”永遠のトリックスター”『七月と安生』(ネタバレ)


『七月と安生 / SOUL MATE / 七月與安生』 予告編 Trailer

 大阪アジアン映画祭2017、九本目!

 上海で暮らす李安生の元に、映画会社からの連絡が届く。彼女が登場するweb小説『七月と安生』の作者、林七月を紹介してほしいというのだ。安生と七月は幼馴染で、親友だった。小説には、二人の出会いから現在に至るまでが克明に描かれ……。

 今年もいよいよラスト一本となりました。全然予備知識なしで観たのだが、web小説というトレンド要素を、十数年に渡る女子の友情と絡めた現代劇。七月=チーユエ、安生=アンシェンという人名です。
 同タイトルのweb小説が話題となり、作者である七月を探すための取材が安生の元にやってくるところから始まる。安生役はチョウ・ドンユイ。まあしかし最初から度肝を抜かれるのだが、この子の演技と存在感が半端ねえ。いったい何者なんだ?と思ったら、チャン・イーモウが『サンザシの樹の下で』で見つけてきた子か……。同じくイーモウ監督の『初恋の来た道』でデビューしたチャン・ツィイーに匹敵する才能ではないか。昔、ポスターを見た時に、「今度は地味な顔の子だな……」と思ってスルーしたのであった。

 平凡だが幸せな家庭に育ち、波乱のない人生を歩もうとする七月と、父親不在の家庭で自由を求める安生の対比で物語は進む。間に立つ男が出てきて、子供の頃から仲良かった二人は三角関係になっていくのだが、安生は恋愛関係からは一歩引いて、大人になる前に街を出て行ってしまう。
 まあこの安生のキャラがフリーダム過ぎてびっくりするのだが、奔放なようでどこかしら自傷的でもあり、あえて七月と離れていくような行為には切なさが漂う。互いに手紙をやり取りする展開があるのだが、安生が送った手紙は届いても、七月が返事を書こうとした際にはもう安生は元の場所にはおらず、鉄道や船で違う場所に行っていて届かない。すれ違いは徐々に深まっていく。

 これらが全て、web小説の連載という形で少しずつ語られていく。作者である七月の心の内を読む安生は何を思うのか……? と、映画は二人の心理を克明に追っていっているかに思えるのだが、成長した七月はなかなか登場しない。
 物語が核心に迫るかと思った瞬間にひらりとかわされ、人を食った笑みを見せる安生……。彼女が自由を得た代償として、七月は平凡な人生を歩まねばならなかったのか? この小説は、そういった安生に向けた恨みつらみなのか? 今、七月はどこで何をしているのか?

 トリッキーな構成で、ミステリ的に謎が謎を呼んでいくのだが、いわゆる「信頼できない語り手」による過去回想は、目の前に展開された映像が作中で起きた真実とは限らない。事実として語られた少女時代から、大人になろうとする後半にかけて物語はドライブしていく。次第に虚実の境界は曖昧になる。

 子供の頃からいたずら好きで、本心をなかなか見せないキャラクターとして描かれる安生は、どこか自身の人生を冷めた目で見ており、規定のレールを嫌う。時に反感を買ってでもそれを飛び越えようとするし、またそれをメタ的に解釈してもみせる。主人公であるのにトリックスター的な存在であり、物語をかき回してくる。
 そんな彼女もまた、長じるに連れて人生の平凡さの中に落とし込まれていくのかな……と、夫と娘を持った安生の姿を見て観客は感じるのだが、いみじくも娘が告げる。「七月は、お母さんのペンネーム」……!

 落ち着いた平凡な大人になったかのように見せながら、トリックスターはやはり永遠にトリックスターであるという結末が、実にこのキャラクター、演じているチョウ・ドンユイに似つかわしく、唸ってしまったね。
 その構成ゆえに二人の関係性は、リアルさよりもフィクショナルさの方が際立ち、物語としての面白さが先だったように思える。ただ、このお話自体がすべて安生の語ったものであり、実は七月視点のシーンは一瞬たりともないことは踏まえておきたい。人は自身の目をもってしか人生を、世界を見ることはできないし、安生は安生の価値観でしか物事を測れない。二人の関係は、結局はどこかしら一方通行のままで終わりを迎え、残された安生は、自らの中に残った七月の足跡をたどり、彼女を弔い続ける。どこまでもトリックスターとしてだ……。

 今回のABC賞を取ってテレビ放送が決定したわけだが、それも納得で、エンタメ性では今年見た中ではトップだったんじゃないかな。同日に上映された『姉妹関係』と同じく、二人の少女の関係性を描いているようでいて、社会的しがらみからアプローチした前者に対し、逃れようのない人間の「さが」を描いているようでもある。

 今年のアジアン映画祭もこれにて終了。後半に来て一気に盛り返したなあ。今年も堪能しましたね。