"残ったのは物語だけ"『ライフ・オブ・パイ』(ネタバレ)
アン・リー監督作!
カナダに住むパイ・パテルの元にやってきた作家が聞き出した彼の体験談は、驚くべきものであった。インドからの移住の際、船が沈没し、移送していた動物園の虎と共に227日間を漂流した、というのだ。当時16歳だったパイ少年は、如何にしてその過酷な状況を生き延びたのか?
主人公「パイ」さんの語りで始まる本作、この時点で彼が助かることはあらかじめわかっているわけだが、そういう結果よりも、虎と一緒にどうやって227日も生き延びたんだ、という、過程に対する疑問こそが物語の推進力になる。
虎とは動物園時代に顔を合わせていて、父から「あれは猛獣だ!」ときつく言い聞かせられてきているという話を語るパイさん。虎とも心を通わせられるかもと主張する彼に、ズバリと「それはおまえが、虎の目に自分の心を映しただけだ」とバッサリぶった切る父。このあたりは、もちろん後の漂流シーンにつながる重要な伏線であるのがすぐわかる。
出港前の序盤、パイさんは自分の生い立ちから持っているスキルまで、延々と語り続ける。変な体型のおじさんに水泳を教わったエピソードや、フランス語のキラキラネームをつけられたせいでいじめられた話、さらにみずから「パイ」というあだ名を名乗るために黒板いっぱいに円周率を書き続けた、という「伝説」を語る。
一人称による語り、というのは実にくせ者で、映像ではまさにそういう話が展開されているわけだけど、作中世界で実際にそういうことが起きていた、とは限らないわけですね。このパイさんと言う人、真面目くさった顔をしたおっさんだが、円周率のエピソードはかなり話を盛ってるんじゃないの、と思ってしまった。冒頭の動物園から、映像は実に素晴らしく、アン・リーらしい詩情溢れるものとなっているのだが、この語りを映像化したものの美しさこそがまさに話を誇張している証であるのだよね。
だからと言って、美しい話ばかりというわけでなく、序盤は虎の苛烈さとパイ少年の挫折を描き、逆にリアリスティックさを印象付ける。
そこそこランタイムのある映画なので、結構前振りも丁寧で、なかなか漂流しない(笑)。家族との思い出、宗教にかぶれたこと、経済状況の危機、恋人との出会いと別れ……。船に乗ったら乗ったで、コックからの嫌がらせなどのエピソードが挟まり、これは『タイタニック』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20120410/1334059681 )並みに引っ張るのではないか……と思ってしまったね。
漂流が始まり、予告編でおなじみのトラのリチャード・パーカー以外にも、シマウマ、ハイエナ、オランウータンがボートに乗り込んで来る。この展開は非常に目まぐるしく、あれよあれよと言う間に次々と数が減って行く事態に。しかしハイエナの顔はかわいいんだけど小狡いところや、オランウータンの最後の表情の悲哀など、印象深いカットを次々と残していく。このあたりからもう、パイさんのモノローグこそ入るけど、現在の映像はスパッと入らなくなる。いよいよ話の本題に入り、語りモードが加速して来たことが伺える。
うまくいかないトラとの共存で、思い起こされる父からの教訓。そして、序盤のエピソードからは窺い知れぬ、いつ覚えたのかわからぬパイ少年の魚穫りや保存、筏作りなどのサバイバビリティ。浮上する輝くクジラや、完全に凪いだ海……。これはまさしく原題の「パイの物語」だ。
画面上で展開される映像は作中の「事実」ではなく、少なからず誇張され意味付けを施されたものであることが窺い知れるが、それは途中の「人を喰う島」のエピソードでより明確になる。ファンタジックでありながら、人にとっての「地獄」であるそこは、その横たわる人間の形からして非現実的だ。
「漂流」の物理的な過酷さではなく、そこにたった「一人」で取り残された者の「対話」を描いたような心象風景は、まさに意味の洪水で、深読みすればするほど面白くなっていく。
結末ではもちろん明確な「回答」も示される。こちらに映像は一切ない。ただ、淡々とした「事実」そのものの羅列があるのみだ。ご丁寧にインタビュアーの作家さんが噛み砕いて反復してくれるので、すごくわかりやすい。「おっさん、話盛り過ぎやで!」と思わず突っ込んでしまうレベル。監督がアン・リーだからいいけれど、もしかシャマランかジェームズ・ワンが撮ってれば、この時点では明かされず、作家が家を出たあとにハッとなってカットがフラッシュバックされ、
♪ジャジャジャン ジャジャジャンジャジャジャジャジャン チャチャチャン チャチャチャンチャチャチャチャチャン♪
というような音楽が鳴っていることは間違いないな、こりゃあ。
冒頭のキリストの受難のエピソードを思い起こすに、彼は「なぜ僕が?」と天に向けて問うたことだろう。美しい映像の「裏」で起きていた凄惨な出来事は、彼の「悪」を呼び起こし「罪」を追わせた。その重さが彼に「物語」を作らせ、その「罪」を「獣」へとアウトソーシングさせた。文明社会に再びたどりついた時、「獣」は去り、「人」だけが残る。
漠然としたイメージだけれども、おそらくこの漂流の間に彼の身に起こったことを受け止めるには、キリスト教だけでは不足で、イスラム教や仏教、ヒンドゥー教のイメージも不可欠だったのだろう。孤独となった彼を支えたのは、敵でも味方でもない内なる「獣」との対話であり、多くの宗教であり、父の教訓や母の愛であり、それによってやっと生き延びることができた。
生き延びて、残ったのは「物語」だけ。誰も目撃したわけでもなく、記録されているわけでもなく、海原へと消えた多くの命と出来事があって、それを語る人間はもはや一人だけ。あるいはキリスト教や仏教の教義ならば、その罪を一生背負ったり、あるいは来世でも苦しまねばならないのかもしれない。しかし、応える神はおらず、二つの物語を聞いた人間たち(日本人ですよ。宗教はなんだろうね)は、一方を選び、彼を裁くのではなく許した。作家も、パイ自身もまた。そして人生も続く……。
意味深で、ミステリ的にも楽しめる映画。これだけの大作で、無名キャストだけでここまで見せるあたりはさすがだな〜。
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