”東宝チャンピオン祭り復活!"『GODZILLA ゴジラ』(ネタバレ)
ついにゴジラが復活!
1999年、謎の振動により停電し壊滅した日本の原発。周辺地域は死の街として封鎖された。だが、原発で妻を失ったブロディ博士は政府の対応に異常なものを感じ、禁止区域への出入りを繰り返す。15年後、アメリカで軍人となり家族を持っていた息子フォードは、執着する父を連れ戻しに日本へとやってくるのだが……。
かつてのエメリッヒ版ゴジラとは比較にならないリスペクトを感じさせた予告編、全世界での大ヒットと、鳴り物入りで登場し、ついに日本公開の時を迎えた新時代のゴジラ映画が待望の日本公開日を迎えました。いや〜、わくわくしてこの日を待ち望んでましたよ。改めて初代『ゴジラ』のリマスター版も劇場で見てきたし、BDやBS放送などで『VSビオランテ』『VSデストロイア』も見て、さらに監督ギャレス・エドワーズの前作『モンスターズ 地球外生命体』もチェックしました。まあまあ、充分とは言えないかもですが、準備はしてきた! 決戦の場は、TOHOシネマズくずはモール、TCX! ドルビー・アトモス!
……とまあ、ひさびさに一本の映画を観るにしてはテンション高めだったのですが、ふと思い返せば、平成ゴジラシリーズ見に行ってた頃の中高生だったオレ、毎年こんなテンションだったよなあ。ムック本何冊も買って事前情報チェックしたりしてさあ。ビデオで旧作見たり……『海底軍艦』とか『空の大怪獣ラドン』とかもこの頃に見てたよね。
そんな感じで臨んだ今作、しかし、まさかその平成ゴジラを見ていた時代に受けた感覚を、ほぼそのまままた感じることになるとは思いもよらなんだ……。
オープニングがちょっとエメリッヒ版を思い起こさせる映像だったが、これは結構かっこ良かったですね。そこを発端として、今回の事件の発端となる、1999年の日本での原発事故、主人公の母の死と、父が取り憑かれることとなった事件が描かれる。並行して、遥か彼方の崩落現場で発見された巨大な骨と、謎の卵……。
15年後、成長した主人公は、かつての原発事故の現場だった禁止区域へ入ろうとする父親と、成り行きで一緒に行くことに。そこに隠されていた驚くべき真相とは……怪獣ムートーだった!
えっ、ゴジラじゃないの? ゴジラはどうも原発事故には一切関係なかったようです。さらに崩落現場に残っていた卵からももう一匹のムートーが孵り、アメリカを横断していきます。行く先々で破壊される街々……。
予告編ではこの怪獣ムートーは存在を伏せられていましたが、本編では割とさっさと出てきてしまうんですね。原発事故、大破壊など、予告ではゴジラがやったかのように見せられていたことが、8割がたムートーによるものだったことが明らかに。主人公の親の仇もムートーだし、米軍に先に脅威と認識されるのもムートー……。
うーんこれじゃ映画のタイトル『ムートー MUTO』じゃね? 一方のムートーがハワイに上陸したところで、やっとゴジラが登場、『ゴジラVSムートー』になりました。問題点の半分ぐらいはここに集約されてて、描写も話への絡みもムートーの比重がゴジラを大きく上回っているのですな。新シリーズ第一作として冠タイトル『ゴジラ』とつけた映画のはずが、なぜかシリーズ3〜5作目のようなバランスになって、ライバル怪獣に力点が傾いている。東宝チャンピオン祭りの『ゴジラ対ガイガン』や、平成だと『ゴジラVSモスラ』ぐらいの、ゴジラはもう周知の存在だからいきなり出てきて戦闘開始、のような……。
さて、このゴジラのハワイでの登場シーン、ギャレス・エドワーズはその巨大感を引き出して、なかなか一瞥では全体像を把握できないスケール感覚をちゃんと見せているあたりは上手いと思いましたよ。もったいをつけるだけつけてから、最後にどんと見せるあたりは良かった。……が、その登場と咆哮シーンでテンションがMAXになった瞬間、テレビでニュース映像を見るエリザベス・オルセンとその息子のシーンにぴょーんと飛んじゃうので、最高潮に達したテンションは一気に急降下させられ行き場を失うのでありました。えーっ、そこで切る奴があるかよ。せめてひとくだりは戦って、目の前の巨大ビルをぶち壊せよ。
また前シーンですでに姿を見せていたムートーがバンバン全身見せているので、ゴジラの方が作為的に出し惜しんでいる感がどうしてもするのである。
その後、ムートーを追ってアメリカ本土を目指すゴジラ。予告でもあったけど、泳いでいるそのすぐ側を軍艦が並走しているシーンは、いや、危なくね? 尻尾振ったら当たらない? そもそもガバッと起きて殴りかかってこないってどうしてわかるの?と甚だしく緊張感を欠く。さらに上陸直前、渡辺謙博士の乗ってる空母に直進コースで迫ってきて、「おっ、いいぞ、ぶち壊せ!」と思ったところで下をくぐったのには仰天したな……。
ゴジラは人間のことなんて気にも留めてない、でっかい存在なのだ!と言いたいのかもしれないが、それならわざわざ避ける必要はないし、悪役としての立場を全部ムートーに押し付けているあたり、ゴジラと人間との遺恨が発生するような展開をわざと避けているように見える。ハワイのシーンも大津波が街を襲って『インポッシブル』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20130621/1371811971)級の災害になってるはずなんだが、そこで親とはぐれた子供があっさり再会したりして、好対照なまでにお手軽になっているのも示唆的だ。
今作のゴジラは最初からとてつもなく巨大な存在で、50年代の水爆実験によって目覚めたのではなく、目覚めたゴジラを倒そうとしたのが水爆実験であったことが語られる。おいおい、「核への警鐘」から「核は怪獣を倒すのに必要だったんだよ」という180度の転換かよ、狂ってるんじゃねえの、と思ったが、どうもそういうことではないらしい。一言だけ「ヒロシマ」にも言及してるしな。
核実験はしまくったけど、結局ゴジラには全く通用せず、ムートーに至っては食糧にまでしちゃっている。核に対してある程度は批判的であり、「人類を滅ぼしかねない恐怖の火」ではなく、「所詮、神には通じないチンケなテクノロジー」に過ぎないと位置付けているわけだ。
そう捉えると、後半の核爆弾を巡るバタバタぶりから、たかがドアが開かないぐらいで最後に結局は爆発させちゃうコメディのオチのような展開の、いかにも軽く考えてるハリウッドの定番が見えてきてしまう。だいたい、広島に言及してる渡辺謙博士がその結果に対して何にも言わんのだからなあ。
今回のゴジラは大自然の象徴的存在としての神として位置付けられている……という話であるが、やっぱり「神」という単語を出したことにより、キリスト教の父性的な存在としての神様像に引っ張られてしまったようにも思えるね。神様だから、積極的には人間にも危害を加えないし、悪魔的存在とも戦ってくれるんだ、という無意識的な甘えが見える。ハリケーン「カトリーナ」のような自然の暴虐の象徴とは、かなり遠いところに行ってしまったな。
妻を失った男がその仇であるムートーを追い求めたのと同様、あの巨大な骨=同族をかつてムートーによって失ったゴジラがその復讐を図るのは相似形であり、息子であるアーロン・ジョンソンが、束の間、その失った父親をゴジラに見出す、というのは演出としてもそこにつながってくるのではないか。ラストのアーロンとムートーの対峙、背後から助けるゴジラという構図は、傑作動物映画『子熊物語』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20121118/1353229865)の、子熊とピューマが対峙するクライマックスを想起させましたね。
しかし結局、アーロン・ジョンソンは身体こそマッチョではあるが、顔はイケメンすぎるし声は高くてオタクなので、ゴジラのような父権的苛烈さは得ることが出来ず、かつて自分の父が成し得なかった平和な家庭へと帰るのであった。うーん、ラストの再会のあっさりぶりもハワイのシーンと並んで何だかなあ、という感じであったね。何の感動もないよ。
だいたい、家族愛にオチがつくならそこはムートーじゃない?という気がしたな。数億年を超えて呼び合う愛と、新たな家族の物語じゃあないかね。このあたりはまさに『モンスターズ』そのままというタッチで驚いたところで、特に求愛シーンは笑ったね。物語の比率がムートー寄り過ぎで、こっちに感情移入してもおかしくなかろう。
単にムートーは街を壊す悪い怪獣で、ゴジラは街をあんまり壊さないからいい怪獣みたいなことになるラストも、いかにも薄くて悲しい。それは新聞の解釈に過ぎない、というエクスキューズも成り立つが、途中の描写を見たら消極的な破壊さえも避けているし、あまりに人類寄り過ぎる。それは結局アメリカ人好みに迎合した結果ということなのだろうが、その行き着いた先が、「子供だまし」とバカにされた東宝チャンピオン祭り的な単なるヒーロー像だったのは皮肉なものである。
クライマックスにおけるゴジラの巨大感や、わずかな回数の使用に留めた放射熱線の映像、破壊された街の描写などは素晴らしかったものの、どこか「余分なカット」を撮れないCGゆえの窮屈さも感じたところで、ハワイのシーンの登場からのぶった切りなどもそこが原因なのだろうな。
それでも怪獣対決の迫力は凄いし、二対一のムートーとのハンデ戦も面白く、人間が映ってるパートは段々どうでもよくなり、早く特撮シーンにならねえかなあ、と思ってしまったよ。……はっ! まさにこれはかつて平成シリーズの、例えば別所哲也がウロチョロするシーンに感じておったところではないかね。
アーロン・ジョンソンが行く先々で怪獣に遭遇しつつウロチョロするのは、臨場感を出すための演出の一環だったんだろうが、クライマックスではもうちょい傍観か応援かするポジションぐらいに留めても良かったんじゃないか。初代『ゴジラ』で宝田明の存在を忘れ去っても何一つ問題ないのと同様、今作のアーロン・ジョンソンも話を転がすためのどうでもいい存在なのは、実に怪獣映画的と言える。
全体としては、やっぱりめちゃめちゃ金と技術をかけた『ゴジラ対ガイガン』か『ゴジラVSモスラ』ぐらいの印象で、ああ、だいたいゴジラ映画のアベレージってこんなもんよね、というのを思い出しました。毎年、観る前はすごくワクワクしていたのに、実際に観たら微妙な心持ちになる、そんなクオリティこそがゴジラ映画……ギャレスも別にそこまで踏襲せんでもええのにな。
さて、日本公開2日後のコミコンにおいて、次回作決定、ギャレス・エドワーズ続投、そしてラドン、モスラ、キングギドラの登場が発表されたそうで、これはあれですよ、映画が終わった後に来年の続編の告知が出て、「うおおおおーっ! 次はメカゴジラか!」と早々と気持ちを切り替えたあの感じと似ている。そして公開まで、また事前情報などチェックしつつワクワクワクワクするわけだ。あー、モスラが成虫にまでなったら、まさに『真・三大怪獣』だね。ラドンのキーンって飛行音は再現するかな。キングギドラはどんな造形になるかな、キロロロロッて言うかな!とか考えていると、さっきまで観ていた今作のことなんかもうどこかに行ってしまうのであった。それもまたゴジラ映画。だからそんなとこまで踏襲しなくても……!
そして、また次も蓋を開けたら微妙な心持ちになるのであろうか。まあ次回作も決まった以上、ギャレスさんには「また大森一樹かあ」とか言われないように頑張ってもらいたい。
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