”いつかぶっ放したい”『アイアムアヒーロー』


「アイアムアヒーロー」予告

 ゾンビ映画

 漫画家だったが鳴かず飛ばず、今はしがないアシスタントの鈴木英雄。徹夜から帰ったある日、破局寸前だった彼女が突如襲ってきた! 東京中が謎のウイルスに汚染され、感染した者は皆、生ける屍になる。趣味のクレー射撃用のショットガンを持った英雄は、東京から脱出しようとするのだが……。

 人気コミックの映画化ということで、原作を未読のまま見に行ってきました。予告は別に面白そうじゃなかった。ウィリアム・テル序曲を使うのは手垢が付きすぎてあまりに陳腐化してるから、そろそろ法律で禁止すべきではないか。

 主人公大泉洋は漫画家だが、連載が持てずにアシスタントで食いつないでいる男。妄想では威勢良くしゃべるが実際は全て独り言、引っ込み思案な男。同棲中の彼女との関係は倦怠期を過ぎ、破局の危機に。収入も少なく半ばヒモ状態、34歳になった彼女には「決断」を迫られる……。趣味はクレー射撃で、大量の弾丸と共に許可を得たショットガンを所持しているが、それも売っぱらわれる危機に。死守した銃ごと家を放り出された彼は、ドア越しに彼女に呼びかける。「許可証ないと、犯罪者になっちゃうから、取ってくれん?」

 他に言うべきことがあるだろう、という感じで、漫画家としては成功の見込みがなく、無駄な趣味にしがみつく端的にダメな男である。大泉洋の好感度でバランスを取っていて、この冒頭をこの主人公の本質と取るか、後の活躍への助走期間と取るかは見る側次第、ある意味フラットな感じ。
 深夜、こっそりショットガンを出して構えているところで、片瀬那奈演ずる彼女に「もう寝なさいよ」と言われるシーン、端的に言うとセックスを拒まれる隠喩で、現代日本ではクソの役にも立たないそれを後生大事に持ち歩いてるあたりも、まあ男性性の象徴だからであろう。ただ、拒まれて景気良くぶっ放す機会は当然ないままで、要は不能であると言える。

 家を追い出された彼は、同期デビューの漫画家の掲載作を読みつつ公園で打ちひしがれる。この時、近くのベンチに座っているホームレスらしき男が瘧のように震えてて、これは後のゾンビ化の前兆なのだろう。が、ここまでの社会的にも男性的にも存在価値を否定されたかのようなインポ野郎描写を見ていると、これから起こるお楽しみのゾンビ大暴れ以降の展開はすべて、主人公のいつもの妄想の長めの奴なんでは、という気がするね。ホームレスの男は将来の主人公の姿であり、彼はあそこに座ったまま、自分が「ヒーロー」になる妄想をずっと巡らせているのではなかろうか……?

 かくして非日常は到来し、東京上空を飛び去る軍用機の編隊。オスプレイとかCGがわざとらしくて興醒めだったが、町中にゾンビが大発生! 個々の性格によって走ってくるかノロノロ歩いてるか、割合マチマチなところが妙に緊迫感が出てて面白い。主人公の職場では漫画家やアシスタント仲間が感染し、古株アシスタントのドランクドラゴンのデブが日頃の恨みつらみをそれにぶつけている。持たざる者のルサンチマンはこのデブに負わされているので、同じ持たざる者でも大泉洋は別!と設定されているのだな。

 家では片瀬那奈が感染し、大泉洋を襲う! 襲うけれど歯がすでに抜けていたので噛みつかれても感染しなかった。さて、後に原作を読むとこの彼女のキャラクターやこの最初の感染のくだりはややぼかしつつも感動的かつウェットに描かれていて、なかなかいい話である。が、映画はこの泣けるくだりはバッサリとカットし、怪物化した片瀬那奈はあろうことか、もう一つの男性器の象徴である昔の漫画賞のトロフィーをぶち込まれて殺害されるのであった。
 こうして年増を合法的に?厄介払いし、後に長澤まさみと女子高生をゲットするという展開は実にさもしく、逆に言うとB級のゾンビ映画にありそう。ブラッシュアップして映画のテンポは良くなったが原作の深みや作家性は吹っ飛んだ。が、原作もいい話だとは思うが、反面「いねーよ、こんな女」とも思ったのでまあいいか……。

 東京壊滅の大カタストロフから、富士の樹海のまったりロードムービー感、最後はショッピングモールに立てこもりと、『28日後』なんかでもあったパターンをなぞる。途中の樹海のシーンは監督の初期作品『修羅雪姫』のロケ地を彷彿とさせたな……。
 途中でどさくさ紛れに仲間になる有村架純は、半ゾンビ的な存在になる。襲ってはこないが強いというジョーカー的な役回りだが、今作ではあまり活躍せずそこが良かったところ。登場シーンの八割はセリフないし演技もないし、対ゾンビの血塗れ乱闘にも参加しないし、役者としては存在意義が疑われるレベルだが、守られる対象ということで……。そう言えば、『修羅雪姫』の真木よう子も一切口を利かない女の役だったのを思い出す。これも監督のカラーであろうか……?

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 吉沢悠がモールに立てこもった人間たちのリーダー格で、なかなかいい感じにサイコっぽい。頭が切れて場を仕切っているけれど、実は相当に反感も買ってるキャラで、物腰こそ丁寧だが人を見下した感じがにじむ。それに反発する長澤まさみと、ここにやってきた大泉洋。主人公は、この地の閉鎖状況に過剰適応してしまった人間にないものを持っている。その決して利己的にならない善良さこそが……!
 安全地帯である屋上をウロウロしている大泉洋は、相変わらずショットガンをかついでいる。ここに到着するまで、何度かチャンスはあったのだが、結局一発も撃たずじまい。法律云々言うシーンもあるが、もはや法など存在していない社会において義理堅くそれを守り続けている辺りを何か格好いいと捉えるか、この後に及んでも勃起しない情けなさと捉えるか、『るろうに剣心』の刀は持ってるけど逆刃刀ですよ、というのに似てるかもしれないね。かついでるショットガンが装填途中の半分に折れた状態なのは、「中折れ」とか「半立ち」という言葉が思い浮かぶ。

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 まあ今の今までフラストレーションが溜まったが、ついにそのショットガンが火を噴く瞬間がクライマックスでやってくる。事ここに至り、ついに主人公もエレクトして不能状態を脱し、思う存分ぶっ放すことができた! 世界が惨状に見舞われた秩序が崩壊した後で、かつて持つだけ持ってて撃てもしなかった男が、ついに正しく発射できた。インポ治ってヒーローとかおめでてえな、という感じではあるが、ゾンビもののアクション映画としてはこれぐらいがちょうどいいような気もする。

 だらだらしゃべるダレ場など、邦画にありがちな欠点もちょいちょい温存されているが、韓国ロケも交えて撮ったアクションや人体破壊描写は素晴らしい。長澤まさみの演技の下手さや、絶体絶命のはずの屋上からあっさり脱出しちゃう緊迫感の乏しさなど、残念なところも多かったが、総じて非常に楽しめた。終盤のロレックスのシーンは声出して笑っちゃったしな。

 原作の細かいところをバッサリ割愛した脚本の手際はなかなかのものだが、そのせいか、終わっても何一つ残らないのは良し悪しというところか。原作はまだ続いてるが、あまり続編への色気も感じなかったところもいいですね。