『ノウイング』


 50年前に小学生によって埋められたタイムカプセル。そこに入っていた、数字の羅列された紙には、この50年間に渡る期間に起きた大災害の日と場所、死者数が記載されていた。残る数字の示唆する災害は三つ。81人、170人、そして……。


 いや〜つまらないつまらないと聞いていたが、期待に違わぬ、まあ逆に言うと想定内のつまらなさ。予言やら宇宙人やらMIBやら家族の絆やら聖書やら、色んな要素が詰め込まれててまったく噛み合ってない。
 たぶんこれは、企画の出発点が「人類絶滅もので感動作品を撮ろう」というところから来てるんだな。人類絶滅ものと言っても色々あるが、まず前提として人類は『アルマゲドン』みたいに助かるか? それとも滅んでしまうのか?を決めて(この場合は滅んでしまう)、そこに至るまでの過程にいろんな要素を詰め込んでるわけだ。娯楽作品としては「人類絶滅」というオチを最初から明かすわけにはいかず、そこまでに「これからどうなるんだ?」という興味で引っ張るために予言の数字云々の要素を入れている。
 世界が終わろうとする中で、人はどう生きるべきか?を明確なプロットとして位置づけて、人物の心理をじっくり描けば、使い古された世界の終わりネタでも、それなりに見られるものになったはず。だが、娯楽大作として、


「地球消滅の映像スペクタクルが欲しいな」
「やっぱり父と子の絆を入れないと泣けないだろ」
「でも人類生き残らないと観客納得しないから、宇宙人に助けてもらおうぜ」
「中盤盛り上がりに欠けない? 地下鉄事故レベルのパニック描写入れよう」
「地下鉄関係なくない? これも宇宙人が予言してることにしようよ」
「単に宇宙人だと笑われるから、聖書と絡めよう」


……てな具合にパッと見で受けそうなネタを、後から継ぎ足している印象。アレックス・プロヤスは終末思想的なネタで撮りたかったのかもしれないが、あちこちから横槍が入ったのかもしれんなあ。結局まとめられないし、ビジュアルにも見るべきところは何もなかったから、この程度の力量なのかもしれないが。


 宇宙人の「予測」を「太陽の異常」のみにして、途中の飛行機事故やらをすべてカットすれば、もう少し座りのいい映画になったと思うんだがなあ。ただ、そうすると中盤の展開で気温の上昇やらをもっと描かなければならないし、「予言」の要素がなくなると、聖書に絡められなくなるな。


 ピット星人の男性版(一部の人大ウケ)のようなデザインの宇宙人にはちょっと笑った。翼のようなものがチラッと見えるカットは天使の隠喩だし、その後の地球脱出はノアの箱船なんだな。太古から地球を監視している存在、と定義づければ、なんとなくその行動にも意味を見出せる。
 が、それは、途中で数字に取り憑かれた主人公ニコラス・ケイジを説教する友達の、


「妄想だ! おまえは数字に意味を見出したがってるだけだ!」


という台詞同様、なんとかこのつまらない映画にも制作者の意図を見出してあげたい、という優しさに溢れた僕の深読みしすぎなのかもしれない。たとえそれがキリスト教原理主義者の陰謀であっても……(笑)。


 必死になってるように見え、なおかつちょいパラノイアチックな香りも漂うニコラス・ケイジは、キャストとしてははまってるんだがなあ。今回のつまらなさは彼の責任ではないかな。ヒットしたのかどうかは知らんけど……。