"宇宙人さんと、夏の思い出作ろっ?"『SUPER8/スーパーエイト』(ネタバレ)


 スピルバーグ製作、エイブラムス監督! あの感動と興奮が再び!?


 映画監督志望の少年チャールズと、その幼なじみのジョーは、夏休みに8ミリフィルムでゾンビ映画を完成させようとする。近所の少女アリスを含む六人で、深夜の駅で撮影をしていたその時、目の前を通過した列車に自動車が突っ込んだ……! 事故現場に駆けつける米軍から逃れ、街に戻ったジョー達。だが、撮影していた8ミリに、その事故の模様ととんでもないものが映っていることに、彼らはまだ気づいていなかった……。


 僕は「思い出作り」という言葉が嫌いである。それに類する行動が嫌いである。例えば夏になったから、と言ってわざわざ海やら山に行く。それ自体は結構なことであるが、海水浴や山登り自体を楽しむのではなく、「思い出」を作るために行くと言う心性がどうも理解し難い。
 夏になったからチャンネーをナンパしてセックスする、それもまあ良かろう。だが付き合うこと自体は目的ではなく、自分の「思い出」、日記の夏の一ページにちょっと華やかなことを書いてみたいがゆえに女性を利用するならば、それはたいがい失礼極まりないことであろう。
 もし「一夏の思い出」というものができるとすれば、それはそうして作為的に作るものではなく、思うように欲するがままに夏を過ごした結果として、形作られるものでなければならない。良い事も悪い事も含め、秋を過ぎて冬を迎え、あるいは一年が過ぎようとしてやっと振り返った時、「そう言えばあの夏……」と、どこか遠い目をして思い起こす、そういうものでなければならない。


「よーし、スピやんのあれやこれやを借りて、宇宙人ミーツ少年少女な映画作っちゃうぞ〜! え? 宇宙人のデザイン? そんなもん、それっぽく見えりゃ適当でいいよ! ああ、あれだ! クローバーのラフ、今からいじって持ってこい!」


 ……今作からはひしひしと、そんな作為的な「思い出作り」の臭いを感じた。宇宙人は、「一夏の思い出」のために存在してるんじゃないんだよ!


 今作の宇宙人ことクローバーちゃん(仮称)、かの『クローバーフィールド』の時もそうだったのだが、何ら彼自身の生態に関して触れられないんだよね。学校の先生以外は誰も彼のことになんて興味ない。そう言えば、彼が閉じ込められてる理由もまったくわからない。米軍のえらい奴はいったいなぜ彼を捕まえておきたかったんでしょうね。軍内部での地位? 宇宙人の技術の解明? いや、別にそんなことはどうでもいいんですよ。彼は単に思わせぶりに列車で運ばれてきて、適当に村で暴れてみせて、子供をハラハラさせてくれたらそれでいいのです。
 『クローバーフィールド』という作品においても、あのモキュメンタリー映像においてかような絵面を提供するための小道具だったクローバーちゃん(仮称)ですが、今作においても同じ役回りなんですね。閉じ込められてみたり、人をかじってみたり、それでいてちょっぴり心通わせてみたり、最後は壮大に宇宙に去っていったり、各所でそういう絵面を提供するためにだけ用意された都合のいい小道具なのです。
 今作にはまったくジャンル映画としての、怪獣、クリーチャー、宇宙人、そんなものに対する愛や敬意を全然感じないわけですね。エイブラムスってのはどういう奴なのか知らないが、なんかよくわからない理由のためにクローバーちゃん(仮称)を閉じ込めてる米軍の偉い奴の姿が彼にかぶる。「大人の都合」の具現化。


 で、冒頭に戻るのだが、要は宇宙人はこの映画と作り手にとって、チャンネーなんである。「僕の一夏の思い出」を日記につづるために必要だった、一夏だけ付き合った女。目的は思い出作りで、大切なのはキャリアを積む自分だけであり、ジャンルなんてものはその道具でしかないのである。下手すればスピルバーグでさえもその道具の一つでしかない。良く言えば、ファンなんだろうねえ、ということになるがなあ。
 ハリウッドで製作やるということはあくまでパッケージングされた商品を作るということであり、今回は監督も兼任したとはいえ、エイブラムスは基本的に製作の人であるということなのだろう。なんか最近もてはやされてますけど、こいつはあの『アルマゲドン』の脚本書いた奴だよ、ってことを忘れてはいかんと思いますよ。「生きていけるんだ!」とか口だけかよ! そんなこと言わなくても彼は生きようとしてるし、これだけの虐待を受けてきた相手に対してあまりに無神経というか……獄中のマンデラ大統領にそんなこと言えるの? 触られた瞬間に心が通じました、とか、根本的に異種間のコミュニケーションをなめてるし、父と子の通い合わなさとかのエピソード入れた意味が全然ないよね。


 しかし、全然面白くなかったかというとそうでもなくて、列車事故とその直前の撮影シーンは素晴らしい。人物描写も全体に薄いが、本格ミステリなんかで良く突きつけられる「人間が描けてない」という手垢でズルズルなベタな批判よりも、むしろ「キャラが立っているか」という方を問題にしたいところ。
 主人公達がやっている8ミリの映画作りが、上気の唾棄すべき思い出作りだと言ってるわけではもちろんない。監督のデブのキャラ立ちは面白く、『キングコング』におけるジャック・ブラックのようなハッタリによる専制的な存在感さえ感じ、ああ「映画監督」というのはガキの頃からこういう人種だったのか、と深く感じ入った。フィルム代を平然と母親にたかり、店員には「明日までに現像しろ」と詰め寄る。友達の父親のカメラを巻き上げ、取り返されてもフィルムはオレのと自己主張を忘れないし、その友達の列車の模型を撮影の犠牲として要求する。「カメラを回せ!」「クオリティアップ!」まさに暴君だ。エル・ファニングちゃんと主人公を交えた三角関係のエピソードも、子供だから微笑ましいと笑っていられるが、よくよく考えれば「好みの女を主演女優に起用し、手をつけたがる監督」の図そのままである。残念ながらイケメンの主演俳優(本当は小道具&メイクだが、まあこう表現して構うまい)に敗れ去り、苦渋の涙を飲んだわけだが、こいつは今後、もしか偉い映画監督になったら、今回のトラウマを胸に絶対に同じ事をやると思う。姉に取引を迫ったりするシーンなんかには、きっとプロデュースの才能もあるんだろうと感じた。あ、つまりエイブラムスも……。


 颯爽と車を運転して登場するエル・ファニングちゃんと、それに恋しちゃう主人公の少年も良い。親同士の因縁も絡み、プチ・ロミジュリ状態。「監督づらして威張るのがおかしい」と言い放つエルには、映画作りでの立ち位置において時に監督さえ凌駕する主演女優的な孤高のムードがあり、そういう女の子が自分の模型大好きな気持ちを認めてくれてる、これがオタ野郎にとってどれだけ嬉しい事か、作り手はちゃんとわかっているのである。
 少々ホモソーシャル感の漂いがちな、野郎が集まっての映画作りに参加し、汚れとしてのゾンビ・メイクもクールに受け入れてくれる。エル・ゾンビ最高! ……ありえねえ! こんな女子がいるわけねえ! 監督の願望だ! でもそれは映画作りに己を仮託したボンクラファンの願望でもあるのだ。


 この三者を中心に話が進み、他の撮影メンバーはいまいちキャラ立ちが感じられなかったが、クライマックスに突入して街が火の海になったあたりから、俄然動きが出て来る。歯列矯正してる火薬係兼ゾンビ役の子も、ここらから不意に生き生きとしだす。要素が多くてとっ散らかった脚本なのだが、それが加速し混沌としはじめて、脇役にも活躍のチャンスが巡って来る。ラリッてるカメラ屋店員が意外な活躍を見せたりするのもいいね。あとは保安官まさかの復活とか……しかしこちらはなぜ復活したのかもわからないまま再度討ち死に。うむむ。


 終盤、そこまで宇宙人の扱いが雑すぎるせいで、事態が収束する最後の展開に盛り上がりが訪れず、主人公含め子供達が決定的な役割を果たせない。街に宇宙人が現れ、去るまでの経過を描く話なのに、最後の去る部分にせっかくキャラ立ちさせた主役がなんら貢献しえないのは、致命的な手抜かりだろう。せっかく最初に8ミリで姿を収めたのにそれも再登場が遅過ぎるし、車で逃げ出した姿やフィルムの空箱などを軍に見られていたという伏線も全然活かされない。後半で軍に捕まるのが偶然というのはすごいね。持ち出したキューブ一個もうまく使えばもっと膨らませられただろうし、せめて「帰還」に何か行動によって貢献していれば、取ってつけたような交感シーンで白けた笑いを漏らさずにすんだはずだ。この噛み合わせさえうまく行ってれば、もっといい映画になってたろうに。


 宇宙人クローバーちゃん(仮称)をヤリ捨てたエイブラムス監督、今作を『E.T.』に連なるジャンルに位置づけるのは、とてもじゃないが無理だ。だが、子役のパートはそれなりに演出し、こちらは「一夏の思い出」としても、まあいいとしよう。えらそうなデブ監督を押しのけて、エル・ファニングちゃんと両思いになる! なんと甘酸っぱい! 単にそういう映画として来年ぐらいに振り返れば、ああ、いい夏だったなあ……と思えるような気がする。
 さて、なんか今作から受けた感覚にはちょっと覚えがあるなあ、と思い出したのが『機動戦士ガンダムSEED』。「ん〜、これがガンダムねえ……うーん」とジャンルものとしては微妙な出来だったが、少年少女の感情の機微の表現などには観るべきところも多かった。かの作品がキャッチコピーとして「21世紀のファーストガンダム」とぶち上げられ、結局そのような評価を得るには至らなかったのと同様、この『SUPER8』もまた「21世紀の『E.T.』」と自称しながら全然届いてない作品として後世に伝えられるのではないかな。


 ところで、ハリウッド映画は父性やら母性愛が大好きで、ことあるごとに強調しよるのだが、この映画ではなんとなくそれをやろうとして、ぐずぐずになってるのが面白い。主人公のお父さんは育児は死んだ妻に任せっぱなしで自分は仕事にかまけてた警官。夏休みが始まって、息子を泊まり込みの野球教室に追いやろうとする現実逃避野郎で、なんでも頭ごなしで横暴そのもの。理屈でもあっさり息子に言い負かされて感情的になり、まったくいいとこなし。最後は息子の危機に駆けつけるのだが、特に何もしないんだよな〜。軍隊にとっ捕まっても兵隊殴り倒して基地を爆破して逃げてきたりしてて、行動力だけはやたらとあるんだが、全然役に立ってない。
 さて息子ちゃんは母親の形見のロケットを持ち歩いてて、怖い時は無意識にそれを握りしめてしまい、それが弱さの象徴のように撮られている。終盤の村の大ピンチで、口だけの監督に替わって彼がリーダーシップを握るのだが、「何で仕切ってるの?」とか言われるぐらいなぜか頭ごなしで、父親にちょっと似てるのだよね。これを強さを身につけた、と読み解くのは何かずれてるような気がするな。で、最後に母のロケットを手放すのだけど、ここで母親的な感性を捨てて父親的な存在に歩み寄ってしまうのは、将来ああいうダメな親、ダメな男になってしまうんじゃないかと心配になってしまう。で、エル・ファニングちゃんの手を取るわけだが、彼女の母親というのはアル中の旦那を捨ててトンズラした人なわけで、横暴な男は将来捨てられますよ……。
 ……えらく余計な心配までしてしまった。もうちょっと練ってほしかったかな。


 ま〜でも、全く感動なんてないままエンドロールに突入したけど、あそこは最高でしたね。本編では全然活躍してなかった刑事役の子がちゃんと主役に見える。これこそ映画のマジック。オチも最高で、かじられるデブ監督の抜かりのなさを感じさせて締め。やつはきっと大物になるぞ! しかしながらエイブラムス監督は、自分が一回クローバーちゃん(仮称)にかじられてみたらいいと思うよ! この距離感の誤差は、メタ構造の含意のずれと言っていいのだろうか。かじられるのはあくまでデブでありエイブラムスではないからね!

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