”今を変えろ”『未来を花束にして』


映画『未来を花束にして』予告編

 キャリー・マリガン主演作!

 夫とともに洗濯工場で働き、息子のジョージと三人で暮らすモード。ある日、女性社会政治同盟の活動現場に出くわした彼女は、そこに自らの違う可能性を見出し始める。一生洗濯工場で働き、若くして身体を壊し死ぬ定めと思っていた自分の、違う人生を……。次第に運動にのめり込んでいく彼女だったが、夫のサニーはそれを快く思わず……。

 うまくいかないことがあると泣き喚くのがアンドリュー・ガーフィールド、耐える強さを持っているのがキャリー・マリガンである、とされていたのが『わたしを離さないで』であったわけだが、そう考えるとキャリー・マリガンの方がスパイダーマンというかヒーローだよな、と時々思う。

chateaudif.hatenadiary.com

 そんな彼女が演じるのは、「サフラジェット」運動に関わり闘士となっていく架空の女性。作中に、実際の運動の中心人物となった実在の女性や、あるいはモデルにしたとおぼしきキャラクターは登場するのだが、この主人公はあくまで無名の存在。
 最近の映画はどんどん臨場感重視、体験型になってきている印象だが、今作も同様で、こうして指導者でも英雄でも殉教者でもない人物を主人公にすることは、その一環なのだな。無名の洗濯婦であり、夫と子がいて、運動の存在を知ったばかりの彼女が、ちょうど拡大し過激化する中心に立ち会う。
 彼女の勤める洗濯工場で、賃金や労働内容の男女不平等や、そもそも健康を維持するのも厳しい過酷な環境があり、退職してそこから脱出する術もないということが示されるわけだが、直接的に主人公の行動の引き金となるのは、工場長による性的搾取になる。彼女自身も、より若い頃に、いわゆる「お手つき」をされたことが匂わされ、今また十代の少女がその標的となっていることで怒り心頭。これがまた、今でも子どもっぽい顔したキャリー・マリガンだから実に真に迫るのだな。そんなわけで『マッドマックス』のフュリオサのごとく、フューリー・ロードを行くことになるのである。あのアイロンのシーンは最高だったね。

chateaudif.hatenadiary.com

 運動に関わる前はベン・ウィショー夫は一見、温和で平凡な人に見える。が、帰宅が遅くなったり、逮捕されて帰れなくなったりということが起こり、洗濯工場で同僚から「妻の首根っこを押さえられないダメ夫」のレッテルを貼られたあたりから、不満を露わにするように。特別モンスター的な夫ではなく、これはこれでごく「普通」の人間なのだな。権利のない「妻」を役割でしか見られず、一個の人格を認められない、当時のイギリス社会の「普通」をそのまま内面化したごく普通の人間で、「母親」がいないと子供の面倒も見られず手放すことになる。それは制度が作った「家族」像を押し付けられ、二親揃っていなければ育児もできない状況の、ある意味で犠牲者なのだが、彼の怒りは法制度ではなく妻へと向かってしまう。男性として恩恵をも受け、分断されているから。
(ベスト・ハズバンド度:0点)

 ヘレナ・ボナム・カーターによる柔術特訓などがあって、格闘技ファンとしては、おっと思わせられるのだが、これも実在のエピソードが元なのね。後半は実際のエピソードとフィクション部分が混交しているところが響いて、オチのつけ方にはかなり苦慮した印象。キング牧師のような有名人もおらず、直接運動の大転換となったような派手なエピソードにも乏しいのと、主人公が無名の人物であるせいで、クライマックスが不思議な印象に。
 最初はキャリー・マリガンが先導しているように見えたのが、いつの間にか順番が入れ替わって「実在の人物」が前に出ている。これはまあ、場合によってはあるいはキャリー・マリガンがああなっていたかもしれないよ……ということを匂わせているのであろうか?

 投石や爆破など過激な行動もあり、またクライマックスの事件の曖昧な解釈もあって、このサフラジェット運動がどこまで女性の選挙権の獲得に寄与したか?というとそこは明瞭でないわけだし、そこは映画内におけるエピソードのチョイスにもうかがえる。ただ、こういった歴史の1ページを経て今がある、ということは押さえておかなければならないところだろう。少々ダイジェスト的な端折り方がもったいなかったが、なかなか良かったです。