"いいかおまえら、そこで見てろよ"『デビル』
我らがシャマランブランドじゃあ〜!と言いつつ、『ヴィレッジ』でもうかったるくなって、後の作品は見ていないが。今回は製作のみ。
高層階へ向かうエレベーターに閉じ込められた5人の男女。前夜、そのビルで起きた飛び降り自殺の捜査に来ていた刑事がかけつけた前で、エレベーター内部で最初の殺人が起きる。不可思議に明滅する照明、動き出さないエレベーター、そして事故死する整備員……。カメラに映った不気味な顔を見た警備員の一人がつぶやく。「悪魔……!」。
監督も脚本もやってないのに、悪魔が実在する!とか言い出した時点で、なんとなくシャマランテイストが漂うのが不思議。シャマラン作品は基本的にオカルト肯定で、なおかつそれは神の御心によるもので人には計り知れない、という前提があるので、それをまず受け入れてしまった方が手っ取り早い。ただ、シャマラン自身がそこに思い入れが強すぎて、観客の側がついていけなくなることもしばしば。特にキリスト教圏じゃない人間にはね。
ただ、そのシャマランさんが一歩引いたせいか、今作は短尺も合わせてバランスが取れている。何かもごもごとしたルール説明のモノローグから幕を開ける本作、ここで今作で悪魔によって起こされる事件が匂わされる。ここはもう冒頭から宇宙人や幽霊が登場してしまう感覚に近く、逆にこういうオカルト要素を割合早めに出すから、かえってすんなりと受け入れることができる。あとはこの「ルール」に従ってサスペンスを楽しめば良い。
ただまあ、ちょっと個人的にピンと来なかったのが、「悪魔は5人の内の誰なんだ?」という謎解きが徹底されていなかったこと。大変な偶然(を装った悪魔の力)を駆使して、5人がエレベーターの中に集められ、外部からの邪魔もことごとくそれによって弾かれる。ここらの何でもありさ加減から、「悪魔は霊的存在だから、この5人とは別にいてフワフワとそこら中を漂ってるんじゃないの?」とイメージしてしまった。序盤、監視カメラに映る「顔」もそれを示唆してるように思えたのだよね。そんなことを考えながら観てると「悪魔」探しと、悪魔の存在を認めない刑事の「犯人」探しがシンクロしてるようで、実は噛み合っていないように思えて座りが悪い気分を味わった。署名のあるなしとか、各人の身元とか事件の解決には全然関係ないんじゃない? 仮に身元があっても、それは悪魔が「乗り移ってる」だけで、何かの証明にはならないのでは? 元より、その辺りの展開はあとあとで各人の罪暴きをする部分と密接に関わっているのだが、結局悪魔が出来ることと出来ないことが明示されていないために、誰が悪魔なのかというサスペンスは成立しえなかった。
最終的に正体は明らかになるのだが、あれだとなぜ悪魔がいくつかの前振りをしてみせたのかが不明なんだよなあ。作中の人物を騙すためでなく、スクリーンの向こうの観客を騙すため、驚かすための行動に見えてしまう。
事の起きる前に電気が消える演出も、最初はハラハラしたがさすがに段々間延びした。超自然的な存在が糸を引いてて、最終的に「神の思し召しじゃ〜」で片付く話だとわかってる(シャマラン映画だし)が故の弛緩。この状況を打破するキーパーソンになる人物が同時に容疑者の一人でもあるがゆえに、終盤ギリギリまで能動的に動いている刑事他の外部の人間の行動がその打破につながらない。どうしても「予定通り」進行するエレベーター内の暗転を中心に、文字通り無駄なあがきばかりを繰り返している様に思える。
最終的に教条的なところに落ちつく辺りも、いかにもシャマラン作品らしい世界観であるが、この話だと神と悪魔って絶対つるんでるよね……というようなことを書こうとしたらこちら(http://d.hatena.ne.jp/yosinote/20110719/1311078033)で書かれていた。
最初にルール説明をする警備員その2の存在が象徴的なんだが、本来、ルールを知るはずの彼がもう少し能動的に動いてもいいのではなかと思うのだよね。何か祈りを捧げたりするが、決してエレベーター内部の人間に悔い改めよと呼びかけたり、知恵を授けたりはしない。彼自身の神への畏怖が強いせいもあるのだろうが、それよりも彼らの「自業自得」だから関わらない、という傍観者的な立場性を強く感じた。モニターのこちらという安全な場所にいて、自分は信心深くて罪を犯していないから、こんなことには巻き込まれていないし、関わりたくない。すべては神の思し召しだから見守ろう。このスタンスが、実は今作における内部と外部の断絶、咎人とそうでない者にくっきりと分けられた関係性であり、モニターの向こう、あるいはスクリーンの向こうのおまえらは、やましいことがないなら、ただ神のやることを黙って観てればいい、というメッセージにつながってくる。すべてはなるようになるんだから……。
シャマラン作品には毎度顕著なことながら、神も悪魔も罪も罰も設定できるフィクションにおいて、神ならぬただの人間がこういうメッセージというかイデオロギーを発しちゃうことに対しては、「うるせえよ」という気持ちを拭えないし、これが堂々と発信されちゃう米国のキリスト教社会には、引いてしまうわ〜。
「悪魔」による「罪と罰」に関しては『スペル』という作品がありますが、僕は断然あちらのスタンスを支持しますね。演出がうまくてそこそこ面白かったが、まあやっぱり好みじゃねえっすな。
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