”ファーストネームはアダム”『アイ・フランケンシュタイン』


 フランケンシュタインが現代に甦る!


 世界支配を目論む悪魔と、それを阻もうとする天使の間で、人知れず暗闘が繰り広げられていた。そんな時、フランケンシュタイン博士の生み出した怪物が悪魔に発見されたことで、その勢力図に変化が現れる。怪物を狙う悪魔と、阻止しようとする天使。誕生から200年立っても生き続ける彼の不死身の肉体には、ある秘密が隠されていた……。


 そう言えば、本邦にも『エンバーミング』という漫画があるよね。今作は一応、メアリー・シェリーの原典の後日談という体裁を取っている。フランケンシュタイン博士がついに怪物を倒せず死んだ後、怪物は博士を故郷の墓に葬りにやってきていた。そこを襲う悪魔たち! いきなり「角生えてますよ、悪魔ですよ」というお顔に変身したからそのわざとらしさにびっくりしたが、そこに今度はガーゴイルが助けに駆けつける!羽根の生えたシュレックのような悪役顔だが、彼らガーゴイルこそが悪魔と戦う天使だったのだ……。助けられた怪物は天使の元からも行方をくらまし、僻地にこもる。そして二百年の月日が流れた……。


 この導入の強引さというか、まさに適当に作って無理やり現代につなげたような設定と展開からして、いきなり辛すぎる。なんで二百年も空白の時間を作る必要があるのか。なんで二百年経ったら急に出てくるのか。そして怪物はなんでいきなり悪魔退治をすると決めてるのか。
 二百年経って、天使は相変わらず古臭いお城に住んでて、悪魔は企業経営してるチグハグさも設定の手抜き感を感じさせる。街並みもまったく現代と思えないし、目をみはる美術のしょぼさ。
 そしてまた、アクションもしょぼいのだな……。悪魔も天使も景気良く飛び回るのはいいが、身体の一部に穴が空いたらどひゅーんと死んでいくような打たれもろさ。単に数を揃えてお互い倒し合えば盛り上がると考えてそうな、メリハリも創意も感じられないバトル。ケツアゴも棒を持って戦うのだが、なんで棒をチョイスしたのか謎だし、そのことによる優位性も何もないのだな。ただ持っているだけ。
 そんなしょぼい戦いに、人類の未来がかかっている!とか口で言われても「えっ、どこがどう?」と悩んでしまうのである。


 また天使と悪魔側のキャラにも魅力がなくて、天使側のリーダーのオットー・ミランダ、この人も普通にしていれば美人だが、結局はシュレック顏でなおかつ乳のあるガーゴイルに変身するという不遇な扱い。この人がぶれまくっているせいで、アーロン・エッカートも余計な苦労をする羽目になっている感じが辛くて、最後にこいつも始末すりゃいいんじゃないの、と思ってしまった。輪をかけて主人公の邪魔する天使のナンバー2は『ダイ・ハード5』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20130222/1361502514)の息子マクレーンの人で、よくわからない内に成敗されますが……。
 悪魔軍団のボスはビル・ナイなのだが、この人のポジションが悪魔の「王子」であるという設定も苦しい。「おじい」の間違いだろ。


 怪物につけられる名前が「アダム」というのも、うわっ、ベタやねえ……と仰け反ってしまった。そんな名前つけたら、この童貞の怪物に「イヴを作れ〜!」というかつての夢を蘇らせてしまいませんかね? 博士の婚約者を殺した件についても、「復讐ね、感情があるという証拠よ!」と、ものすごい理屈で擁護してしまうのに驚いた。スルーしてればみんな忘れてたものを……。
 現代の女科学者がケツアゴさんに助けられるのだが、どのキャラにも魅力がないせいか、恋愛どころか人間関係自体が全く生まれてこないのもアウト。最後は怪物にも「魂があったのだ〜!」というオチで締めとなるが、映画自体に魂が入ってないよ……。「アイ・フランケンシュタイン」と言い張るアーロン・エッカートさんの決めポーズもひたすら虚しい。


 『デビルクエスト』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20110805/1312519434)や『リンカーン 秘密の書』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20121113/1352802574)が面白かったような気がしてきた超凡作。来月の『ドラキュラZERO』まで巻き添えを食って心配になって来たのであった。

フランケンシュタイン

フランケンシュタイン

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