『カムイ外伝』
さて、『カムイ外伝』ですよ。
公開三日目の祝日! 難波パークスシネマのレイトショー! ガラ空き!
こちらは公開前に書いた文章。
http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20090406/1239018488
さて、我が心の作品はいかに映画化されていたのでありましょうか?
完全にネタバレしてるんで、ご注意ください。
コミック二冊分のストーリーということで、映画一本としてはやや長め。ところどころカットされておりまする。
オープニングは漫画のカットをそのまま使って、今作以前の説明。カムイがなぜ忍びになり、抜けたかをさらっと描く。ああ……やっぱり漫画はいいなあ……。
まず原作の冒頭、スガルが漁師の男達に襲われ、追っ手の忍びの目を警戒してわざと強姦される(しかし実はその漁師が追忍で裏目に出る)シーンは丸ごとなし。原作ではここでカムイに助けられるものの、信じずに最初の対決を迎える……という流れなのだが、ここをカットして、すでに昔から知り合いだった、ということに。
この原作の冒頭、次のエピソードの再会につながる切っ掛けがまったくの偶然なので、ほとんど独立したシークエンスになっている。ゆえに、カットしてもさほど違和感はなく、まあ妥当と言えるところだろう。かわりに、カムイの少年時代、スガルが抜けるシーンを入れて代用している。ここで顔を知っていたので、カムイもスガルも再会した時にお互いと気づく……という展開。子役の顔の記憶がどうマツケンと結びつくのか謎なところにさえ目をつぶれば、まあ納得である。
しかしね、原作ではこの冒頭、面白いところだからちょっともったいなかったね。スガルの忍びとしての技量や必殺の千本打ち、甘さを残すカムイを陥れる覚悟……そんなものが詰まった、本当に独立して面白い部分なのだよ。対するカムイも、同じ抜け忍という境遇で彼女を信じたい気持ち、理解し合えると信じたい願い……そういったものが甘さに通じるというキャラクターの表現になってるわけである。そして、追忍を一人でことごとく打ち倒すスガルの強さと、それをもさらに凌ぐ、並の忍びとはレベルが違うカムイの天才性も余すところなく描かれている、アクションとしても優れたシーンなのだ。
それが丸ごとなくて、映画でのカムイの強さの表現は、山中での追忍の襲撃シーンに譲ることになる。
しかし、当然観客は初見なわけだから、このシーンも、そもそも忍者とはどういう戦いをするのか?ということの表現にコマを割かれた感じがするなあ。樹上での空中戦、移動しながら仕掛けるトラップ、跳躍力と格闘能力……。
このシーン、なんとなく原作の絵の構図をなぞっているのだが、木から木へ飛ぶ時のふわふわした動きがどうもいただけない。CGで合成しているわけだから当然なんだが、後の夜のシーンではやや粗が見えにくかっただけに、もう少し気を使って欲しかったなあ。
ここで変移抜刀霞斬りと飯綱落しの二大必殺技が登場です。ちなみに飯綱落しはここだけで、その代わりに二回披露してくれますよ。芦名星のどたまを容赦なくかち割るマツケンカムイ!
そして霞斬り……よそのレビューで、「カムイが量子化する」と書いてあったので「そりゃガンダム00だろ」と思ってたら、ほんとに量子化してましたね。分身して二つに分かれ、質量のある残像を斬らせておいて、本体が相手を斬るという……途中からF91が混じりましたけど、まあそういう感じでした。まあ正面切って映像にするなら、わかりやすい表現ではありますわね。
続いて、漁師の半兵衛が、領主の馬を襲って片足を切り落とすシーン。
……ここから、脚本のまずさが徐々に顔を出して来るんだよなあ。半兵衛が馬の足を狙うのは、その蹄に小魚が群れるという不思議な現象がある故で、それでもって疑似餌を作ろうとしているわけなんだが、この魚の群れるシーンが丸ごとなし! いや、それじゃ何のためにわざわざこんな危険を犯してるのかわからんだろう。
で、山に逃れた半兵衛、馬の脚を抱えて「ワッハッハ」と笑う。
出た! 「ワッハッハと笑う人その1」である! この映画、何かにつけて「ワッハッハ」と笑う人が、これから彼を含めて三人出て来るのだ!
偶然通りがかったカムイに助けられて、一緒に舟で海に逃れる二人。だが、ここで半兵衛はカムイをなぜか海に突き落としてしまう。
一方、佐藤浩市演ずる領主は、馬を失って怒り心頭、家臣たちに下手人を捕らえるように命ずる……のだが、ここが見ていて恥ずかしいぐらいのオーバーアクト! 殿は常にご乱心なのである。馬番の男二人の首を刎ねて飾り、それを見て「ワッハッハ」と笑う……出た! 「ワッハッハと笑う人その2」である! 「ワッハッハと笑う人」が「ワッハッハと笑う人」を追うという構図がここに成立するのである。
どうもこの「ワッハッハと笑う人」は、「一癖ある不思議な人物」の表現であるらしい。が、大事にしてる馬を殺された領主が怒るのは当然だし、半兵衛がミステリアスなのは最初の行動の意味が掴めない部分だけであとは大体まっとうな人なので、こんな表現は何一つ必要ないのだが……。
島に流れ着いたカムイは、再び半兵衛に拾われる。うーん、原作ではここは偶然水難に巻き込まれて流れ着いただけなんだよね。それで半兵衛は命の恩人を助けようとする……という流れ。しかし、ここでは殺そうとしたものをまた助けようとする苦しい展開に。一応、エクスキューズはされるけど、この流れはちょっと厳しい。
さて、夜の海で揉まれ身体の冷えきったカムイを助けるべく、半兵衛は妻のお鹿(実は偶然にもスガル)と娘のさやかに、裸になって彼を暖めるよう命じる……というのが漫画のエロいとこその2(ちなみにその1は冒頭の強姦シーン。すでにカット済み)。しかし、映画の小雪スガルはこれをブッチして、次女のツグミを抱いて寝た振りを決め込む! かわりに全裸で暖めるのは長男のゲンタ! えええええええええ〜、それはないよ!
で、さやかも一応カムイの横で寝てて、裸の肩が見えるので「お、こっちは……?」と期待したのだが、これまたちょっと胸元がはだけていただけだった……。で、目を覚ましたカムイに、
「あたいが裸になって暖めてやったんだよ」
と言うのだが、あのね、この台詞は漫画では「もうすでにどう見ても裸なんだけど、わざわざそれをアピる」という彼女の無邪気さを現したものなの! 決して、「今は服着てるけど、画面に映らなかったとこでは脱いでたんだよ。そういうことにしといてね」というアリバイ作りのための台詞じゃないんだよ!
殺されそうになったカムイは当然怒るんだが、ヨロヨロで褌姿ではどうしようもない。結局彼の世話になってしばらく居着くことに。ここでも、いつまでも残ってる必然性が薄いんだよなあ。原作の流れでいいのに、意味なく改変したところが理屈が通らなくなってるのがねえ。
CGの背景がまぶしい海に出て、馬の骨を使って作った疑似餌は絶好調。大漁である。半兵衛は妻の正体を知っていて、同じくそれを知るカムイを引き止めたいし、娘のさやかもカムイに惹かれていく。ここで漫画では名前だけの登場だった「吉人」がまさかのクローズアップ。さやかに惚れていた彼は、カムイを妬み、さらに大漁の半兵衛を羨んで疑似餌を盗もうとする。しかし半兵衛に三行半を突きつけられ、逆恨みして彼を役人に売ってしまうのだ。
その頃、カムイはやはり島を去ろうとしていたのだが、小舟に乗って沖に出ようとしたところをスガルに襲われる。水中での格闘……ここで漫画ではスガルは腰巻一丁で、原作のエロいとこその3なんだけど、映画ではがっちり着物を着ている。それじゃ泳ぎにくいだろ!
カムイを追忍と疑うスガルは、彼を殺して口を塞ごうとするのだが、カムイは自ら背を向け、殺せと言う。しかし急所を外してしまうスガル。ここは漫画では亀を踏んで偶然外してしまっていたのだが、自ら外したことになっている。ここはスガルのブレイクスルーになる重要なシーンのはずだったのになあ、なぜ知らぬ間に心を換えたことになってるのだろう?
吉人が半兵衛を裏切ったことはすぐにバレて、さやかは彼を憎み刺そうとするが、カムイに止められる。吉人は村人によってリンチに。うーん? 原作じゃあこういうリンチをカムイは嫌うはずなんだが……? なぜかと言うと、彼もまた「同胞」や「仲間」を捨てて、裏切ってきた人間だから。カムイはそういった社会に押し付けられた仲間意識を持てない人間で、人が集まれば出来る掟というものを嫌っているんだよね。確かに吉人は卑小な唾棄すべき人間と描かれているが……それをこうも超然と裁いてしまうことには違和感を感じる。
ワッハッハと笑う領主によって嬲り殺しにされそうになっている半兵衛を、刑場に乱入したカムイとスガルが救い出す。ここらへん、牛の大群とかはなし。
で、この大暴れが原因で追忍に包囲される……というシーンが漫画ではあるんだが……ここもカット。あれ? ここがないとさ……後々……んん〜?
別の島に舟で逃れる半兵衛一家とカムイ。しかし島に着く寸前、サメの大群に襲われる。CGのサメがまるで白浜アドベンチャーワールドのイルカショーのごとく舟の上を飛びまくる! いやいやいや! ないって! こんな飛ばないからサメは!
ここで伊藤英明演ずる不動率いる「渡り衆」というサメ狩り集団が登場して、助けてくれるのである。
順調にサメ狩りをして島の人に歓迎される渡り衆。しかし、カムイは薄々、彼らがただ者でないことに気づいていた。夜の船でカムイは渡り衆に襲われるが、これはカムイの腕を試そうとしてのこと、実は彼らは抜け忍の集団だったのだ……!
取りあえず協力関係を結ぶカムイと渡り衆。スガルもその事を知って、警戒感を強めるが、今は事態を見守るしかない。一方、カムイへの恋心を深めるさやかは、海底から二つの貝を拾って片方をカムイに渡す。「月日貝」というその貝は、太陽と月のようにお互いを呼び合うのだ。ここがさやかが全裸になって海に潜る原作のエロいとこその4(14歳の少女の未成熟な裸体ですよ)なんだけど、ここも着物のまま潜ってしまうのである。泳ぎにくいし、後で風邪引きますよ!
ところで、佐藤浩市バカ領主の城には、絵描きの老人がいたのだが、同じ老人がこの漁村にもいる。あれ? なんで? 怪しくない? 刑場にもいたから見かけてるかと思ったのだが、カムイもスガルも気づいてない様子。
カムイが村人に殺される夢を見たさやかは、渡り衆と共に沖に出ようとするカムイを止めようとする。いつになく陽気にそれをからかい、水を飲みながら心配するなと言う不動。カムイも月日貝を見せ、「離れていても心は一つだ」と笑って言う。少々諦め顔のスガル……。
しかし、沖に出た直後、謎の光が島の上空で輝く。あれは忍びの合図では? 先に島に戻るカムイ。そこで見たのは、島民の無惨な屍であった。漫画ではこの前に助けを求める抜け忍救出に向かう展開があったのだが、これもカット。ちょっと急展開。
そして、ゲンタ、つぐみ、半兵衛、さやかもまた、死んでいた……。さっきまで笑い合っていた彼らのあまりに突然の死。唯一息があったスガルも「水瓶に毒が」と言い残して息絶える。水瓶……? 最後に水を飲んでいたのは……不動!?
ここで不動が現れ、人が変わったように「ワッハッハ」と笑い出す! 出た! 「ワッハッハと笑う人その3」だっ! 「地獄だなあ、カムイ!」 実は彼の正体は追忍だったのだ! 沖の船では他の渡り衆も全員毒殺されていた!
いや〜、なんだろ、この溜めのなさ。出てきて信じる間もなくすぐに裏切るって……? 漫画では、カムイ達が追忍に包囲されたところで、彼らを皆殺しにして助けてくれるシーンがあり、それがカムイが不動を信用する理由となっている。そこで「わしらは国元から発した追忍。あんな公議の別働隊に手柄を横取りされてたまるか」という戦慄の台詞が入るんだよね。それが丸ごとないので、観客からすれば「ちょっと怪しかった人はやっぱり悪者でした」という風にしか視えないのである。
そして、絵描きの老人も登場……顔の皮膚をめくり……その正体はオープニングに登場していた大頭だっ! これも絵描きが怪し過ぎだったので、まったく驚きなし。そして、ここがおまえの墓場だ、といいながら大頭はなぜか撤退。不動と他の忍びが襲って来る。爆薬入りの長刀を投げて来る不動、味方も吹っ飛ばしてるよ! ここで「わしらは国元から……」が出るかと思ったのだが、なかった。別に下忍が死んでもどうでも良かったのか? その爆発を利用してカムイは砂に潜んでたりするんですけど……。
怒りに燃えるカムイは追忍をことごとく倒し、ついに不動との一騎打ちに。やたらと「ワッハッハ」と笑う不動! ああ〜、これは観客を苛つかせ、悪い人だと認識させるための記号としての笑いなんですね……。いや笑うとか誰でもできるから! もっと演技させようよ! と言うか、「ワッハッハと笑う人」を出していいのは、一人だけ! 三人も同じことやったら、それは演出の手抜きでしかないだろ!
いきなり霞斬りを仕掛けるカムイ、量子化……! だが、なんと不動も量子化し、お互いに残像を斬り合う。霞斬り破れたり!とまた「ワッハッハ」と笑う不動。
忍者刀で斬り結ぶ二人。ここのアクションはなかなか良かったんだよね。お互い、刀なんだから一撃必倒、もらうわけにはいかないギリギリの緊迫感が出ていた。……が、オープニングの飛びまくる戦いとのギャップが激しい。地味でいいからシリアスな殺陣にするか、少々過剰でもそれで押し通すか、どうも整合性に欠けたなあ。
再び霞斬りを仕掛ける不動、しかし、カムイは奥の手を隠し持っていた。不動の膝を蹴って飛び上がり動きを止め、背中に背負っていたもう一本の刀を抜く! 出た〜「十文字霞崩し」だっ! ところで、この映画、ところどころに無駄なナレーションが入って物凄くうざく、必殺技の説明もやってくれてたりしたのだが、「これがカムイの新たなる秘太刀、十文字霞崩しである……」というナレーションはここでは入らず。もちろん説明されてもうざいんだけど、漫画にはあった新必殺技へのネタ振りは一切なかったから、ここでも「ご親切に」説明したほうが良かったんじゃない?
両腕を切り落とされた不動に、カムイは「さやかたちはもっと苦しんだ! おまえも苦しめ!」と叫ぶ。あ〜あ、この調子では「サメに食わせる」シーンはなしだな。
しかし血を噴きながらもなおも「ワッハッハ」と笑う不動!
「スガルの死に顔、さやかの最後は楽しめたぞ! カムイ、お前もオレと同じ、人殺しだ! ワッハッハ!」
いやいやいや、違うって! これじゃ猟奇殺人者だろ! 楽しんで殺している不動が、生きるために殺しを重ねるカムイに対して同類と決めつける……それは『カムイ外伝』のテーマと全然違うから!
カムイは、自分が命を奪って生きていることなんか当然わかっていて、でもそれでも生きていたいの!
それは人間として、生き物としての摂理であり、自らが生きるために最善を尽くすことは自明の理であり、それを「掟」という勝手な理屈で縛ろうとする忍びの社会が許せないから、それへの反抗として逃亡し、戦い続けているのだ。そこにはそのまま、一部の人間が作り上げた「身分」という制度への批判が根底にあるんだよ。個人の生きる権利を内輪だけの論理で侵害する制度への批判が籠っている。そこに、快楽殺人者の論理なんかぶつけても、何の問いかけにもなってないんだよ!
カムイのある面での非情さというのは、原作でも明らかだ。正体を現す前の不動とともに追忍と戦い、敵わじと逃げ始めた追忍達をカムイは敢えて深追いし、皆殺しにする。なぜ追った?と聞く不動に、カムイは「術を見られた。生かしてはおけぬ」と答える。だが、それはカムイに取って生きるための当然の選択であり、非情に徹しても追忍達にだけは殺されないという決意の表れなんである。
原作の不動と言うキャラクターは、「わしらは国元から発した追忍。あんな公議の別働隊に手柄を横取りされてたまるか」という台詞からわかるとおり、利己的な面も持っている。そして、幼い子供たちまで毒殺する非情さも備えている。だが、それは決して殺人自体を楽しんでいるからではない。毒殺は抜け忍スガルとその正体を知る者を効率的に葬るための、単なる手段でしかない。彼の欲求はせいぜい手柄であり、その行動原理は「忍び」そのもの。「掟」を破った抜け忍たちを手段を選ばず抹殺する、そのためには幼い子供であろうと単なる障害として消す。「掟」とそれに支えられた「忍び」の社会こそが絶対である。それは、持って生まれた「身分」を絶対とする社会に作られた、個人の平等と尊厳を認めない全体主義的な価値観の中の思考停止した論理であり、カムイが憎み嫌ったもの、そのものなのだ。
カムイが「術を見られた。生かしてはおけぬ」と言った時、不動は内心戦慄したが、同時に疑問も感じたのではないだろうか。この男はなぜかくも忍びとして完璧なのに、抜け忍としての道など選んだのだろう? 不動にとって、抜け忍とは損得もわからず敵うはずのない巨大なものに楯突く愚かな者達でしかない。不動には、カムイという人間がまったく理解できない。
カムイと不動は、決して似た者同士、「同じ」なんかではない。二人は、決して相容れないものを象徴しあっているのだ。
そこらへんを、この脚本はまったく……なにもわかってない! わかってたら「同じだ」なんて台詞が、あのクライマックスの大事なシーンで出て来るはずがない!
CGがしょぼくても、アクションが嘘っぽくても、小雪さんが脱がなくても、佐藤浩市が大根でも……テーマさえしっかりしていればまだ良かったのだ。頑張ったけど、予算やセンスが足りませんでした……それで済んだはずだった。
だが! 最後の最後で見事に裏切られた。カムイが何と戦っているのか、なぜ逃げ続けているのか、それを表面的にしか描けない奴らに『カムイ外伝』を映画化する資格なんてあるわけないだろう!
尻まで見せたマツケンは、表情の作り方なんかにも研究の跡がうかがえるし、怪我も押しての熱演だったと言えるだろう。大後寿々花の地味な雰囲気も良かった。しかし「ワッハッハ」の連発でぶち壊し、意味なく出てきたイーキン・チェンも討ち死に。土屋アンナに至っては……何しに出てきたんだ?
ああ……終わった。監督は続編とか言ってましたけど、頼むからやめてください。とりあえずこの映画はなかったことにして、記憶から抹消しなければ。もう崔洋一もクドカンも、オレは永遠に許さないぞ。
- 作者: 白土三平
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2009/08/28
- メディア: コミック
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