”古き良き哲学”『誰よりも狙われた男』(ネタバレ)


 ル・カレ原作映画!


 ハンブルグで諜報機関の対テロ部門を指揮するバッハマンは、密入国してきた青年イッサをマークする。過激派として指名手配されているイッサを、CIAら他国の諜報機関も追うのだが、バッハマンはイッサが接触した人権派弁護士と銀行に手を回し、ある大掛かりな罠を仕掛ける……!


 フィリップ・シーモア・ホフマンの遺作、ということになるのかな。9.11後、テロに対して各国が過敏になる中、舞台となるドイツで、幾多のスパイ組織が、密入国してきた男を追う。


 『裏切りのサーカス』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20120427/1335511056)も記憶に新しいル・カレ原作ということで、実に渋い映画。ホフマン演ずる諜報組織のリーダーは、「本命」としてテロ組織に寄付金を横流ししている教授に狙いを定めている。しかし、証拠をつかめず四苦八苦していたところ、この密入国者の正体と境遇を知り、彼を利用することを思いつく。
 密入国者が結局、荒事と無縁の人なので、街中でテロやドンパチが起きることはなく、ホフマンやその部下のコッホ先生が、銃をぶっ放すことも決してない。リーダーのホフマン自身がベラベラベラベラと喋る中、部下は一切無駄口も叩かず(ダニエル・ブリュールはほぼ台詞なしですよ……)、淡々と地味に任務をこなす。


 ドイツの街並みは静謐ではあるが、何とも言えない緊張感が漂っていて、それはまさに9.11後、テロが拡散し、アラブ系と見れば疑心暗鬼に囚われるようになった時代の映し鏡。直接はまだ何も起こってはいないし、密入国者の正体も定かではないが、見過ごすことを極度に恐れ、先んじて行動することを自らに課す。
 その最も極端な形が、ドイツにも支部を持つCIA、アメリカの諜報機関で、多少でも怪しければ先んじて逮捕し、行く先はホフマンにも揶揄された「グアンタナモ」刑務所での拷問し放題……。全てを力で片付ける、まさにアメリカそのものとも言える手法。


 密入国者が接触する人権派弁護士がレイチェル・マクアダムスで、彼の本当の思いを知るに連れて保護しようとする気持ちを強める。そして、彼が接触しようとしたウィレム・デフォー演ずる銀行家も協力することに。だが、そこへシーモア・ホフマンが近づき、密入国者には全て秘密のまま、弁護士と銀行家に毒を垂らしていく……。
 こう書くと悪役のようで、実際のところ密入国者を利用するために裏切れ、とそそのかす役回りなのだが、それもまた彼自身のスパイ哲学なのだよね。密入国者の持つ資金による寄付を餌に、テロリストに資金供与する教授を釣り上げようとし、それを「世界を平和にする」行為であると、幾分皮肉をこめたニュアンスで語る。密入国者は前科こそあれテロリストではないし、ただ逮捕しても益はない。ならば、餌として利用し、後々に保護すればいい。弁護士にも銀行家にも、あくまで「協力」してもらい、そうして皆が少しずつ手を汚すことによって、大きな悪に迫り世界をより平和にしよう、という、まさに必要悪としてのスパイ哲学なのだ。


 教授の息子まで抱き込んだ数年単位での根回し、誘拐、恫喝……裏ではまさにスパイらしい違法行為のオンパレードだが、ある意味、一線は越えていないというポリシーのようなものも感じられる。それも、彼のスパイ哲学ゆえ、信念ゆえということになるか。


 予断と希望的観測も含まれた計画が、ぎりぎりの綱渡りの末に、ついに成就の瞬間を迎える。このあたり、まさに手に汗握ってしまったな。密入国者側の気持ちに立てば、どこかホフマンらの思惑が外れることも期待してしまうし、横流しという事態さえ起きなければ、世界は本当に平和だったということになる。だが、誰の心にもほんのわずかな悪意があり、それが教授にとっては、資金供与という手を汚さないテロとして現れる。証拠は掴んだ、全ては思惑通り……!
 ……だったのだが、これらが突然、全てぶち壊されてしまう結末がまた衝撃的。ホフマンが得意の弁舌で言葉を尽くし、根回しを施して、CIAで自分と近い立場にいるロビン・ライトを説得してつけたはずの段取りが、他ならぬ彼女によって眼前でかっさらわれる。思惑は全て破れ、密入国者も教授も全てCIAの手に落ち、弁護士と銀行家に対しては、裏切ったという罪悪感だけを残す最悪の結末。
 落とし所を探り続けた美しいスパイ哲学もクソもなく、力で全てを奪い取るアメリカの論理に上前をはねられ、いいように利用されたというショック。それがあの、


「ファァァァァァック!」


という叫びに体現される。思えば『スーパー・チューズデー』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20120409/1333970128)でも、シーモア・ホフマンは有能だが少々昔気質の人で、それゆえによりドライな考え方をする若者に取って代わられていたのだよね。シビアで、計算高そうでいて、どこかしら甘さも残る、そこが本来魅力で、それは彼個人のことに限らず、スパイという職業そのものも、かつてはそういう昔ながらの心意気のようなものが残っていた。だが、9.11とその後の憎しみの連鎖は、それらも決定的に変えてしまった。それが今の、現代のスパイである……。


 近年、スパイもの映画はことごとく敵を失って、組織内の内輪もめばかりやっていた感があったが、やはりスパイものの本家本元ル・カレのアプローチはすごいな、と感じ入ってしまったよ。
 そして、映画の中で裏切られ敗北したフィリップ・シーモア・ホフマンが、ああいう形でこの世を去ってしまったことも、どうしても何か示唆的に感じられるのである。