”名声を奪われたもう一人の僕”『ビッグ・アイズ』(ネタバレ)
ティム・バートン監督最新作。
大きな目を持つ少女を描いた「ビッグ・アイズ」シリーズは、1960年代に一世を風靡した。作者のウォルター・キーンは巨大な名声を得て、さらに絵のみならずポスターやカードを販売することによって巨額の利益を得る。だが、テレビに出演し著名人にも会う彼の陰で、「ビッグ・アイズ」に本当の作者がいることを、誰も知らなかった……。
「ティム・バートンの世界展」が巡業してたり、とうとうヘレナ・ボナム・カーターと別れたり、相変わらず話題の多いバートン監督でしたが、正直、本業の方はパワーダウン気味。『ダーク・シャドウ』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20120522/1337693995)も別に悪くはなかったけど、もう傑作は作れないのかな……と半ば諦め気分でありました。
そんな彼の新作は、ジョニデもヘレナも不在の実録物。実話ベースと言えば、『エド・ウッド』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20120522/1337693995)以来ではないか。
60年代、娘をモデルに大きな目の少女を描いてきたマーガレットが、画家崩れであるウォルター・キーンと出会い、社交的で人好きのする彼と結婚する。が、ウォルターはマーガレットの描いた「ビッグ・アイズ」連作を、自分の描いた絵として売り出してしまう。
ジャーナリストによる、距離を置いた客観的な位置からの語りを交え、ウォルターの行動とマーガレットの心情を丁寧に描写していく。結婚という制度に依存せざるを得ない当時の女性の社会的地位の低さに加え、シングルマザーであることの不安から、簡単に結婚に応じてしまうマーガレット。ウォルターは口も上手く女に手が早そうだが、絵描きという共通の趣味もあるし、不動産業もやっていて経済力もあるし、いっしょにやっていっても大丈夫……。
ウォルターが描いているのはパリの平凡な風景画で、およそ売れる代物ではない。やがて彼は妻の描いた「ビッグ・アイズ」を画廊に持ち込み、酒場の壁に飾って売りにだすようになる。少しずつ売れ始めたのは、妻の絵の方で……。
「これを描いたのは誰?」
この問いにマーガレットが自ら答えていれば、後の展開はすべて変わっていたのかもしれない。そんな転機を経て、ウォルターは嘘に嘘を重ねてこれらすべてを自らの描いた絵として詐称するようになっていく。
マーガレットは元から絵の売り出しに関しては得意でも熱心でもなく、この後も言われるがままに絵を描き続けることになる。もともと気が強くなかったせいもあるが、それでもその立場に甘んじていたのは、いい暮らしをもたらしてくれた夫への信頼に加えて、売れこそしなかったけれど彼もまた同じ画家であるということに強いシンパシーを感じていたせいではないかな。その共感が、「これは二人の共作だ」という屁理屈そのものの言い分になけなしの説得力を与え、ただ家にこもって描くだけの立場に甘んじさせた。これは、共同作業なのだ……。
しかし、そのちっぽけな共感さえも、木っ端微塵に砕かれる瞬間がやってくる。あのウォルターが描いたはずのつまらない風景画さえも、実は人の描いたものにサインを上塗りしただけだったのだ……。この塗りが剥がれるシーンが圧巻で、これ以降、ウォルターがべったりと嘘で塗り潰されたような怪物に見えてくる。あるいは、その水彩で塗り重ねたサインは、ウォルターのついた嘘であると同時に、マーガレット自身が見たくないものを見ずに済ませようとした心理の現れであったのかもしれない。
まあ何だって演じられるクリストフ・ヴァルツを起用し、少しは「アーティストになる夢破れた男の悲哀」を描くかと思ったのだが、そこは芯からアーティストであるティム・バートン監督、そんなものにコミットするはずもなかった。自分で描いていないと言われると異様に怒る男は、愚かしくそれゆえに暴力的で、その行為は今で言うモラルハラスメントとドメスティックバイオレンスに発展していく。そうして次々と彼を「救いようのない」人物として描写していくバートンの筆致には、かなりマジな怒りがこもっているように見える。
いや、今作は主人公は女性だし、自身の投影であるジョニデも出てないし、珍しくティム・バートンにとって個人的な話ではない……と最初は思っていたのだが、逆にこれ以上個人的な話もなかったのではなかろうか、という気が途中からしてきた。
バートンとて、人付き合いが下手で怪物や怪獣以外に友達のいないオタクであり、あるいはハリウッドにおいて活躍し始める以前、それ以後も、こんな経験をしたのではないか。「おまえのようなコミュ障では、永遠に世には出られない」「俺がセンスある宣伝をしなきゃ、オタク野郎の趣味レベルの代物が売れるかよ」……。バートンはおそらく相当にエゴも強い人物で、自己主張を重ねてそれと戦い抜いて今の地位を築いたのだろうが、実際のところ心が折れそうになったり、うかうかと人に委ねようとしてしまいそうになった瞬間があったのかもしれない。彼の受けた言わばオタク蔑視が、マーガレット・キーンの晒された女性蔑視とずばり重なった結果、限りない共感を込めたこの映画が生まれたのではなかろうか。
なんだかぼんやりとした私生活への不満を、いつものセンスに乗っけただけのように見えた実写映画の前作『ダーク・シャドウ』に対し、今作はどのカットも決めに決めていて、小道具の配置から、各カットの絵の大きな目の映り込み具合まですべてが計算されている。モチベーションがかなり高く感じられ、そこには怒りと義憤さえも透けて見える。自分のことじゃないけど、他人事じゃあまったくない、そんなお話。
そう考えると、色々なシーンが意味深に見えてくる。テレンス・スタンプ演じる絵画評論家が、威厳があり格好良く描かれているのが意外だったのだが、おそらくそれは評論家はクリエイターにとっていらつくことも言うし味方ではないけれど、決して「敵」ではないし、戦う相手でもないということなのではないか。バートン自身、「あの映画評論家、バッカじゃねえの? なんにもわかっちゃいないよ〜!」とムカッと来てぶちまけるのだが、酷評に対する反論は、結局のところ「次の作品」でしかあり得ない。その評論家に対し「描けない奴が評論家になるんだ〜!」と芸術家の権威を強調し、あまつさえ実際に刺そうとしてしまうウォルターの行動こそが、自らの「筆一本」で生きていない、自作に誇りも自信もない精神の現れである。
博覧会用に何十人も子供の登場する超大作を手がけるのだが、当の評論家にはフルボッコにされてあっという間にお蔵入りになる。ウォルターは野心丸出しでこの大作を構図まで指定し、言わばプロデュースするのだが、マーガレットはどこか乗り気ではなく、渋々描き上げたような格好に。そう、バートン自身、スタジオの肝煎りで、気乗りしないまま超大作を作って、不本意な結果を迎えたことがあったのかもしれないね。『アリス・イン・ワンダーランド』とか……。
別居し、ハワイに逃れてもまだ彼のために「ビッグ・アイズ」シリーズを描き続けていたマーガレットだが、やっとその支配から脱出するようになる。成長して全然言うことを聞かなくなってきた娘、勧誘に来たエホバの証人……何がきっかけになるのかわからんものだが、そのわけの分からなさこそが自由であり自立というものなのかもしれない。
ラジオでの告白を経ての訴訟、裁判シーンはヴァルツさんの独壇場なのだが、皮肉にも彼のその口八丁っぷりが、事実を争う場ではマイナスになる。最後にやっと「筆一本」でやってきたことが報われるシーンのカタルシスは、マーガレットを「赦し」、観客側をほっとさせると同時に、さて受け手としての自分たちも耳に心地よい「宣伝」ばかりに目を奪われていないか、ということをも問いかけてくる。
佐村河内さんがDVとモラハラする話で、60年代の話なのにものすごく今日的なのも印象深い。祖皇フォーカスライトよ、時代はさして変わっておりませぬぞ……。
「嘘」ならぬ「物語」を題材にした『ビッグ・フィッシュ』よりも、「才能」というファクターを通して実在の人物に限りない共感を寄せた『エド・ウッド』以来の実話ベースものとして、語られるべき作品。「才能」があり、若くして「名声」にも恵まれたバートンにとって、もしあの時妥協して長きに渡って「名声」を得られなかったら、というあり得たかもしれないもう一人の自分がマーガレット・キーンなのだろう。そこを成功者バイアスに囚われることなく、同じアーティストとして尊敬を込めて描いたバートンの優しさと礼儀正しさをリスペクトしたい。
そんなこと言いつつ、浮気してヘレナ・ボナム・カーターとも別れちゃったバートンですが、彼自身の別れ話は、今回関係ないから! またその話は次回作で語られるかもしれませんね!
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