"いつか掛け違えてしまったボタン"『ブルーバレンタイン』


 ある夫婦の終わりを描いた映画。


 娘と三人で暮らすディーンとシンディの夫婦。ある日、愛犬の死を隠すために娘を預け、二人っきりで過ごすことになる。出会いと恋、そして結婚から数年……。二人の仲は冷えきってしまっていた。そうして、最後の一日が始まる……。


 「あるあるw」「あったあった(笑)」「これもあるある(笑……笑えねえ!)」という展開の連発。
 映画始まって冒頭から横溢してる空気……覚えがありますねえ。付き合ってても、別れるちょっと前ってなんかこういういや〜な、白けたような空気なんですよねえ。一言しゃべる度に、すっと距離が開いていく感じ。帰って来る返事は、愛想よく思えて実は虚ろで、中身がなくて、取り繕ってて、言質を取られないようにしてるのが丸わかりでねえ。その度にすごく傷つくんですよねえ。
 男は鈍いし全然わかってない、こういう空気にまるで気づいてない、みたいなこと言われますけどねえ、違いますね、はっきり言って。わかってますよ、こりゃもう終わりだな、なんてことは薄々とは。でも、認めたくないんですよねえ。何か変われば、何か頑張ったら、また元の通りに戻れるんじゃないか、何とか続けてたらまた変わるんじゃないかって思ってしまう。だって、前は好きだって言ってくれたじゃない。その時から自分は何も変わってないんだから。
 でも駄目なんだな。こういう空気になった時点で、もう完全に終わってます。気づいてないように見えるのは、そんなふりをしてるだけです。なにかこの空気や態度に対して怒りでもすれば、その瞬間に「じゃあ終わりに」と来るのまでわかってるんで。


 そんないやなムードで始まる一日。
 いるよねえ、こういう夢見がちな男。自分なりの美意識を持ってるのはいいけど、それを守ったところで愛されることとはなんの関係もないのだよな。孕まされて捨てられた女と、自分の子でもないのに引き受けて結婚して、大きなリスクを背負ったから、これで永遠に愛される資格があるように思い込んでしまうのだけど、ばっさりと「もういらない」と言われてしまう。なにがダメなの?と言っても理屈じゃないので答えは帰って来ない。
 いや、理由もあるんだよ。嫁さんに対しては理屈っぽくねちねちと細かく、時々きついことも言いがち。でも子供にはベタ甘。学歴なくて、あんまり仕事もやる気なくて、それがちょっとコンプレックスなのだよな。一人の時はそれでいいと自然に思ってられたけど、彼女が勉強家でキャリア志向なものだから、ついつい引き比べて、向こうの親にもチクチク言われて、逆に自分はこれでいいんだ、と頑になってしまう。だから「音楽とかやれば?」「才能あるのにもったいない」と言われても、素直に言葉通り受け取れない。何か批判されてるように思ってしまう。
 男の子なんだよなあ。良くも悪くもちょい少年っぽいところがあるし、母親がいないからということもあって、ちょっとマザコン。普段から甘えたいんだけど、実はプライド高いから彼女の方から甘えさせてほしい。だから、本当に辛くて泣いてしまうような肝心な時に甘えるのが下手。そんなこんながちまちまと積み重なって、ある日、突然に失格の烙印が押される。さようなら……。
 直すとかなんとか、そういうレベルじゃない性格の話。結婚前はその行動や態度、優しさが評価されてる(いや、立派ですよほんと……)のだが、結婚後、波風の立たない状況では、こういう性格の部分、合わなさが目につくようになる。
 ブルーカラーで、仕事は引っ越し屋にペンキ塗り。それでも受け入れて結婚してくれたんだから、それでいいのだろう、と思ってしまってるが、当初はそれで良かったはずが一度冷めると後から探される「粗」の一つになる。「後だし」だから彼女も表立って非難はしないが、ふつふつと不満は煮えていく。でも、それも後付けの理由の一つに過ぎない。仮にボンクラじゃなくて、もっと仕事して稼いでくる頼りがいのある人間だったら……と思うが、それだったら結婚生活は絶対に大丈夫なのか? 違うなあ、それもそれで、男の社会によくある無邪気な幻想だろう。
 それでも総じて、中出しレスラーのジョックス野郎やら、愛人欲しいゲス医者なんかより圧倒的にまともでいい奴なんだが、比較で愛されるわけでもないんだ。


 女の方も、両親が不仲で家庭に恵まれなかったから、過剰に幻想を抱いている。夫に対する不満や反発は常に持っているのだが、それを解消する術を実は知らない。日頃から文句を言っているように思うが、肝心なところで黙って我慢してしまい、その結果大きなしこりを残している。びくびくしている母親を歯痒く思い、自分はそうなるまいと思っているのだが、父親に対する恐怖心も染み付いていて、はっきりと反発をストレートに口に出すことが出来ない。クソ野郎に対して、中出しされても、彼氏を殴られても、町で再会して無神経極まりないことを聞かれても怒れない。ゲスに愛人扱いされても呆然となるばかりだ。堕胎もできず、シングルマザーになる勇気もなかった。実は初体験からその調子でもう20人以上と関係を持っている。それが悪いわけではない。彼女のせいではないのだ。だが、せっかくましな男を見つけて、もう少し怒る時は怒れば良かったろうに、両親のような家庭になることを怖れるあまり飲み込んでしまい悪循環へと陥る。
 キャリアが好転しかけていることも関係している。家にいろとも言わないが稼ぎも少なく家事もしない、その癖に細かいことばかり口うるさい夫に、転勤を口に出せない。愛が冷めていることを感じていて、彼との子供も欲しくないが、でも家庭は壊したくない。割り切ることも対決することもできず先延ばしにして、仕事に逃げ込む。職場の奥へ奥へと追い込まれて行くシーンが虚しい。そのキャリアさえも幻想だったということを、ついさっき突きつけられたばかりなのに。


 ものすごくいけてないラブホの一室。ほんとは来たくなかったけど、向かい合って酒を飲んだら昔のことを思い出す。何もせずに飲んでるだけ? 「あなた、色々できるじゃない……」遠回しな言い方を、夫は間違えて受け取ってしまう。そうじゃない。昔みたいに、楽器を弾いて歌ってくれたら、楽しかったあの頃に少しだけ戻れたかもしれないのに。欲しかったものは、たったそれだけだったのに。もしかしたら、男は彼女の言葉の意味に、後になって思い当たるかもしれない。女もたった一言「歌ってよ、いつかみたいに」と言えば良かったと思うかもしれない。でも、そうすれば良かったとは限らないし、後から気づいたところでどのみち遅い。
 夫の方がセックスを拒むシーンが印象深い。かつて彼女をセックスのためだけに利用した男たちと、自分は絶対に同じにならないというこだわり。そんな風に自分を扱う彼女を悲しく思っている。だけど、そんな気持ちももう通じなくなっている。クズ野郎の「バックで中出し」への対比が「丁寧なク○ニ」ってのも泣かせるけど、それさえもう意味がなくなってしまった。
 子供も可哀想なんだが、これは二度にわたって父を失い家庭に恵まれない彼女もまた、母と同じような道を辿ることの暗示だ。やり切れないが、それも夫婦関係の存続の動機にはなり得ない。彼女は「望まれずに生まれた子供」だからだ。


 ……さて、こういう事態にならないためには、どうすればいいんだろうね? ただ、話が始まった時点では、もうほぼ終わっていたな、という感ありで(なにせわずか24時間程度の話なのだ……)、これは「ああしておけば良かったのに」という明確な答え、訳知り顔の教訓を提示する映画ではない(何を読み取るかは自由だが、自分の経験や感じ方で相当にバイアスがかかってくることも自覚しておいた方が良さそうだ)。むしろ、人生にはこういうことも起こりうるのだよ、というメッセージの方が強い。……のだけど、そんな風には割り切れないよねえ。この結果を受け入れて成長するのだとか、またいつかいいことがあるとか、ここで描かれる圧倒的な辛さの前には、空疎な慰めだ。


 小さなボタンの掛け違いを繰り返し続け……ひとつひとつは些細なことなのに、どうしても取り戻せない。描かれる「かつて」と「今日」、その間にあったはずの描かれなかった日々を思う。本当は一番大切にしなければならなかったはずの日々。何年もそんな毎日を繰り返し続け、やってきてしまった「今日」。もう戻れない。背を向け合って歩き出す二人。辛いけれど、そうするしかなくなってしまった。


 結婚前と現在で時系列が前後するんだが、それを映像で区別する象徴が禿げ上がってきた額というのもまた泣かせる。割合淡々と撮られてるのだが、音楽の使い方とか回想シーンがやたらロマンチックなせいでなんかクサい印象が残る。が、リアルで身も蓋もない心理を厳しく描いた、全然甘くない映画。ラストシーンの切なさが胸に迫るよ。

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