”星の降る夜に”『君の名は。』(ネタバレ)
新海誠最新作!
千年ぶりの彗星来訪をひと月後に控えた日本。田舎町に暮らす三葉は、町長である父との不仲や、神社である家の厳しいしきたりに嫌気がさし、友人とともに東京に憧れる日々を過ごしていた。ある夜、彼女は不思議な夢を見る。夢の中で彼女は、同い年の東京に住む男子高校生、瀧となっていて……?
前作の童貞映画『言の葉の庭』は45分の中編だったが、今回は大長編。長編は『星を追う子ども』(未見)以来ということになりますが、今年はジブリも細田守も不在の東宝の夏アニメ枠……マジ? 本気で言ってるの、それ? こんなオタク御用達、空とポエムばっかりの作家にそんな大作やらせて大丈夫なの?
予告見たら、前作とキャラデザは打って変わって表情豊かなものになっていて、それ自体はいいとしても実際問題使いこなせているのか、と不安も高まる。あー、心配だ心配だ。大コケして回復不可能なダメージを負わないだろうか、新海君が……と何だか気になってしまう。赤の他人なのにな……。でもさあ、なんかこう……ほっとけないんだよ! オレが観に行ってあげなくちゃ……という気にさせるんだよ!
この後の展開を示唆する映像とモノローグの組み合わせ、テレビアニメみたいなオープニング、そして相変わらずの空の美しさ……何か落ちてきてるけど……。冒頭はいつもどおりで、あ〜やってるやってる、またやってるよ、という内容。
そして前触れなく、突如「入れ替わり」が起きる……。男女間の入れ替わりの生々しさ、田舎と都会のコミュニケーションの齟齬などをコミカルに入れ込み、ただし決してねちこくならずテンポ良くさらりと……。見てて感じる気恥ずかしさはそのままあるのだが、過去作とは少し毛色が違って、そのこと自体をくどくど描かない。また、かなり大胆な省略が繰り返されていて、男の方が最初に女の身体に入った一日はバッサリカットされ、周囲からの説明によって描かれる。逆に女が男の身体に入った一日はしっかり描かれ、次ではそれが逆転し、時に同時進行する。
今作、後半への伏線もあってかなり情報量が多いのだが、いつもの演出をしながら手際が格段に良くなっていて、モノローグも抑えめで、みっしりと絵で見せてくる。
徐々に惹かれゆく二人の、邂逅の時は迫っている……はずだったが……実は女の方はすでに死んでいたのだっ!
だがしかし……そうはさせない! オーロラが出たことで過去のお父さんと無線がつながってしまう『オーロラの彼方へ』という映画がありましたが、そこで火災で死んでしまうはずだったお父さんを救おうとしたのと同様、今作でも……過去を変えるのだ!
オーロラと今作の彗星が絵面的にかぶるので、新海誠もこの映画見たんじゃないかと思ったが、その彗星が割れて落下し、ど田舎の街を直撃したから仰天しました。いや、新海映画の空やら天体現象はただの風景であり、とにかく美しいもの、せいぜいが物悲しいものとして撮られてきていたので、それが突如、禍々しい牙を剥く展開には本当に意表を突かれましたね。やられた! シン・ゴジラの背びれビーム以上にやられた!
後半の展開は非常にアクティブで、「遥か彼方にいても思いは通じる」が設定や前提ではなくなっている。座って飯食ってるだけでも通じあえるわけじゃなくて、より行動し声に出して伝えていかねば何も成立しないのだ、というところが今までの新海作品と一線を画すものになっている。
ごちゃごちゃ恋愛と自分のことにばかりかまけているのではなく、故郷や家族、友人にも「対象」を広げ、より普遍的な想いの強さをも描く。おかげで非常に大作感が生まれているし、全国で一般観客向けに公開するのにふさわしい強度を手に入れている。
映像や演出など、新海映画の集大成でもあるのだが、はっきりと新境地も開いており、代表作として『君の名は。』以前、以後として今後語られるようになるんではなかろうか。
かといって、作家性、エゴ、ナルシシズム、それらが薄れたわけではまったくないのが面白いところ。田舎の閉塞感のようなものはきっちり描かれていて、自身の出生である土建屋を継ぐ継がないという問題、ヒロインの生家における世嗣ぎ問題、郷土の伝承の風化などが多面的に語られる……のだが、土建屋から平然と発破を持ち出し、バアさんの「婿養子のくせに」という人でなし発言をさらっと登場させ、陰口を叩くクラスメイトを一蹴りで黙らせるあたり、いや、正直だね……。
新海誠本人の田舎への郷愁は景色のみで、ヒロインの言う「都会に行きたい」、東京大好きが本音というところだろうか。彗星には世界が滅びる鬱映画『メランコリア』的な破壊衝動も感じる。人が死ぬ必要はさらさらないけれど、場としての田舎は滅び去れ! 災害描写は3.11メタファーなのだが、滅びるのが予言通り、みたいな乱暴さもあり、ババアの教えや伝統芸能が、街が救われることプラス自分の恋愛のために存在した、というのはすごいナルシシズムだ。
ヒロインや友人ら主要登場人物はみんな東京へと去り、親以上の世代のその後は語られないあたり、まさに「親殺し」の物語であったとも言える。
災害後も「東京」は無傷で温存されているあたり、ちょっとユートピアとして捉えすぎなような甘さも感じるが、そのエクスキューズとして、「この街もいつかなくなるかも」という台詞があるのかな。
ラストの構図は『秒速5センチメートル』そっくりなのだが、あの映画では去りゆく者に対して結局何もしなかった主人公が、別の男と結婚されてしまうという至極当然な結末を迎えたことに、妙に自己憐憫を抱いていたのが気持ち悪かったのに対し、今作でははっきりと出会って終わる。それはハッピーエンドであること以上に、社会に出た主人公があの体験を経て、恋愛という責任に直接向き合ったということが大きな進歩と言えるのではないか。映画はあそこで終わるが、人生は続いていく。
美しい思い出とともに故郷に訣別し、親殺しを果たし、仕事に誇りを持って社会に出て、愛する人と巡り合えました……って、文句のつけようもないな! 完全に脱童貞を果たし、新海誠はこうして自信に満ちた大人になって、その結果である今作でもって大きな名声を得たのだから、ちょっと出来過ぎではなかろうか。これはやっかみの声が出て当然である。おまえの本性は『ほしのこえ』じゃなかったのか! 『秒速』の頃に帰ってきてくれ! そんな怨嗟の声に対して、大人となった新海誠は何を思うのか? 少なくとも、もう僕が冒頭のような心配を抱く必要は、もはや欠片もなくなったわけだから、集大成たる今作を経て、新たな地平へと踏み出していってもらいたいものである。
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