”吠えろ、幻の左"『百円の恋』


 ボクシング映画!


 弁当屋を営む実家で、手伝いもせずに引きこもる32歳の一子。だが、離婚して子連れで帰ってきた妹の二三子と険悪になり、ついに大げんかの果てに一人暮らしをすることに。行きつけの百円ショップで働き始めた一子は、通り道のボクシングジムで練習に励む男に心惹かれるのだが……。


 評判は良かったけど、大阪公開は年明けになってしまったので、やっとこさ見てきました。2015年1本目!


 まあ、安藤サクラがボクシング……のTVゲームをやってる冒頭から太りまくりで、これは後々痩せるのだろうな、とわかっていてもにわかに信じがたいレベル。たるんだ尻、揺れる腹……。実家で怠惰な毎日を送っているところから、100円ショップでバイトしてボクシングを始めるまでの間のところで、やや絞れてるあたりが芸が細かい。だいたい二週間で撮影したそうで、一番太ってる時期と最後のボクシングやってる時期に合わせて短期間で太って絞ってしたそうで、効率はいいのかもしれんが身体には悪そうであった。
 冒頭の弁当屋を営む家族の関係を描いたシーンから手際が良くて、特にお父さんの影の薄さが秀逸。最初の登場シーンとか、隣に住んでる人かと思ったわ。
 主人公は子連れで出戻ってきた妹と折り合いが悪く、母は腰が悪いし父親も身体悪くて影薄い……半ば追い出されるような格好で一人暮らしを始め、買い食いポイントだった100円ショップで働き始める。
 家族の間では喋れてたものが、外ではほとんど喋れない。この内弁慶ぶりがまた恥ずかしい。「あ、ども……あ、はい。あざっす……」。ここから登場人物がことごとく日本語が不自由で、全然会話によって意思の疎通ができていない。たまに饒舌な人は空疎な口だけの人間として描かれていて、意思疎通しないままに関係が進展していくあたりが何とも日本的だな、という気がする。新井浩文演ずるボクサーも、定年で引退するまで6回戦レベルで、その後もコーチなどのお声がかかることはなし。口下手過ぎ。こんなのとずるずる恋愛関係になって大丈夫なのか……いや、全然大丈夫ではない。
 100円ショップに集まっている人は、ホームレスからうつ病患者、犯罪者までいて、まさに底辺ぎりぎりといった場所になっている。ただ、そこからの「脱出」を掲げるわけでもなく、それがあるがままの姿として描かれる。そこに生まれて、そこで暮らし、これからもそこで生きる。敷石の下には、名もない虫たちがさざめいている。だが、そんな虫たちにも彼らなりの人生があり、夢があり、希望がある……。


 ボクサーへの恋愛感情があり、直後に男の拳で屈服させられレイプされるという屈辱的体験があるので、それがボクシングに取り組む動機として一応は用意されているのだけれど、それだけではやっぱりなぜボクシングなのか、という説明はつかない。ボクサーとは別れてしまうし、レイプ犯に対して復讐を企てるわけでもない。そんなわかりやすいフックがなくなってもボクシングに打ち込み続け、プロテストを受け、試合に出て殴りあうことを切望する。一銭にもならないし、大成するわけもないのに……。
 やっと弁当屋で手伝いするぐらいの社会性を身につけたのはいいんだが、それも100円ショップ経験によるところが大きく、ほんとにボクシングは教訓的な意味では役に立ってないのな。だけど、そこがいい。やるのにも、続けるのにも、勝ちたいと思うのにも、何も理由はいらない。ただ、好きだから、なんかいいなと思ったから続けたい、それでいいのだ。映画としてのルックは全然違うのだが、『ローラーガールズ・ダイアリー』を思い出したところでもある。かの映画ではローラーゲームで主人公はそれなりの成功を収めるのだが、やはり大きな収入や名声を得るわけではなく、年を経ると他の仕事をしながら好きで続けるしかない、ということが描かれている。


 そして、「憎まなきゃ殴れないだろ」という新井浩文の台詞に対して(この台詞もどこまで本気かちょっとわからないのだが)、それに類する感情が一切出てこない。そしてそんな感情などなくても戦えてしまうというのが、スポーツ、競技へ取り組む動機を、何も描いていないようでいて非常にリアルに描いているように思う。


 安藤サクラは身体絞って後はすっかり様になっていて、シャドーやミット打ちでも「これはすごいんじゃないか」と思わせるのだよね。そして気合十分で試合に臨み……滅多打ちに! 女子の4回戦で、相手もまあ多くてせいぜい数戦の経験でしょ……ということになるのだが、それでもやっぱり若くして始めた人との力の差は大きい。本当の試合なら2ラウンド早々に止められてもおかしくないが、そこは映画だからロッキーのような展開に! 立ち上がり、そしてコーチも認めた左を一発当てられるか……?


 その歩みは劇的ではなく、亀のようで、だからこそ清々しい。そんな映画でありました。

ローラーガールズ・ダイアリー [DVD]

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