"破壊なき再生"『メタルヘッド』


メタルヘッド [Blu-ray]

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 2011年のナタリー・ポートマン・イヤー、とうとう5本目です。これが最後かな?


 事故で母親を失った少年、TJは、それが原因で心の病を患う父と、二人を心配する祖母の家に身を寄せていた。ある日、日頃の腹いせに廃屋のガラスを壊したTJは、その廃屋に住み着いていた長髪にタトゥーの男ヘッシャーに目をつけられてしまう。TJを脅し、家に上がり込んで住み着いてしまうヘッシャー。彼は何者なのか?


 主人公の少年とその父レイン・ウィルソンが何かが原因で心の傷を追っている、という冒頭。息子は今にもぐれそうだし、父は鬱状態。二人しておばあちゃんの家に世話になっている。そこへ謎の男ヘッシャーが転がり込んでくる。この序盤でヘッシャーというのはいかに常識外れで破壊的な男か、というのが一応語られるのだが、ただ何となく家に居座ってしまい、実際に日常が破壊されることがない。
 少し後で語られるのだが、少年の母親の死が二ヶ月前に起こっており、それによって父子は無気力状態に陥っている。すなわち、ヘッシャーという破壊的な人物が登場しても、「破壊」されるべき「日常」は、もうすでに壊れてしまっているのだ。事の後で壊れた日常にやってきたヘッシャーは、最初から自然と「再生」の役目を負うことになってしまう。
 こんなロン毛で無茶苦茶やる男がそんな役回りを背負わされる、というギャップは、視点がヘッシャー側からなら面白くなったかもしれないが、主役はもう猫の手も借りたい状態の父子。自分たちだけではもう何もできず助けを必要としてる状態なのは明白。では、いかれたメタル野郎はいつになったら意外な行動を見せるのか?と思いきや、延々とマイペースでやりたいことしかしないのだ、この男は。ヘッシャーの存在によって、それまであった何かが変わる、ということが結局終盤まで起きないので、一向に盛り上がってこない。ヘッシャー自身が意図してるかそうでないかはどっちでもいいんだが、その行動の一つ一つに、父子の現在の状況や今後の生き方にリンクするような含意がないのが弱すぎる。

 起承転結の起の部分である「事故」のシーンが終盤に回され、ヘッシャー登場という承の部分から物語が始まるのだが、そこからいつまで経っても転が起きず、結にそのまま入ってしまう。物語に起承転結の承結しかないのだ。
 間延びした間を埋めるかのようにナタリー・ポートマンが登場。一応、同じく不遇なキャラでも生き方や考え方が父子とはまた違う、というモデルケースかと思えるのだが、再生の役割はヘッシャーに負わされてるので、何しに出てきたのかやることがない状態。
 そういう映画でも、単にヘッシャーが眺めて面白かったり台詞の中身が面白ければ楽しめるんだが、その点でもややキャラ立ち不足か。これも総じて脚本の問題で、締めの屋根のペイントなど、途中で何度も入れておけばもっと盛り上がったんでは。


 うーん、なんか全然考えず、練らずに作ったような映画に思えてしまうな。
 ところで最初、ヘッシャーは他の人には見えない、という演出をしてるのかと思ったんだよね。ナタリーの車を降りるシーンで少年ばかりが気にしてたり、学校内で誰一人彼に目もくれなかったり。最初に警官に爆弾投げたのは少年自身で、ヘッシャーというのはこの少年にしか見えない空想上の願望の象徴である……と思ったんだが、あっさり親父にもばあちゃんにも見えちゃって終わり。まあそれは某喧嘩部映画と一緒だからありえないんだけどね!
 つまらないので、途中から実はヘッシャーは存在しないんだ、ということに脳内補完しながら見ていた。つまり車に火をつけたのも、ナタリーにハメたのも、それは少年自身であったのだ……! あるいは薬飲んで寝てる間のお父さんのもう一つの姿、ということでも面白い。それならほとんどのシーンの辻褄は合わせられるような気もするなあ。