”もし世界が百人の村だったら”『猿の惑星 聖戦記』(ネタバレ)


映画『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』予告編

 シリーズ完結編!

 戦争がコバの裏切りをきっかけに戦争が勃発して二年。軍隊の攻撃を撃退しつつ森に身を潜めていたシーザーたちだが、ある日、裏切りと奇襲によって妻子を失ってしまう。仲間たちと別れ、妻子を殺した大佐を倒すべく旅立つシーザーだったが……。

 今回もあまり期待していなかったが、人間対猿の100対100ぐらいのスケールの小ささにはまたも閉口。前作ラストで、いよいよ全面的な戦争を示唆していたが、相変わらずやってることは「もし世界が百人の村だったら」みたいなスケールに止まっていてガックリくる。正直、猿のCGに金も手間も費やしすぎだろ……。

chateaudif.hatenadiary.com
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 対するはウディ・ハレルソン率いる軍隊で、悪辣ぶりに磨きをかけて、前作のゲイリー・オールドマンよりはいいキャラなんだが、生活感が全然なくて、これを人類側の象徴とされてもちょっと弱い。今回はいわゆる善人キャラが少女しか出ない上にファンタジー的なキャラなので、人類って一体どうしてしまったんだろう、と余計に思ってしまう。この山以外の場所に、軍隊以外の人は住んでいないのか……?
 現実の社会を舞台にした『創世記』から前作へ飛躍した時点で、周辺の人類社会については「まあなんとなく想像しておいてよ」と、その「滅び」を描かず逃げたわけだが、今作においても結局は猿によって「滅ぼされる」過程は登場せず。一作目のウイルスによって、人類はついに退化を開始し、旧『猿の惑星』につながることが示唆される。「そして猿の惑星になる」とウディ・ハレルソンが重々しく言うのだが、こういうのはキャッチコピーに留めておいて、その過程は映像と物語で見せて欲しかったなあ。
 局所的な戦い、個人VS個人の対決が、実は勢力同士、種族同士の対立のそのまま象徴であり、隠喩である……というのは結構なのだが、それだけでは大団円には弱いから、何とかして人類を片付けなければならない。
 実際は二つの勢力の将来を暗示するに留まるはずの二人の対決で、もう猿が勝ったことになってしまうとさすがにおかしいので、じゃあどうするかというと……雪崩だっ!
 人類を滅ぼしたのは雪崩だった! 猿はみんな木に登れたから助かったんだ!

 先細りの人類が、猿をゾンダーコマンドに仕立ててアウシュビッツもどきを作って弾圧する、という発想は面白く、さらにKKKとの内ゲバに発展するあたりのもう終わっている感は面白いんだが、猿軍団が逃げ惑ってるうちに雪崩が起きてみんな片付きました、というのはなんだかなあ。

 また、肝心のシーザーのスタンドプレーっぷりが、とてもじゃないが偉大な指導者という感じがしない。少人数でロードムービーしてる間に、みんな捕まってるやないの。「俺はコバだ」と言うなら、そこをもう少し徹底して欲しかったが、今作は第1作につながるというオチが先にあるせいで大胆な展開もできなかったか。アンディ・サーキスの顔芸に頼りすぎ。

 前作は、「中だるみ」だと思ってたから低評価だったが、今作が終わってみると「平均値」に近かったことがわかってしまった。やっぱりリメイクやらリブートやら、大していいことないな、と、また思わせられてしまったシリーズでした。