"ニューヒーロー誕生!? その名は……"『マン・オブ・スティール』(ネタバレ)


 『スーパーマン』がリブート!


 崩壊が迫るクリプトン星において、ジョー・エルは自然分娩で生まれた唯一の子である、自分の息子カル・エルに全てを託し、地球へと送り出す。地球にたどり着いた赤子は、ケント夫妻の農場で育ち、クラーク・ケントとして成長する。三十年の間、自らに備わる人と違う力の存在とルーツに悩みながら……。ようやくその源へとたどり着いた時、地球に侵略者が飛来する。かつて、クリプトンを支配しようとした男、ゾッド将軍である。


 さて、主演がヘンリー・カヴィルということで、『インモータルズ』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20111029/1319821054)とか『シャドー・チェイサー』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20121112/1352713003)とか観ていたわけだが、今回で実感したのは


 いや……絶望的なまでに華がないね……。


 スーパーマンというキャラは、むしろ顔に特徴がないのが特徴、というのはわかるけれど、それは決してカリスマ性とか、人を惹き付けるものがない、無個性ということを意味しないよね……地味……。時々、ヒゲが生えたり生えなかったりしているのが、また致命的なダメージを与えているのだよね。ヒゲ生やして建物の倒壊を防いでるシーンの気張りよう……あれっ、ウルヴァリン? ヒュー・ジャックマン? いやいや、ヒゲなんて生やしたら、個性の薄い顔が余計に印象薄くなるんだよ。


 まあ顔が地味でも、キャラクター付けでなんとか……と思ったんだが、なんだろう、この暗さは……。ガキの頃はイジメにあってうじうじし、育てのお父さんケビン・コスナーに反抗し、よれよれのヒゲもじゃで世界中をバイト生活してさすらいながらやっぱりバーでイジメにあう……。すっごく暗い……。なんかずっとジメジメと悩みっぱなしだし。
 で、バーで客にビールぶっかけられて、力がバレるとダメだからじっと我慢……したのはいいが、あとで外へ出て、仕返しにその客の車を散々に破壊する……えっ、何この陰湿さ……。
 ……スーパーマンって、こんなネクラな野郎だったっけ? 子供の頃、川に落ちたバスを助けるシーンがあるんだが、助けられた同級生が誰一人感謝してなくて「キモい!」「あいつおかしい!」とかばかり言ってるのが印象的。こういう恩も何も知らない人間しかいない世界観なのか。
 画面が暗い上に3Dはエクスパンディだったから、余計そう見えたのかもしれないなあ。まことに陰鬱。


 そんな世界で、彼は一人、自らのルーツを求めて彷徨う……。冒頭から、彼の出生と地球に送られた経緯が語られ、それがストーリーの骨子になっているのだが、2時間23分もあるのにそのことにばかりかまけてて、まるで人助けをしないのだな。敵であるゾッド将軍も彼自身を狙ってくるから、ものすごく内輪の話になっている。いや……こういう暗い話は『バットマン』で良くないですか?
 学校で、透視能力があるため、同級生や先生の服がスケスケになって裸、は見えずに、内臓が見えてしまう、というシーンがあるのだが、これが後々活かされないのはさておき、スーパーマンってのは近くが見え過ぎて困る、というより、遠くのものが見えてしまう人ではなかったか。
 人間と異質である、というのは前提なんだが、スケールが小さ過ぎて『アイ・アム・ナンバー4』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20110721/1311243263)みたいになってしまっている。こういう卑近な悩みは、宇宙に飛び出して地球を見下ろせば吹っ飛びそうな気がするんだが、なぜか飛ばずにうろうろと歩き回っていたり、ひたすら小さい。スーパーマンと言えば、もっと根源的に尺度が違う存在ではないのか。違いゆえに苦しむ、という展開はいいのだが、どうも方向性が合っていない。
 で、その彼と地球人の違いも、地球人側がろくに認識する暇もないままにゾッド将軍がやってくるために、事情を知らない人にして見たらポカーンとなるしかない。突然、円盤が現れて、名前も知らない者を引き渡せ、と言われて、攻撃が始まり、どうやらその「カル・エル」という奴らしい宇宙人が現れて戦い始めて……。
 米軍やらマスコミは出てくるが、彼の存在が知れ渡る前なので、まったく庶民が置いてきぼりなあたりも辛い。ほんとに個人的な敵を倒して「地球を救った!」とか言われても、困ってしまうのである。


 さらに速攻でロイス・レインに正体がばれ、クラーク・ケントという名前もばれ、軍隊にも身元がばれ、それなのにドヤ顔で「僕を追跡するな」とか言ってまた偵察機を壊す、というあたり、何か狂っているとしか思えない……。ロイスとブッチューとキスし、ラストはバレバレのメガネで変装しもうばれてる名前でそのまま新聞記者になって終わり……。
 ん〜、スーパーマンは素顔を思いっきりさらしているにも関わらず、なぜか誰も部の一番後ろの冴えない新聞記者である、と気づかないというお約束が面白いんじゃないかね。なんか凝ったつもりでこのラストなんだろうか……これで誰か「おおー、そう来るか!」と思ったり「ニヤリ」としたりするんでしょうか……。ごめん、こういう時、どういう顔をしたらいいのかわからないの……笑えばいいと思うよ……。
 『サッカー・パンチ』を永遠に『エンジェルウォーズ』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20110417/1302966786)として記憶に留めるのと同様、もうこいつは「スーパーマン」じゃなくて、新ヒーロー「スティールマン」ということにしよう。そうしよう。


 必要以上に街をぶち壊しまくって、途中で誰も助けないことを除けば、まあ最後の都市破壊シーンは迫力があったし、マイケル・シャノンのアーマー・セパレートのシーンは格好良かったですよ。しかし最後の対決も、「地球人」を守るために「同胞」を殺す、という葛藤を描きたいのだろうが、どっちとの関係もろくに描けてないんだから、薄っぺらくて格好だけにしか見えないわな。
 ゾッド将軍の部下でNo.2の実力者は、『パンドラム』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20101016/1287226212)以来のアンチュ・トラウェさんで、こちらは最高! エイミー・アダムスをもっとしばいて欲しかったね。
 しかしジョー・エル役のラッセル・クロウは、オープニングの「息子に希望を託す」というあたりはまあよかったものの、後半の「残留意識」としての登場は、まったく突っ立ってる木偶の坊みたいで、びっくりであった。演技らしい演技もせずにぼーっとしてるだけで、まるでハリソン・フォードの省エネ演技だよ! これ、本人はいったい何を思ってやっていたのだろうか……。「そこに立って、残留意識らしい顔をしてください」とか言われたのかな。冒頭の出産シーンをもって、カル・エルが遺伝子操作された試験管ベイビーでなく「唯一、自然に出産された子」と言ってるのだが、母胎から出産すればいいんだから無痛分娩できねえの、と大げさないきみっぷりをみて考えましたね。
 必要以上にでかい竜巻を前にしての、ケビン・コスナーの大見得は良かった。ここはザック節だわね。過剰すぎるぐらいにポーズを決めてしまうあたり。


 やっぱり脚本書いたノーランは、個人的な葛藤の話しか書けないのだな。まあ題材しだいで、うまくはまればそれでいいこともあるが、本当の超人の話を凡人レベルの悩みに落とし込んでしまったのは痛い。さらにそれを薄っぺらさには定評のあるザック・スナイダーがカッコばっかりこだわって撮ったら、こんなにもつまらなくなるのか、と衝撃的でした。何回も寝そうになったよ。
 いやほんと、『スーパーマン・リターンズ』が傑作に思えてきた……。『TED』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20130123/1358909991)のラストで、あれが「クソをぶっかけられた!」と評されていたけれど、そんな気分になりましたよ。『アメイジングスパイダーマン』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20120707/1341652906)と並んで、これから何年もこのうんざりするような映画のシリーズが続くのか、と思うと暗澹たる気分になる。まあ見なければいいんだが。