『ガンダム00』終了に寄せて……なぜ乗れなかったのか?

機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン2 [DVD]

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 ようやく最終回を迎えた『ガンダム00』。
 最後まで心を打たない話であり続けた今作だが、自分の中ではその理由は明白。
 演出がださいとか、絵を使わないかわりに台詞を使い回すとか、設定だけでドラマが進むとか、まあ色々あったんだけど。
 でもやっぱり最大の理由は、「ソレスタルビーイング」の「ガンダムマイスター」という言葉に込められた、主人公たちの戦う意義が最後になってしか成立しなかったことだ。


 戦争で家族を失い、悲劇的な体験をし、人生を狂わされた人間が、戦争とそれを生み出す人間を憎み紛争根絶を誓う……。うん、これはまあわかる。「紛争根絶」というのがあまりにも漠然としすぎてるのと、個人的な復讐よりもそういう漠然としたスケールの大きな目標が優先されることの不自然さを除けば……。
 ……が、その紛争根絶を願う気持ちと、「ソレスタルビーイング」の「ガンダムマイスター」に選ばれて戦うという行動の間に、途方もない断絶が感じられる。一見、筋が通って見えるが、あまりに飛躍が過ぎないか?
 なんらかの自主的行動で紛争根絶のために戦う、というのならわからないではないが、「イオリアという人(ただし200年前に死んでますが)と量子コンピュータに、あなたは選ばれました。このガンダムをあげますから、ガンダムマイスターになって、紛争を根絶してください」と言われ、彼らはほいほいとそれを受け入れたのだろうか?
 いや、うさんくさ過ぎるだろう。裏があると考えるわな、普通。実際、あった。イオリア計画というのはいつあるのかもわからん宇宙人との対話のため、だったし、刹那が選ばれたのはリボンズの気紛れ。計画には当初のものを変更し人類支配へと目標をねじ曲げたリボンズの思惑が絡み、ガンダムマイスターは手駒として利用されることとなった……。物語の初期から、すでにこういう事態は進行していた。
 ……なのに、誰もこれを疑わない! 彼らは自分たちが道具として利用されている、という事実に気づかぬまま、戦闘行為を続ける。そこに何の疑問も抱かない。あるのは「俺たちがガンダムだ」という台詞に象徴される思考停止のみ。「紛争根絶」が「恒久平和」となり、巨大な武力による支配につながる、そのありふれた構図、いつの世も権力者は綺麗ごとを振りかざす……それになぜ誰も気づかないのだろう。太陽炉……自分たちで作ったわけでもない、借り物の兵器。それを振りかざし、なぜそんなにも誇れるのだろうか。なぜ、与えられた装備と肩書きを自分の意志と信じて疑わず、正体もわからないコンピュータと金持ちの情報を鵜呑みにするのだろうか? 


 物語が始まった当初から抱いていた疑問だった。当然、どこかでトレミーのメンバーが結集したいきさつが描かれるものと思っていたのだが、とうとうなかった……。そのあたりの描写があれば、まだ納得できたはずなんである。イオリアという人はいかに偉大な人物であったか、ヴェーダというコンピュータの先進性とは、王留美は同じ志を抱く信用できる人物で……そういうことが描かれていれば、主人公らは「お人好しである」というだけでまだ納得がいったはずだ。だが、話が進めば進むほどうさんくさく怪しくなってくるそれらを、刹那たちは疑う気配も見せない。作られた人形であるティエリアが盲信しているのは仕方ないとして、他のメンバーはどうして何の疑問も抱かないのだろう。決定的だったのは、王留美の紹介で入って来たアニューが裏切った、しかも敵の首魁の一味だったのが確定したところ。……なぜ、紹介した人間を露ほども疑わないのだろう?


 時に有能な面を見せる主人公らだが、こういう問題には意識がいかない。
 ……キャラクターが賢くなったりバカになったりする脚本というのは、要するにご都合主義なのだ。練り込まれていないのだ。最初に用意された話の筋書きがあって、キャラクターはそれに合わせて動いているだけなのだ。生きていないのだ。
 命令されるままに動くバカな人形だったティエリアを主役に据え、彼が自我に目覚める様を描くのが、この流れに沿ってみれば一番自然だったように思う。我々視聴者は、主人公に対して、違うよバカだな、と突っ込みながら見ればよい。
 イオリア計画の全貌が明らかになっても、誰もが「はあ?」としか思わない。主人公らにとってさえ、もう目的とはなんの関係もなくなっている。サプライズはサプライズとして機能していない。全体の流れが読めていないのだ。


 命令され、利用されているだけの人間が「自分の意志」を口にする……非常に滑稽だ。だが、ドラマになる滑稽さだ。そこからの脱却を描けばいいのだ。飼い犬が野良犬になり、負け犬に転落し、野生の獣として這い上がる……。しかし、そんなスピリットは最後に至るまで皆無だった。
 最初の「ソレスタルビーイング」の「ガンダムマイスター」はバカが粋がっているだけの虚名だった。「不死身の」以下だったと言ってもいい。最終回、リボンズを倒しイオリア計画の全貌を把握し、ようやく「ソレスタルビーイング」の「ガンダムマイスター」という肩書きは彼らのものになった。駒であることから脱却し、ようやく彼らは自分の意志で歩き出す。
 ……最初からやっとこうよ! メンバー集まった時点で、お互い信用できるのか、計画に裏はないのか、本当に意志を一つにしてるのか、スポンサーは何か企んでないか、問題を全部クリアしてから紛争根絶を始めてください。この物語における主人公らの最大の過ちは、アロウズの台頭を招く世界にしたこと以前に、そんな可能性をちらとも考えず、へいこらと武力介入を無自覚に繰り返したことだ。
 リボンズイノベイターを倒して、ヴェーダを掌握してから善意のスポンサーを募って……つまり最終話の状態に持って来てから行動を起こすべきだった。武力介入……主権を侵し、人の命を奪う行為には、それだけの責任、自分たちで責を負う覚悟が伴わなければならない。それを人の計画に乗っかってコンピュータの指示で行い続けて来た無自覚は、度し難い。


 そういったテーマをまったく描けなかった脚本、監督の無能には愕然とする。こんなものに共感できるわけがない。刹那の名の通り、瞬間の場当たり的な思考と発言しかできない、本当に戦うしか能がない主人公を据え、「馬鹿」を「覚悟」と言い換えた愚かしさは筆舌に尽くしがたい。


 「バカ」「復讐心」「人形」「頭の病気」「トラウマ」を抱えた人間たちが、うまうまと利用されて世界支配に一役買ってしまう。が、彼らはその過ちに気づき、自らの意志に目覚めて、私利私欲を満たそうとする悪を倒す。『ガンダム00』はそういう話だったと言える。だが、結局、前段でわざわざ「バカ」他を使ってる理由が何もなく、さらにそのバカさがバカとして描かれなかった時点で、その後の覚醒が効果的に描かれるはずもないのだ。全ては、最初から破綻していた。


 ああ、本当に『00』は面白くなかった。


 ……でも、コーラサワーはおめでとう! おかげで僕は、2日続けて結婚式でした(笑)。

機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン1 [DVD]

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