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”主よ! 主よ!”『沈黙-サイレンス-』


『沈黙-サイレンス-』予告

 スコセッシ監督作!

 十七世紀、長崎……。師フェレイラが棄教したと伝えられたその地に、弟子のロドリゴとガルペは降り立った。隠れキリシタンの村に身を潜めた二人だが、フェレイラの行方は知れず、幕府の弾圧もまた苛烈さを増して彼らを追い詰めていく。

 山田風太郎の『外道忍法帖』にこのリーアム・ニーソンが演じたフェレイラが登場するのだが、棄教後に完全に幕府側の人間になり、切支丹を拷問する方法を様々に考案した怪物のような存在として描かれている。夜な夜な切支丹の女に荒淫の限りを尽くしているのだが、かつて「穴吊るし」で転ぶ直前に「羅刹」を受けていて、要はチンコがない。はて、では如何にして女を犯しているのか……と思ったら、指が全部、チンコの形に変わっていたのであった……。

 昔、これを読んで「穴吊るし」とはいかなる拷問なのか、そんなに恐ろしいのか、とイメージを膨らませていたのだが、この映画のおかげでビジュアル的に理解することができてよかった。フェレイラと同時にこの拷問を受けた人は皆、殉死したそうだが、フェレイラは最後まで生き残って転んだと言う。きっと身体がでかすぎて体力もありすぎたから死に切れなかったのではなかろうか。

 物語はかつてそのフェレイラを師と仰いでいた二人の若き神父が日本にやってくるところから始まる。彼が棄教するなどありえない、という二人は、まさにその彼を転ばせた幕府側の弾圧を体験することになる。
全編台湾ロケで、ほとんど実際の拷問に等しいんじゃないの、という環境に我らが塚本晋也を放り込むシーンが最高。海上ぎりぎりに建てられた十字架に架けられた晋也に、幾度も押し寄せる波濤……!
 島原の乱で幕府も相当懲りたのか、踏み絵による選別も相当にマイルド化し、一方でとりあえず踏みさえすればこの場は見逃すと言う一方で、全員を狙うのではなく弱いものや指導者的立場の人間を狙い撃ちにするなど悪質さを増している。そんな中、踏み絵を踏んでは許しを乞い、また脅されては踏むという人間の「弱さ」の体現者キチジローこと窪塚洋介……! この人『魔界転生』では天草四郎役だったんですけどね! 晋也と並んでベストアクトだが、主人公あるところにどこからともなく現れる姿は、何やらイマジナリー・フレンドのようでもあり、まさに今作における立ち位置の重要性を示している。

 おもいっきりざっくりした理解をすると、結局のところこの弾圧、拷問の数々を耐えて信仰を貫くとは、すなわち死しかないわけで、誰もがその道を選べるわけではない。キチジローも、フェレイラも、そしてアンドリュー・ガーフィールド演じる主人公と、あるいは「ユダ」さえも……。その「弱さ」を思え! ということかな。
 ただまあ、実際に転んだフェレイラが主人公の前でひたすら言い訳をするあたりの欺瞞っぷりにはクラクラさせられるし、拷問する側に回って身の安全を図るあたりキチジローと一緒にはならんよな、という気がする。まあ『外道忍法帖』ではこの背教者フェレイラはこの後、切支丹のくノ一の「大友忍法、不知火」によって目に十字架を焼きつけられ、のたうちまわったあげくに「主よ! 主よ!」と信仰に立ち戻ってから死ぬので、それとセットで見ればまあいいか……。

 かくも苛烈な環境を生み出した幕府による宗教弾圧に関して、フェレイラの他にも、イッセー尾形演じる井上筑後守が「日本」という国の特殊性を滔々と語る。宗教観はそもそもキリスト教と合わないし、外国とは全く違うのだ。この国は「沼」であり、キリスト教は決して根付かない……。
 この言に妥当性があるかは、とりあえず君たちのやってる弾圧をやめてから検証しようじゃないか、という話でしかないわけだが、こうして自分たちのやっていることを、あたかも自然現象のように無謬のこととして言い、誰も責任を負わない。このあたりが実に「日本人」らしいというか、島国だから、単一民族だから特別、みたいなことを言いたがる「この国」の現代においても変わらない在りようを描いてるようで、なかなかに恥ずかしい思いをさせられた。
 そういう意味で、今作自体が一つの「日本人論」にもなっていて、徹底された考証や美術、優れた日本人キャストはそれに説得力を持たせるために必要であったのだろうな、という気がしますね。

 結論としてはやっぱり『外道忍法帖』最高だな。『沈黙』より四年も前に書かれてるが、風太郎先生は『沈黙』読んだのかな。この展開なら、アンドリュー・ガーフィールドがリーアムの後を継いで切支丹を拷問しまくり、新たなくノ一と死闘を繰り広げるような続編もありえたかもしれないぞ。

沈黙(新潮文庫)

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