"流れ流れて砂漠を超えて"『楽園の瑕 終極版』


 ウォン・カーウァイ監督作のリバイバル上映。


 砂漠の宿屋に住むその男は、かつては剣士だったが今は殺し屋の斡旋稼業。毎年の春、親友が彼のもとを訪れて酒を飲んでいく。だが、今年親友が持ってきた酒は、忘れたいことを忘れさせてくれる酒だそうだ。酒を酌み交わしながら、後に”東邪”、”西毒”と称されることになる二人は、互いの間に横たわる浅からぬ想いを述懐する……。


 他は観ててもこれだけは観てない、という人が多いそうであるが、そもそも『グランド・マスター』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20130609/1370788635)しか観ていない自分は、これでカーウァイ武俠ものを完全制覇だ!と志の低い喜び方をしておりました。


 しかし観ていて驚いたが、登場人物の延々映るアップといい、述懐でつなぐ構成といい、全編そのまま『グランド・マスター』の原型ではないか。それらは多分、ウォン・カーウァイ映画ではいつものスタイルなのだろうが、それを武侠ものに代入するとこうなる、という一つのパターンが出来上がっている。
 ストーリー的にもそれは同じで、因縁のあるはずの相手が「必ずしも戦わない」ということは茶飯事、そのすれ違いの儚さを強調しつつ、レスリー・チャンの横顔が延々と映る……。キャラクターの行く末を語るのは字幕! 最後はわかったようなわからんようなモノローグで締める!
 さて、それと同じ『グランド・マスター』は楽しめたから、この作品も大丈夫だろう、と思ったらそれは大間違い。数々ある殺陣シーンが、ことごとく大変なことになっていた……。武術指導はサモハンだけど、『グランド・マスター』のユエン・ウーピンと比べるまでもなく、カットが延々と割られエフェクトをかけられ、もはや現場で何をやっていたかの原型もとどめていない!


 熱砂の砂漠でロケをしてたのは間違いないし、これは大変な撮影であったろうと思うが、残ったのがこれでは、まさにサモハンは討ち死にですよ……。「左利きの男」との対決や、女のはだけた乳が一瞬映るカットなど、その編集故にインパクトを残しているところもないではないのだが、誰が何と戦ってるのかが映像見ただけではまったくわからなくなっている。


 いや、重ねて言うがウォン・カーウァイの映画としては珍しいことではないのだろうが、武侠映画のはずが殺陣がこうなってるという要素を積み重ねてみると、もう珍作としかいいようがない。しかしまあ、通常の上映と変わらない1500円を払ったとは言え、リバイバル上映として当時を振り返りながら見ると、「ああ……昔観てたらそりゃあ切れただろうなあ……」と生暖かい気持ちになって半笑いで楽しめましたよ。超豪華キャストの若い頃も観られてよかったね。