”永遠の”『フューリー』


 デヴィッド・エアー監督作品。


 ナチス打倒のためドイツに侵攻する米軍。戦車「フューリー」を仲間と共に駆る”ウォーダディー”は、チームワークで過酷な戦場を乗り切ってきた。だがそこに、戦死した副操縦士に代わって新兵が送られてくる。ウォーダディーは新兵ノーマンに、戦争のなんたるかを教えようとするが……。


 『サボタージュ』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20141126/1417015005)に続いて二本目が今年公開。実際の戦車を使って撮ったという、超リアル戦車映画! 主人公は米軍の戦車に乗っているが、敵は当然ドイツの最強戦車タイガーだ!


 まあとにかく死体の山が築かれる映画で、人体がどんどん景気良くちぎれ飛ぶ。臨場感溢れる音響の中で銃弾が飛び交い、それに混じって戦車の砲弾が爆音をあげる。どっちをもらってももちろん死亡!
 この素晴らしき臨場感の中、殺伐とした戦場人生を送ってきたブラピが、戦地に赴任したばかりのローガン・ラーマン君に闘魂注入。この捕虜のドイツ兵を撃ち殺せ!と言って無理やり撃たせる。おおー、こうして戦場の嫌な面を徹底的に突きつけていくことで「戦争映画」として成立させようというのか。これはすごいかもしれん……。


 と、最初はそう思ったのだが、話が進むにつれてなにやら腰が引けてくる。頻発する「これが戦場だ」「これが戦争なんだ」というセリフに、奇妙なくどさと言い訳がましさを感じる。非道なことをやっている一方で、それは仕方のないこと、普通のこと、生きるためのことだったのだ、と言いたいのだろうが、それは観客がそう感じ取ればいいのであって、あまりにもくどいと白けてしまう。


 さらにドイツ侵攻は続き、多大な犠牲を払いながらも村を占拠して、住民を虐殺していたSSを処刑! 民家に乗り込んだブラピ、今日は首尾よく殺しを遂行したローガン・ラーマン君を労うため、ベッドの下に隠れていたドイツ娘を引っ張り出す!
 こりゃあすげえ、これから天下のブラピのレイプシーンが見れるのか! 前言撤回だ、なんと厳しいんだ……!と思ったら、壮絶に肩透かしを食った。ローガン・ラーマン君はピアノを弾いてドイツ娘のハートをゲット! ブラピさんは卵をドイツ女にあげてお料理させ、部下に「おままごと」と揶揄されるお食事を……。えっ、ブラピさん、ここは「若い方はおまえにくれてやる。俺はこの年増で我慢してやるぜ」と言うところじゃないんですか。何か急に高潔ぶりだして気持ち悪く、部下にも突っ込まれる。あーあ、日和ったな、ブラピ……。ここで戦時性暴力の厳しさや過酷さを描かないんですか。アンジェリーナ・ジョリー監督作『最愛の大地』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20130826/1377515393)を100回観直したらいいと思います。ラーマン君とドイツ娘のくだりも、たかがピアノ弾いたぐらいで和姦ぽくなっちゃうという、緩いを通り越してずるいと言うしかない描き方。仮にこれで成立するとしても、それは占領軍が銃持ち込んでるからでしかないよな。後におじいさんになった当事者が、「あの娘とわしはなあ……心が通じておったんじゃよ……」ととてつもなく美化して語ってる回想のようで、超気持ち悪い。


 戦争シーンの迫力やディティールは素晴らしいのだが、そういうところをリアルに描けば描くほど、ハリウッドの制約か、ブラピのカッコつけか、あるいは軍隊出身のデヴィッド・エアーの「現実」感覚がその程度のものなのか、やっぱりアメリカ軍の「善い戦争」のふりから逃れられない限界に突き当たる。


 ここまでで半分だが、何だかエピソードの羅列みたいな構成にも感じられるのよね。


最初の帰還シーンからラーマン加入。
侵攻からドイツ女の下り。
VSタイガー戦車。
最後の戦い。


 『サボタージュ』の脚本も最初は四時間あったという話からの連想だが、だいたい一時間ぐらいずつで四話の連ドラ方式にしたら、もうちょっとしっくり来たような気がする。ブラッド・ピットのキャラがぶれ過ぎなのだが、毎回そこに至る心理を描いておけばあるいは……無理か……。


 途中のVSタイガー戦車のシーンはそこだけ取り出せば最高で、要はザク3機でガンダムに立ち向かう話なのな。まさに「ドイツの戦車は化け物か!」状態で、性能差ありすぎ。そこを如何にして埋めるか、ギリギリの戦いを見せる。タイガー戦車の強さがひしひしと伝わる名シーンで、ここはオタク歓喜。
 そして、傷ついた戦車に立てこもっての最後の戦いへ……。ここも非常にハラハラするところなのだが、このシチュエーションで残って戦っちゃうのは、まるで行き過ぎた『ハートロッカー』症候群のようである。過酷な現実の中で、それでも「自分の仕事」をすることが大事なのだ、より多くの犠牲を生まない道なのだ、というのはカッコいいテーゼではあるのだが、病気寸前のヒロイズムごっこでもあるね。


 どうもデヴィッド・エアーの安息の地は、ハリウッドにはないのではないかね。『サボタージュ』も脚本を書き換えられ大幅カットの憂き目を見て、腰砕けハードボイルドになって崩壊だし、今作にも同じ匂いがするところ。『サボ』のシュワと今作のブラピ、非常に似たような改変の跡がうかがえるのだよね。それが誰の顔色をうかがい、誰が日和ったものかは、外部からはうかがい知れないわけだが。
 「戦争は過酷で悲惨なものだ!」とぶち上げながら、「でもそこで戦った兵士はピュアだったのだ!」というところに逃げてしまうあたりが、実に欺瞞的。そこらへんがいかにもアメリカ映画であるな、と感じたところで、何かに似てるな、と気づく。ああ、観てないけど噂に聞く『永遠の0』じゃねえの……。どこの国でも美化したがりのやることはいっしょなのか……。

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