"あれから三十二年の月日が流れた……"『唐山大地震』


 試写で鑑賞。世界最大級の惨事となった、大地震の裏に隠されたドラマ。


 1976年7月28日、唐山にて大地震が発生。それは、ある家族にも降りかかり、その絆を引き裂いた。夫は妻をかばって死に、幼い双子の姉弟も瓦礫の下敷きになる。さらに、運命は母親に苦渋の選択を迫る。瓦礫をどかすには、どちらか片方を犠牲にしなければならない……涙ながらにひ弱な弟を生かしてくれと選んだ母は、片腕を失った息子と共に被災地を離れる。だがその時、瓦礫の下で息絶えたはずの娘は、雨の死体置き場、父の遺体の傍らで息を吹き返していたのだった……。


 トンボが乱れ舞うオープニングから早くも異様な雰囲気が漂い、開始数分で大地震! 当時のその地域の建物の耐震性は皆無に等しかったそうで、あっという間に街は無茶苦茶に! タイトルにもなっているこの地震のシーンはさすがの迫力。ここで幼い双子は生き別れ、母は娘の生存を知らぬままに。


 ここから現代まで、三十数年の月日が流れていく。母親は片腕となった息子を育て、娘は人民解放軍に拾われ、そこで兵士夫婦に里子として引き取られる。
 母と息子、義理の両親と里子の二つの関係を軸に、丁寧な演出で、「血縁による両親と子のつながり」という枠からはみ出してしまった家族像が描かれる。母と息子、母と娘、父と子……地震によって傷つけられた家族と、その地震によって生まれた家族は、共に癒しようのない痛みを抱えながら、それでも時を過ごしていく。
 「そういう家族は不完全で、不幸になる」という思想がちらりとでも見えたらどうしてくれようかと思ったが、この映画はそういった立場は取らない。すれ違いがあっても、お互いに理解しあえない部分があっても、絆は変わらないし、新しくつながることだってできる。いや、むしろそういう理解しあえない部分さえも、互いに受け入れられるのが家族であるという風に肯定される。
 成長した二人の子たちも、やがて自分の家族を持つ。親との関係に消化しきれないものも抱えたままで、時に過ちを犯すが、逆に家族の側から許される。


 許し、許されること……言葉にしてしまうと陳腐なのだが、今作はその過程に、丹念に描写を積み重ねていく。それでも決定的なトラウマとなった部分を許すには至らないのでは……と思ったが、クライマックスにおいてそこにももう一押しがなされる。災害による喪失に真摯に向き合った姿勢が見て取れる。


 それはさておき、よこしまな僕は、生き別れの姉弟、義理の両親、と、これは近親相姦やら児童虐待が起きちゃうんじゃないかとドキドキしたのだが、そういう展開はなし! ちっ……。パンツ一丁で義理の娘の前をウロウロするお父さんが、嫁さんに「ふしだら!」と罵られるなど、意味深なシーンがあったので、これは後半にまさか……と思ったのだがあまり関係なかった。まあそういう家族関係の暗部も匂わせることが、より作品を豊穣なものにしているのだ。


 生き別れになった姉弟が、復興する中国と共に社会的にも経済的にも成功し自らの家族を得る下りや、姉を引き取るのが人民解放軍の兵士であったりするあたり、正直、国策的な臭みを感じないでもない。ただまあ、それだけの映画というわけではないし、親子関係の丁寧な描写は買いだ。試写会場では、盛んに鼻をすすり上げる声が響いていた。


 唯一もったいないと思ったのは、被災地で復興に尽力し、英雄、恩人と称えられる人民解放軍の描写が、整然と行進するシーンや、毛沢東の葬儀に涙するシーンなど、絵的にきれいなものばかりなことだ。唐山で泥にまみれ、死体を担ぎ上げ、その制服を汚して奮闘する本当にかっこいいシーンがなかったのが、非常に残念。もし、そこを何かで抑えてしまったのだとしたら、もったいなさすぎるな。

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