”私たちのマーキュリー計画”『ドリーム』


映画『ドリーム』予告A

 目指せ、宇宙!

 米ソが宇宙開発競争を繰り広げていた、1961年の冷戦下。NASAラングレー研究所では来たるマーキュリー計画を確実に成功させるため、優秀な計算能力を求めていた。天才的数学能力を買われ黒人女性として初めて特別研究本部に異動したキャサリンだったが……。

 今年のアカデミー賞がらみの映画、ラスト一本がようやく公開。NASAに勤める三人の黒人女性を描いたお話で、オクタヴィア・スペンサーはもはやおなじみだけど、主演のタラジ・P・ヘンソンは……『ベスト・キッド』のお母さんか? ジャネール・モネイさんはつい先日の『ムーンライト』で観たばかり。

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 これも邦題で揺れた映画で、『ドリーム』はあまりに一般名詞過ぎて全然インパクトがなかったが、作中でドリーム、ドリームと連呼していたので、まあ内容通りではあったか。カットされたサブタイトルの方は『私たちのアポロ計画』、映画のストーリー自体はマーキュリー計画を描いてて、その後アポロ計画につながりました……というだけなので、関係あると言えばあるが、別に宇宙開発の終着点がアポロ計画というわけじゃないからな。「私たちの甲子園」というタイトルで、県大会優勝まで描いて終わる話に、甲子園とタイトルつけるのでも看板に偽りあり感が否めないというのに……。

 冒頭、三人の乗る車が故障して立ち往生し、そこに警官がやってくるという展開が、時代は違えど後々公開の『ゲット・アウト』と全く同じ問題を孕んでいて、不安な気持ちにさせてくれる。三人は学識もあり、NASAという一見進歩的な職場に籍を持っているのだが、そこもまた現在の基準に照らし合わせると、ありえないほどの差別がまかり通っている。象徴的に扱われているのが「有色人種専用トイレ」であり、その計算能力を買われてマーキュリー計画の中枢に入ることになった主人公は、なんとその「有色人種専用トイレ」がオフィス近辺にないので、以前の職場のある棟まで800m移動しなければならない。

 オフィスでポットのコーヒーを飲んだら、翌日には有色人種専用コーヒーのポットが置かれ……いやはや、これいったい誰がやってんの?と言う感じだが、直接手を下したのが誰であろうが、この空気感をオフィスの白人誰もが共有している。

 上司であるケヴィン・コスナーは、何だかこの辺りがまったく目に入ってないようで、言われて初めて気づく感じ。この人は「結果が全て」という価値観に生きてるようで、それゆえに差別によって結果が阻害されると思うとそれは我慢ならない、ということなのだろうが、やっぱり当時の白人の限界か、ちょっとズレてる感は否めない。
 トイレの入り口の「有色人種専用」の看板を叩き壊し、どこでも使ってよし!と言うのだが、それNASA中の白人にまず言わないと意味なくね? 普通に近場のトイレ行ったら、「ここ使うなよ」と言われるんじゃなかろうか。まあ象徴的な意味合いでこういうシーンにしたんだろうが、どうも詰めが甘く思える。作中では、その後トイレ問題は起きないが、このあたり映画としての軽妙さを優先したせいかな。
 こういう軽さと、描写の緩さは表裏一体でもあるのだが、ハードコアな差別描写がなくとも、こういうチンケかつ陰湿な扱いを日常的にされることこそ、最も消耗させられることなのかもしれないな。

 マーキュリー計画に命を託す男、宇宙飛行士ジョン・グレンさんは全然偏見のない理想的な……というより、大らかすぎて何だかファンタジーのような、妖精のような存在になっている。いや、エリートの中のエリートの中でさらに努力してトップに立った、こういうアスリート的価値観の究極にいるような人間は、自分以外の人たちの違いとか気にしないというか、割とどうでもいいということなのかもしれないな。オレ自身と、それ以外のファンぐらいに思っているのかも……? そんな彼が計画直前に、天才の中の天才の中でさらに努力して数式をはじき出した「切れ者」の主人公こそを信頼するシーンは、実に腑に落ちるところでもある。またここを「能力がある人間だけは差別しない」という風には微塵も受け取らせないところが、今作の肝なのかもしれないな。実は重要キャラか。

 対して「偏見はないのよ」と言っちゃって手痛い一発を食うキルスティン・ダンストが、わかりやすくダメなキャラの代表的存在。あまりに構造としての差別を内面化しすぎていて、言われるまで気づかないのだな。
 『ムーンライト』のマハーシャラ・アリさんも軍人として、女性の仕事に対する偏見を内包してしまっているが、こちらも諭されてそれを見直す。
 こういう偏見って本当に消耗させられて、もういちいち口に出して指摘するのもアホらしくなるのだが、そうは言っても折に触れて言っておかねばならない。この映画自体もそういう存在であると言える。『ヘルプ』と並んで、深刻なテーマを複合的に扱いながら、軽妙で食いやすい映画で、その軽さもまた必要なのであろう。

 ところで、今時珍しいメガネ萌え映画でもあり、主人公の「クイッ」が最高ですね。特別美人ではないが、これがあるから妙にかわいく、頼もしく見えるから不思議だよ。