"伝説が終わり、歴史が始まる"『グランド・マスター』


 ウォン・カーウァイ監督作。


 1936年、北の宗師ゴン・パオセンは引退を決意。自らの跡を刑意拳伝承者マーサンに継がせ、自身は南の地、佛山で引退試合を行い、そこで見出した達人に、激動の時代を迎えるにあたっての、武術会の南北統一の悲願を託そうとしていた。対するは佛山最強の達人、詠春拳イップ・マン。だが、マーサンも、マーサンと並んで父パオセンから八卦掌六十四手を継承した娘、ゴン・ルオメイもそれに反対し……。


 ウォン・カーウァイがイップ・マンを描いた映画、ということで、結構前から話題になっていたのだが、いったいいつ完成するんだ、とも言われていた映画。結局撮影に四年もかかってしまい、主演陣が泣きを入れつつもカンフー上達し過ぎた、ということが話題に……こりゃ期待も高まるじゃあないかね。


 『マトリックス・レボリューションズ』を思い起こさせるユエン・ウーピンらしい雨中のファイトで幕を開け、トニー・レオン=イップ・マンが、まずはカン・リーを圧倒! のっけからこんな調子だから、これはさぞかし怒涛のカンフー・アクション巨編になっているのかと思うが、残念ながら戦うだけがカンフーではないのだよね。殴って蹴って相手を倒すだけではなく、技量の見せ合いや技を伝えること、さらには流派に込められた思想も試される。そんな多様な視点から「功夫」にアプローチした今作、それに加えて日清戦争以降の激動の時代を経た今を描くということで、やっぱりバッタバッタと敵を倒すだけの痛快な映画にはならなんだ。
 それでもウーピン振り付けの殺陣の美麗さはやはり群を抜いているし、随所にハイレベルのファイトも盛り込んで、そちらでも満足のいく内容になっておりますよ。トニー・レオン演ずるイップ・マンは、主人公と言うよりも、実在の人物としてストーリーの軸になる存在。ただごろんとそこにある「歴史」のような存在感でもって、物語を支えている。本来なら、彼が動き「一代宗師」となるまでが、映画としてあるべき物語だったのであろうが、日本軍の侵攻により彼が東北へ行くことはなくなり、実現するはずだった佛山で出会った強敵たちと拳を交える機会は失われてしまった。


 チャン・ツィイー演ずるゴン・ルオメイもその一人で、イップ・マンとの初戦に限定されたルールながら優勢勝ちするという戦績を収め、さて東北でまた手合わせしましょう、という約束を交わす。互いに秘めた想いを抱えながら。だが、その機会が失われたことで、父の拳法の継承を賭けた孤独な闘いに身を投ずることになる。本来、ライバル的なポジションであったはずが、なぜか主役になってしまったような形に。父の弟子たちが周辺についているのだが、八卦掌の奥義を背負ったその重圧を理解しうるものは誰もいない。イップ・マンや、あるいはかつてすれ違ったカミソリという男ならばあるいは……というところなのだが、彼らはすでに遠く、ただ一人、兄弟子と相対することになる。
 いや、まさに今作の彼女は史上最強のチャン・ツィイーであった。新世紀の『初恋のきた道』であった『最愛』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20130113/1357991876)を経て、『グリーン・デスティニー』の血気盛んな天才少女のその後の姿であるような孤高の強者像を作り上げ、かつてない死闘、自身のベストバウトを演じてみせる。役柄的には『SPIRIT』前半のジェット・リーのような趣で、過ちと知りながらも誇りや強さへの執着を捨て切れない武術家の、強さと裏返しの弱さを示す。刑意拳を奪った兄弟子の住処へ「かちこみ」をかけるシーンの苛烈さと孤独さは白眉。そして、寒風吹きすさぶ駅における闘い……。
 戦いを終えて十年。さらにチャン・ツィイー自身の現在の年齢に近い、三十代を迎えた「今」を見せる。イップ・マンと再会し、「私が十年前何をしていたか……」と、かつての死闘を述懐するシーンの遠い目の演技がまさにその象徴であり、素晴らしいんであるが、よくよく考えると撮影に四年もかかってるし「あの時は寒かったな……マイナス30度とか、マジないわ……」と思い出したら、リアルに遠い目になったのかもしれないね!
 しかし、今作で究極のチャン・ツィイーが見られると思っていたけれど、想定していたクオリティのものがきっちり見られたにも関わらず、それはまだまだ通過点に過ぎなかった、と実感した。まだまだチャン・ツィイーは進化するし、これからの三十代後半へ向けて、今後、さらなる達人の領域へ進んでくれるのではないか、そんな予感がしますよ。


 あり得たはずの二人の恋物語はすれ違いに終わったが、それでも縁は残る。激動の時代を経てもなお……。カミソリは八極拳を伝えて多くの弟子を残し、そして神話と現世の架け橋であるイップ・マンから、ブルース・リーへ……。同じイップ・マンの物語として、アプローチは違えど『イップ・マン 序章』『イップ・マン 葉問』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20110206/1296983880)二部作と同じ着地点へ到達する。伝説の拳士達は去り、歴史が始まる。


 話の順番の前後っぷりや端折り方が豪快すぎて、結果として座りの悪い映画になっているのが合わさって、功夫史を描いた重厚かつ悲劇的な歴史ドラマとしての焦点はちょっとぼけてしまったかな。歴史的には重要なのに、チャン・チェンが全然話と関係なかったのもご愛嬌。それでもカンフーの美しさ、儚さを堪能できるし、力を持つことの意味と無力さをも知ることができる。期待したものとは違ったけれども、一つのアプローチの形でしたな。

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