"怒りのヒポポタマス"『エリジウム』


 ニール・ブロムカンプの第二作!


 西暦2154年。富裕層が宇宙コロニー「エリジウム」に移住し、地球に残った貧困層は悪条件の中で過酷な労働を強いられていた。犯罪を繰り返した過去を持つマックスも、今ではアーマダイン社の生産ラインに従事し、ドロイドの製造にあたっていた。だが、出口の見えない労働を続ける彼を、突然の事故が襲う……。多量の放射線を浴びた彼の命は残り五日。だが、「エリジウム」の医療カプセルで治療を受ければ助かる。マックスは密航の手はずを整えようとするのだが……。


 一作目が斬新で面白くて「天才!」と持ち上げられるものの、その一作目で才能の全てを出し尽くしていて、二作目以降が出がらしでしかなく、あっという間に消えていく……なんてのは、まあ良くあることであろう。映画に限らず、小説の新人賞受賞第一作など出せばいい方で、一冊も書かずに消えていく、なんてことも多い。
 『第9地区』で鮮烈デビューを飾ったブロムカンプが、ハリウッドに軸足を移してビッグバジェットの第二作を撮れた、ということには、まず安堵したものである。
 自身のメキシコ旅行での、国境を隔てたアメリカ側との格差を目撃した経験を元に、地球と宇宙、二つに分かれた社会の状況と、そこから出ようとあがく男の物語を、得意のメカメカしいガジェットやアクション演出を交えて描く、ということで、内容も期待していた。


 ……ん……だ……が……これは……カート・ウィマーの『リベリオン』に興奮して、次に『ウルトラヴァイオレット』を観た時の感覚に似ているな……。かの作品の「ガン=カタ」に当たる、アクションや人体破壊のシーンはよりパワーアップし、迫力あるものになっている。
 だけど、世界設定の部分、富裕層の住む侵入不可能の宇宙コロニーがあって、貧困層の住む地球とは分断されていて……という肝心要の部分が、ビジュアルこそ素晴らしいのだが決定的に雑であった。まあガンダムの宇宙コロニーを例に取るまでもなく、宇宙空間から接近した船が、気密もないところに直接着陸する序盤から嫌な予感がしていたのだよな……。
 何の力もない貧困層の男が、肉体にプラスして強化スーツをまとってもそれは所詮螳螂の斧で、世界を丸ごと引っくり返すには、もう一つ何か、システム面のわずかな欠陥をあっと驚く機転で突くか、溜まりに溜まっていた民衆の憤懣が爆発するか、ちゃぶ台返しの一手が欲しかったところ。が、正味の話、富裕層側の体制の守りがザルすぎて、主人公側がいかにも雑かつ強引な作戦で勝ってしまう展開には白けてしまったのであった。
 本来なら、三部作ぐらいの構想があっても然るべきシナリオだったかなあ。無理に五日間に区切るから、かえってバタバタとした展開になったのではないだろうか。簡単に狙撃されてしまう社長のシャトルや、見た目通りあまり強くないドロイド兵士に依存した警備、「顔」のある人間が一切いない首脳陣など、これだったらもう誰かが打倒したんじゃね?という要素が詰まっている。そこを憂慮しているジョディ・フォスターが逆に有能に見える……という筋書きなのだろうが、この人もワンマン司令官の典型で、自分がいなくなると防空システムさえ機能しない司令部を抱え込み、懐刀は行動原理も怪しい危険人物。自分も組織も見えてない人なのだな。五日間でどうにかしないといけないから、弱点も複数用意した……って、そりゃあ本末転倒すぎるだろ! 縛りのはずが話を緩めているんですな。


 こうも危機状況の描き方が雑すぎると、結局のところ簡単に勝ってしまったように見える。これが、実際問題として格差や貧困に苦しんでいる人にとってのカタルシスになり得ますか? そこを主人公のキャラクターの「痛そう!」「つらい!」「苦労してる!」「頑張ってる!」に感情移入させてカバーする、というのも狙いの一つだったと思うけど、まあマット・デイモンのいい大学行ったわりには賢そうじゃないし、かと言ってどん底のマイノリティには見えない健康さは、色々な意味でマイナスであった。
 この人の自意識に乏しく感化されやすそうな個性を、例えばイーストウッドは『ヒアアフター』や『インビクタス』でも上手く使ってたと思うが、このキャラクターでは「何が何でも生きるのだ」という執念に乏しく、さらにアリシー・ブラガ親子に対して母親は「子供の頃の約束通り連れて行く」、娘は「病気を治して助ける」という別々の動機を背負ってエリジウムに行こうとするために、一個一個が全部希薄になっておる。カバの話自体は良かったが、あの取って付けた感は何なのだ。『LOOPER』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20130119/1358606686)を見習ってほしかったなあ。
 もう少し、世界設定の描写を増やして自然と転がってるような見せ方をすれば、ちょっとはなんとかなったかもしれん。エリジウムという小さいコロニーに移ってるのは、結局人がそれだけ減っているということだし、格差が拡大し過ぎて中間層が痩せ細りすぎ、あの司令室のぼんくらな部下たちみたいな無能な人材しかいないような末期的なことになっている、ということをもうちょい見せておけば、後半も多少はすんなり観られたかも……。


 こうやって見てると、あれもこれもと最初から整合性を考えず詰め込み、それでは話が転がらないから設定をどんどん追加して、四苦八苦しながらまとめたものの、結果としてグダグダになった……という過程が浮かび上がって来るような気がする。こりゃあもう、忍者刀や手裏剣出てきたというだけで喜んではいられないレベルだろう。リメイク『トータル・リコール』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20120825/1345818870)のひどかった終盤の展開を引き延ばしたような……って、ありゃカート・ウィマー脚本だったよ! いかーん、このままではニール・ブロムカンプが彼と同じ運命をたどってしまうよ。さて、カート・ウィマーは結局『リベリオン』の続編を撮っていないわけだけど、作られたとしてそれがかつてと同じ煌めきを放ったか、才能の枯渇をより印象づけたかは闇の中である。だからこそ僕たちガン=カタファンは甘い幻想にしがみついていられるのだけれど、ブロムカンプの真価はまさに『第10地区』で明らかになるのがすでに決定されているわけで、ああ、早く観たいなあ、この体たらくじゃどうにもこうにも心配だけどな!