”家族の肖像”『アバディーン』

 
 大阪アジアン映画祭2015、一本目。パン・ホーチョン監督作!


 香港の漁師町アバディーン。チェン家の父、ドンはホステスのタージェとの再婚を考えていた。だが、娘のワイチンはともかく、息子のワイトウはそれを認めようとしない。ワイチンは夫の浮気を抱え、ワイトウも自分の娘のあまりの可愛くなさに妻の浮気を疑うのだが……。


 一昨年の『低俗喜劇』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20130319/1363687733)、『恋の紫煙2』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20130327/1364302248)以来のパン・ホーチョン作品。結局どちらも日本では劇場公開されていないので、今作もおそらくそうなるであろう……。今年はパン・ホーチョンは審査委員長ということで来日しており、イベントにも姿を見せておりました。


 今作は香港を舞台にした家族関係のお話。ポスター・ビジュアル見た時には、えっ、この面子が親子!? と思ったものですが、ン・マンタが父親。娘がミリアム・ヨン、その夫がエリック・ツァン。息子がルイス・クーで、その妻がジジ・リョン。全然似てないよ!
 二世代三組の、それぞれに問題や悩みを抱えた家族を、また一人一人それぞれの視点から読み解いていく。パン・ホーチョン映画らしく理想的な人物は一切出て来ず、全員下半身は緩めで、言うなればありがちな等身大の悩みを抱えている。両親との関係、不倫、娘の顔が不細工なこと……。


 エリック・ツァンのベッドシーンは初めて見たような気がするな……。鬱っぽくなってきてる妻ミリアム・ヨンをよそに、看護師と不倫に励む医者役。楽しいんだけど、いちいち思わせぶりで要求も激しい若い子の相手もちょっとしんどいな、と思う瞬間もあったり。
 最近よく見た恋愛こじらせ男の話とはまた対極の、やりまくりであるがゆえにそれにこだわっていない男の話で、モテるモテないよりもずっと先の、人と関わることの責任、家族であることの意味も少しずつ浮き彫りにしていく。
 こう書くとマジな映画のようですが、登場人物たちはそういう大上段なテーマを意識しておらず、身近な、悪く言えば卑近とさえ言える「実感」をもって選択を繰り返していく。その距離感がひたすら上手いなあと感じると同時に、これが監督の皮膚感覚、人生観に近いのであろうな、と思う。


 塾講師役のルイス・クーのキャラがほぼサイコパスのようで、妻にも自分にも似てない娘を「ブー子」呼ばわり。本人が聞いているのも気づかず、妻に「君は美人なのにあの子は全然似ていない。将来が心配だ。誰にも電球も変えてもらえない」と、歪み切った価値観を披露する。一言発するごとに、実は妻が傷ついているのに気づきもしない。モデルと女優をやっているが、年齢的にもピークを越えつつある妻役がジジ・リョンで、事あるごとにその限界を突きつけられ、容姿へのコンプレックスを突かれまくっている。そして夫はまったく理解者たり得ていない……。
 まあ40過ぎてブスとか言ってる人が、映画と言えど急に心を入れ替えることなどないわけだが、そう言いつつもちょっとした価値観の変化は起こり、「整形した女なんてダメ」と言ってたのが「娘のためならそれもあり」に変わるという……知識によって人生は変わる、なんて訳知り顏でいうあたり、いい加減にしろよと言いたくなるのであるが、それでもまあちょっとはマシなわけで、実は自分が過去に整形していた妻(元の顔は娘そっくり)がちょっと救われ、美容云々に汲々としていたのから解放される……という展開に! 真面目に受け取ると噴飯ものな話なのだが、人の営みとは、そういった本人も意図しない発言などで結びつきやすれ違いを繰り返し、少しずつ絶え間なく変化していくということなのであろう……。


 呼吸一つで人生は変わる、という『シャンティ・デイズ』のコピーのような教訓。いや、そもそも人生とは呼吸することそのものなのだ……というわかったようなわからないようなテーゼを掲げ、なんとなくいい雰囲気になったような心持ちで映画は終わる。迷う家族たちと共に、時の流れの中で変化しうつろっていく香港の街並みも描かれる。


 ロジカルさではなく、漠然とした皮膚感覚や夢、幻想などを大事にした映画という印象で、なかなか良かったですよ。とりあえず1本目は好発進!

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