守るべき世界はもうないんではないか。ご丁寧に、もうチャラにはならないよ〜、ということまで示されてしまったし、この闘争に決着がついたあとはどうなっちゃうのか。こんな世界になっちゃったけど、それでも生きて行くしかないのか?


 続きは2〜3年後に持ち越しだが、シンジ君はきっともう一回だけ向いてないことをしなければならんのだろうな。今度こそ何もかも終わるのか、それとも残った人たちと弁当作りと子作りに励める世がやってくるのか。それはまだ決まってもいないような気がする。


 今回、本編の上映時間は95分ぐらいで、短いんじゃないのと観る前は思ったけど、これ以上の時間、鬱展開引っ張られなくて良かった。そして、戦闘シーンとかエヴァ用語(笑)が目や耳から入って来るものの、スーッと通り抜けてどこかへと消えて行った。今、ろくに思い出せない。やっぱり俺は単なるゼルエルファン(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20100525/1274768540)で、この15年でエヴァファンだったことは一瞬たりともなかったのだと実感もしてしまったのであった。