『日本沈没』レビュー緊急再録

 下記は、映画公開当時にmixiに掲載した文章である。当時は好評を博したものの、mixiのレビュー及び日記検索のシステム上、古い日付のものとして埋もれていた。
 今回、草磲剛さんの逮捕を記念してに際して、氏にエールを送るべく、下記レビューを再掲したい。


 今後、草磲剛というタレントが消えていなくなったとしても、彼がこうして柴咲コウとのラブシーンを拒む変態性など皆無なキャラクターとして銀幕に登場していた、という事実は決して消えない。
 東宝の夏の看板映画の主演スターとして、彼が君臨していたという真実は、絶対に消えないのだ。
 覚えていてほしい……草磲剛の足跡を。


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 地元の映画館で見たのだが、平日の昼間だというのにえらい人で、普段はガラガラの映画館が八割がた埋まっていた。おかげで前から三列目で鑑賞することに。まあ普段もせいぜい六列目なのだが。
 まず冒頭は素晴らしかった。いきなり大地震が起きており、我らが主人公の小野寺ことツヨシ・クサナギは、いきなり被災し半失神状態。乗っていた車からどうやら脱出した時、目の前をさまよう少女を発見。近くの半壊した車からはガソリンが滴り落ち、側では火花を吹き上げる電柱が今にも倒れそう! バカでもわかる緊迫した状況!


「危なーい!」


と叫ぶツヨシ・クサナギの前で、あっけなく電柱は倒れ、叫ぶ間もなく引火、中野昭慶特撮に倍するスケールで車がドカンドカンドカン、さすが爆発の樋口真嗣監督、しかしこのままだとクサナギも少女も吹っ飛ぶんじゃ、と思ったら、炎を突っ切ってレスキュー隊のヘリが降下し、縄梯子でぶら下がる柴咲コウが少女をぶわっと救い上げ、そのままの勢いでクサナギも!
 わはははは、「大丈夫ですか!」と叫ぶコウちゃんを見ていると、うーん、これは恋に落ちるよ。ごちゃごちゃと出会いのシーンに描写を割かず、「吊り橋の上で目が合った男女」のシチュエーションを利用。恋愛アクションのつかみとして完璧である。


 ただまあ、手放しで褒めてしまいたいのはここぐらいであった。ここからの展開が災害→報道→トヨエツ→クサナギ→また災害のローテーションを延々と繰り返し続ける単調さ。緊迫感の出し方が非常に弱いのだ。日本沈没が始まった直後、トヨエツ博士がアメリカの立てた30年という予測を覆し、日本は330日で沈むと宣言。こういう具体的な数値がせっかくあるのだから、要所要所でこの数字が減っていくところを挿入すればいいというのは、バカでも思い付く演出だろう。が、具体的な時間経過は不明のまま、日本はあちこち沈んで行く。もう北海道はほとんど残ってません、そろそろ四国がやばいです……それは結構だが、残された時間はどれぐらいなの?


 時間経過の表現のまずさはもちろんだが、災害そのものの状況を描く描写も、マクロとミクロの使い分けが曖昧で、なおかつ共に物足りない。マクロ側が政府の対策機関のトップである大地真央、ミクロ側がクサナギ&コウちゃんで、それをつないでいるのが共通の知り合いであるトヨエツ博士。尺の問題もあるんだろうが、どちらも生きていない。
 大地真央大臣はあれこれ閣僚や総理代行の反発に合いつつも、「一人でも多くの命を救う」ということを至上命題にして頑張って行く……という設定なのだが、他から足を引っ張られる描写が意外なまでに少ない。総理代行が「どうせ死ぬ人間はほっとけ」と発言し、それに対するアンチテーゼとして真央大臣は、トヨエツ博士の企む「日本沈没阻止作戦」に協力する。……これ、一見筋が通っているように見えるのだが、この作戦は「抜本的に多くの人を救ってしまおう」という規模のものであり、「一人でも多くの命を……」という草の根的活動はこの作戦からはまったく見えてこない。この作戦、大量の新型爆弾を使ったり、異様に国費を消費しそうなのだが、閣僚その他からはまったく反対意見など無し。そんな作戦に仮に勝算があるにしても、平行してそれこそ「一人でも多くの命を救う」べく代案も進めるべきだと思うのだが、そういう意見もまったく出ない。で、一人気を吐く女性大臣をねたむか対抗意識を燃やすかしそうな者もいそうなのに、そういうキャラクターも登場しない。紋切り型を通り越して、この人物描写の薄さは手抜きじゃないか。
 阻止作戦に際して、世界中から大量の掘削船を集める必要に迫られる。トヨエツ博士は「とてもムリだ」と引きこもりらしくあえなくさじを投げるのだが、次のシーンではこれがあっけなく世界中から集結してしまう。トヨエツは真央大臣を「よく集めたな」と賞賛する。それは結構なのだが、ここでもその掘削船をどうやって集めたのかは謎。こんな簡単に集めてしまうなら、無理だとかなんとかそういう台詞も端折ってしまえばいいのに。
 もっぱらCG頼みの災害描写と、全然なってない描写のせいで、もうマクロ視点はグダグダの極み。


 さて、ミクロの代表は柴咲コウだ。断じてツヨシ・クサナギでないところがポイントである。コウちゃんはレスキュー隊ということで、被災地に踏み止まって怪我人を救助してまわっている。なんのことはない、「一人でも多くの……」を台詞で語ってるのは真央大臣だが、キャラクターの役割として背負っているのはコウちゃんなのだ。
 それに対して主役のはずのツヨシ・クサナギは、深海探査船のパイロット。雇われていたトヨエツ博士に「早く外国に逃げろ」と教えてもらい、都合良くイギリスから仕事のオファーも来た。長男なのに実家の酒屋の仕事を姉貴に押し付けて好き勝手しているツヨシは、これ幸いとばかりにイギリス行きを決める。で、さっそく相棒の及川ミッチーを誘うのだが、あえなく拒否される。ミッチーは息子に故郷の海を見せるために、トヨエツとともに日本を沈没から救おうとするのだ。で、男の風上にも置けないツヨシ、今度は恋に落ちたコウちゃんに冒頭で救われた少女ミサキちゃんと、「イギリスへ行って三人で暮らそう」と誘いをかける。が、これまたあえなく拒否。コウちゃんは、近所の人や被災地で救助を待つ人を残して、自分だけ幸せにはなれない、と言う。
 ミッチーもコウちゃんもいちいちもっともすぎて、ツヨシ・クサナギは立場なしである。しかしこれは意外に重要なテーマである。つまりポリシーもなく愛している人間もおらず、しがらみもなく身軽な人間が、安全への片道切符を手に入れた時、それを使うのは罪悪か、ということだ。もし破滅する日本に残るとして、それが本心からの愛ゆえならば良い。だが、単に「みんなと違う事はできない」「薄情者と思われたくない」なんていう理由で残るのだとしたら、それこそ虚しい。それなら逃げだした方がましだろう。
 愛など知らないツヨシは葛藤する。「好き放題に生きて来た」とツヨシは自らを語るが、彼の個性からして、なんとなく人に言われるままに生きて来たイメージの方が強い。設定上、両親の反対を押し切って、おそらく難度の高いであろう潜水艇のパイロットになったことは、それなりに強い意志と野心、努力が必要だったと思われる。残念ながら彼の演技にはそれが表現されていない。一匹狼には役不足だ。だが、ここはイメージ通りの無気力人間でも、展開に支障はない……むしろキャスティングのイメージはそちらだったのではないか?


 トヨエツ博士の作戦は、海底プレートで「N2爆弾」を連鎖的に爆発させ、それで沈下するプレートと日本列島を切り離そうという、乱暴極まりないものだった。しかしこの作戦、意外にも順調に進み、あとは起爆用のN2爆弾最後の一つを掘削孔に挿入するだけ、というところにまでこぎつける。が、この最後の最後、作業をあせったトヨエツ博士の指示により深海探査船で潜ったミッチーが、探査船もろとも命を落とす。
 映画の中では語られないのだが、ここのミッチーは船の操船と爆弾挿入のマニピュレータ操作を一人で同時にやっている。おかげで危険回避が遅れたのではないか、とも思わせる。ここでコンビを組んでいたツヨシ・クサナギと二人で作業していれば……と思うんだが、そういう描写はない。もっとここで間接的な責任を煽るべきだったと思うんだが、どうも脚本に、主役の好感度を維持するためか、追いつめ方が足りない。
 しかしとうとう、ツヨシはミッチーの代わりに最後の爆弾を投入する役に志願する。掘削船はいっぱいあるが、肝心の海底に潜れる新型の探査船はすでになく、あるのは対深強度のはるかに劣る引退済みのオンボロ船だけ。潜れば2度と戻ってこられない。


 そして、ツヨシは未だ被災地で苦闘を続けるコウちゃんに会いに行く。自分にその決意をせしめた者に会い、最後の別れを告げるために……。死の任務が迫ることを隠して、イギリスに発つと告げるツヨシ。コウちゃんは素っ気ないが、その態度にいら立つツヨシに、ついに思いのたけを打ち明ける。震災で両親や友達を失い、自分はもう誰のことも好きにならないと決意した。でも、ツヨシのことが好きになってしまった、と……。火山灰の降り注ぐ野営地で、激しく抱き合う二人。
 画面変わって、レスキュー隊のテント。寄り添う二人。いやね、ここで「え!? もしかしてもう事後!?」と思ってほっとしたようながっかりしたような気持ちになったのだが、別に脱いでる様子もないしまだらしい。静かに言葉を交わす二人。コウちゃんは、「全てが終わったら、ミサキと一緒にイギリスに行くから。それまで待ってて」と告げる。うなずくツヨシ。言葉は途切れ……やがてコウちゃんは囁く。


「……抱いて」


 いやあ、ここまでまったく自然な流れで、オレはドキドキしたね。「もう誰のことも好きにならない」発言から、今どき処女性をにおわせたい作り手のあざとさには少々引いたものの、それなりのことは済ませているであろうが(別に童貞でもいいけど)本気で女を愛した事などなかったツヨシの未熟さと合わせ、二人が結ばれるには文句のないシチュエーションである。そして、この日本沈没という絶体絶命の窮地、動物の本能としてもストーリーとしても「子孫を残す」のは自然な流れである。
 が、しかししかし! なんとここでツヨシは、


「……今はダメだ」


と拒否してしまうのである。馬鹿野郎!と思わずスクリーンに向けて絶叫しそうになった。いやねえ、今まで拒否されてきた男が、いざ立場が逆転して求められる立場になった時、あてつけのごとく拒否してしまう。その気持ち、よくわかる! が、そのことの是非はともかくとしても、「だからおまえはもてないんだ」と言われても仕方のないところだ。
 しかしツヨシがこう拒否してしまうと、ついつい「ジャニーさん」の存在を問いたくなるが、ここで思い出したのが昔見た「きけ、わだつみの声」。この映画でも戦地に赴く日本兵である主人公が、処女である新妻を抱かずに旅立つ……というシークエンスがあった。このツヨシのコウちゃん拒否がそういったシチュエーションを意識しているのは間違いない。うーむ、処女性の強調はもういいって。それにしても紋切り型だなあ。
「イギリスへ行って幸せになるまで、できない……」
 コウちゃん、どうにも解せないが、押し倒すわけにもいかず、そのまま朝を迎える。ツヨシはコウちゃんが眠っているあいだに、置き手紙を残して去る。


「本当はイギリスへは行かない。初めて愛した君とミサキちゃんのため、僕は2度と戻れない海へ潜る……」


 迎えに来た大地&トヨエツのヘリに乗ろうとするツヨシ。だが、そこへ手紙を読んだコウちゃんがバイクで追いかけてくる! もう一度だけ、抱き合う二人……! そしてツヨシは彼女を振り切り、ヘリへと飛び乗る。
 うーん、つまらん、やはり樋口監督は、所詮は怪獣映画の監督か。大人のドラマは撮れないんだな。一生「ガメラ」撮っとけよ。と、ブツブツと悪態をつくオレ。


 そんな観客の気持ちを置き去りにして、ツヨシは旧式探査船で潜航開始。耐深強度2000メートル、実際潜る深度は3800と、どう考えても無茶。その状況下で、まずはミッチーの落としたN2爆弾を拾い、それを掘削孔に運んで、マニピュレータで操作して穴に入れる、という気の遠くなるような工程をこなさなければならない。
 ところで、そもそもこのN2というのが、核爆弾並の威力がありながらも放射能等はない新型爆弾……なんですが、要はエヴァンゲリオンで使徒の足留めに使ってたあれなんですよ。ほら、樋口監督は庵野監督と友達だから……って、こんなとこでSF兵器使ったらズルいじゃねえか! 現代に則した内容として真面目に見てた観客が浮かばれないぞ。だいたい、いまどきN2爆弾ぐらいで真性のオタクが喜ぶと思ってるのか、と正座させて問いただしたい。
 というわけで、先ほどのコウちゃん処女喪失回避と合わせ、イライラが頂点に達しようとしていたその時。ついに爆弾をつかんだツヨシは、残ったわずかな電力をマニピュレータに注ぎ込む。あとは、爆弾をこの掘削孔に入れるだけ……。


 ……ん?


 円筒状の爆弾を、掘削孔に挿入。ん、なかなか入らない。んん、もうちょっと……ん……えい……あ、奥まで……全部、入った……。


 あっ!


 そ、そうか! わかりましたわかりました! すべてはこのシーンのためだったのですね! 


 この「円筒状の爆弾を、掘削孔に挿入」するという、もうどう見てもあのことを連想させずにはおかないシークエンス!


 このシーンは、メタファーだったのだっ!


 あそこでツヨシがコウちゃんを抱いてしまうと、このクライマックスにおけるエモーションがすべてそこで昇華されてしまい、盛り上がらなくなる! 
 だからあえてあそこでツヨシはコウちゃんを拒否し、この瞬間のために全てを溜めていたのだっ!


 爆弾は投下された。電力の消えた船内、暗がりにぼんやりと浮かぶ、ツヨシの虚脱した、だが満たされたような表情……!


 露骨すぎるよ! そして、投下された一発を起爆装置として、プレートに埋め込まれた他の爆弾が、連鎖して大爆発し、白い水柱を上空に噴出させた! 海をも割る衝撃! 愛は日本を救う!


 これが! これが! これが! これがこれがこれが!


 これがエクスタシーだっ!


 ヒーヒー、あー、笑い過ぎて腹いてえ。たぶん劇場のお客半分は泣いてて、笑ってたのはオレ以外皆無だったと思うけど、これはちょっと面白すぎるよ。
 この回りくど過ぎる描写がどこまで世間に届いたかどうかは不明だが、オレはこのクライマックス、永遠に語り継いでもいいぞ。


 そんなこんなで、性、じゃなくて愛の力でとうとう「日本沈没」は回避されてしまいました。おいおい、国土を失った日本人がそのアイデンティティーをいかにして守るか、というテーマが、これで吹っ飛んでしまったよ。ただの規模の大きいパニック映画になってしまった。無気力男が目覚めた愛によって世界が救われる、という展開は嫌いではないのだが……。
 まあぶっちゃけ、単体の映画としても、小説『日本沈没』の映画化としてもダメダメです。