"お兄ちゃんが許せない"『フォックスキャッチャー』(ネタバレ)


 『マネーボール』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20111011/1318040695)のベネット・ミラー監督の最新作。


 オリンピックのレスリングで金メダルを獲得しながら、日々の練習や生活にも苦労しているマーク・シュルツ。同じく金メダリストである兄デイヴの練習場を使わせてもらい、仕事の代理をこなして苦しい生活を送っていた。そんな彼に訪れた転機、それは、大財閥デュポン家の御曹司が彼を中心にレスリングチームを結成したいと電話してきたことだった。喜び勇んでその地「フォックスキャッチャー」へと向かうマークだったが……。


 さて、『マネーボール』も野球そのものではなく、その裏事情や業界の構造に迫る映画だったのですが、今作もレスリングそのものの話ではない。ソウルオリンピック前、前回金メダリストさえもが食い詰めている中、ある大富豪がスポンサーとして救済に乗り出す。同じ金メダリストである兄のチームで練習しながら講演会の代理などして日銭を稼ぐ毎日を送るマーク・シュルツ。世界選手権は近づいているが、環境は良くない。そこへかかって来た一本の電話。訪ねて行った先の大富豪デュポンからの誘いは、練習環境と生活、毎月のギャランティを保証するというもの。


 レスリングを愛する富豪と、オリンピック選手の間に友情が芽生え、大きな目標に向かって勝ち進んでいく……という文句無しのサクセスストーリー。勝利と、それ以上に大切なものを得るために……と、筋書きだけならそうなのだが、もうオープニングからずーっと不穏な気配が漂う。劇伴を使わず、画面隅から聴こえるノイズのような小さな物音だけを響かせ、デュポンを演ずるスティーブ・カレルの抑揚のない台詞がいやに耳に残る。


 まさにアメリカンドリーム!なお話を思い描いて出かけて行ったら、どうもこのデュポンさんがおかしい。大富豪なんて多少は偏屈なものだろう……と思うのだが、愛国心レスリングへの傾倒の向こうに、それで発散し切れていない衝動がうかがえる。もういい歳なのだが、老母以外に家族もない。屋敷の敷地内に銃の練習場を作って警察にアドバイスし、学位を取って鳥類学者の肩書きも持ち、さらにはレスリングと国に貢献したい……と、一見ノブレスオブリージュを心がけているように見えるのだが、本物の戦車を買ってきて「機関銃がついてないぞ!」と怒ったりして、趣味が危険な方向に走っている感がじわじわ漂ってくる。
 呼ばれてやってきて、友人扱いされて、本来なら悪い気はしないはずのオリンピックレスラーだが、少しずつ違和感が漂う。自身だけでなく兄も呼びたいと言われ、トロフィーや銃のコレクション、戦車、さらに母親のコレクションしている「名馬」の数々を見るにつけ、自分もまた彼にとっての「馬」なのではないか……?との思いが拭えない。
 そして、強烈な腐臭を発してくる自己顕示欲とコンプレックス……。スピーチでデュポンさんをべた褒めする原稿を練習させられるチャニング。極めつけは、


「これからは私のことを”イーグル”、あるいは"ゴールデン・イーグル"と呼ぶように」


 思わず、「えっ……マジ……? い、イーグル?」と、どもってしまいそうになったが、


「"ジョン"か"コーチ"でも構わないが」


 と補足してくれたので、心底ほっとしちゃったね。


 とにかくまず母親に認められず、それがずーっと心に刺さってるせいか、何をやっても自信がなく、他人にリスペクトされている気がしない。尊敬を集めても、それは単に金を持っているからに過ぎず、自分で成し遂げたことは何一つない。今また、コーチとしてオリンピックレスラーに金メダルを獲らせようとしているが、それも決して彼の心を満たすことはない。そもそもコーチのスキルもないのだから……。それこそが、かつて貴族が楽しんだ、自らは手を汚さず猟犬に狩らせる「狐狩り」そのものである。


 しかしながら、いくら背に腹は代えられないとはいえ、こういう人とはなるべく距離を置いて接したいな……と思うのだが、いかにもうじうじしているチャニングことマーク・シュルツは、彼の言うなりになってしまう。彼もまた父親不在の中で兄に育てられ、べったりの甘え体質が板についてしまっている。そして、レスリングでも偉大なる兄の背後に隠れた彼はコンプレックスの塊になっており、それゆえに大金持ちであるにも関わらず「持たざる者」であるデュポンと惹かれ合うことになる……。
 歪ながら関係は深まり、深夜のレスリング練習で絡み合い、汗を流し合う男たち……。二人が前後に対照に収まった二種類のポスタービジュアルは、その一体感を示している。性的なニュアンスと共に、一方が一方の影であるかのような……。


 だが、それを打ち消すかのような光が射す。あまり情報を仕入れずに観に行ったので、いかにもうじうじしているチャニング・テイタムが殺されるのかと思っていたが、二人いる金メダリストの内、兄のマーク・ラファロさんことデイヴ・シュルツがいかにも危ないのがじわじわとわかってくる。
 ホテルでデイヴが妻子と戯れているところに、デュポンが入ってくるところが本当に不穏で、一番恐ろしかった。ほんと、このラファロさんが素晴らしい人間なんだよね。常に自信に満ち、前向きで、レスリングも強く、弟にも優しく家族に愛されている。金では動かず家族を優先し、スポンサーにも敬意を払いつつしかし決して卑屈にならない。誰に対しても分け隔てなく友人として振る舞う。ハゲてても一向に気にしない……!
 なんと言うか……こういう奴が許せないんだ!というその気持ち、よくわかる!
 常に卑屈で、後ろ向きで、レスリングも強くなくて、自分の家族もいない。大事なものもなく金しか価値観がなくて……そんな人間からしたら、このラファロさんのような人格者は、身近にいるだけでコンプレックスを強烈に刺激し、突きつけてくる存在なのだ……。頭突きして、鼻血まで出させたのに怒らず何事もなかったかのようにフェアに相対してくる……そんなところがまた許せない! その正しさが、その優しさが、どれだけ僕を傷つけているのかわかっているのかーっ!


 ……とまあ、そんな身勝手な考え方で殺されてはかなわんのですけど、弟は兄に対してかような鬱屈を抱え、マークが去った後、今度はデュポンがそれに対峙することとなる。
 デュポンとデイヴの関係は、ソウルオリンピックから射殺までの8年間があっさりカットされている通り、深くは描かれない。オリンピックの数日後に撃ち殺されたようだな……。
 これはこれでもっと深く描けば、逆『バーニー』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20130725/1374739555)のような話になっていたのではないかな。所有から逃れるために殺す話、所有できないがゆえに殺す話。いやあ、恐ろしいですね。


 実話ベースの映画として『ソーシャル・ネットワーク』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20101030/1288442495)などと同じく、物語にするために単純化し捻じ曲げた部分も多い。……つうか、ここまで心理を掘り下げたら、それはもうフィクションだよな。メインのキャラクターに人間関係も事象も集約しすぎでやりすぎ感も甚だしく、これは本物のマーク・シュルツさんが怒るのも無理はない。特にマークとデュポンを感性を同じくする者のように描き、デュポンによるデイヴ殺害は、マークにもまた原因があったかのように描くのはひどい。だからこそ映画としては抜群に面白くなっているのだが。虚実の狭間は曖昧になり、一つの寓話が誕生する。


 93年に第一回大会やってたUFCがなぜか88年のソウルオリンピック前に放送され、ゲーリー・グッドリッジがテレビの中で試合している。完全に時空が歪んでいるのだが、ラストではマーク・シュルツが実際にUFCオクタゴンへ足を踏み入れる。こっちが実話で、その時の対戦相手がテレビに映ってたゲーリー・グッドリッジ
 このシーン、リングアナの声は現代のUFCでやってるブルース・バッファーに声が似てたけど別の人で(当時のリングアナも別人)、さらに対戦相手はロシア人になっていた……。うーむ、ここは本物のゲーリー・グッドリッジか、せめて見た目似た人にして欲しかったな。
 この時代のUFCは超バイオレンスだったので、オリンピックレスラーとの対比で堕落したように語られるのもむべなるかな……とは思うが、頭を丸めて皮肉にも未だにUSAコールを浴びながら、栄光なき死地とも言える金網の中に足を踏み入れたマーク・シュルツは、どこか修行僧のように切なく贖罪めいて見えたな……。