"おい、這って犬の真似しろよ"『ルビー・スパークス』


 ポール・ダノ主演作!


 デビュー作で注目を集めた早熟な天才作家カルヴィンだったが、10年間次回作が書けずにいる。友達もガールフレンドもなく、犬と引きこもり状態。心配した兄に連れ出されているが、一向に状況は改善しない。ある日、カウンセラーに好きな人のことをレポートに書け、と言われた彼は、夢で見た理想の女の子のことを小説として書き始める。だが、「ルビー」と名付けた彼女が、実際に家に現れ……。


 『LOOPER』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20130119/1358606686)では散々な目に遭わされていたダノ君ですが、今回は主役です。


 小説に書いた女が実体化する……って、何か楽しいファンタジーのように描いているけれど、これって『フランケンシュタイン』みたいな話ですよね。マッド・サイエンティストが自分好みの容姿の人造人間を作ってしまうような……。さらに、小説の続きを書けば彼女を思い通りに操れる段は、まるで改造手術と洗脳を繰り返しているかのようだ。
 そういうことをやらかしてしまうのは、極端に人格が未熟で幼児的な人間と言うしかないのだけれど、まさに主人公はそういう奴なんだね。友達もおらず、いつも兄貴に頼り、母親の新しいパートナーを受け入れられない。前の彼女と別れた顛末もまことに最低。真っ白なインテリアで統一された部屋は、まるで無菌室のようだ。幸いにも、気弱でコミュニケーションに難があり、深く関わらなければまるで無害な人間だが、時折ヒステリックな側面が顔を出す。
 何もかも思い通りにいかないと気が済まない幼児性の持ち主で、やがて自分が生んだカラフルな原色の彼女をも、自由に操れないと気が済まなくなる。だけど、彼女は決して白には染まらない。


 観ている間、なぜかずーっと『インビジブル』を思い出していた。ケビン・ベーコン博士は透明になる野望に取り憑かれ、徐々に手段を選ばぬ怪物と化して行く。ポール・ダノ博士もまた、生きたダッチワイフを前にして、なりふり構わず洗脳を繰り返すようになる。観てないんだが『空気人形』もこんな話?


 科学、小説による魔法、人を操ることができる力そのもの。それらは架空のもののように見えるが、どっこい現実に生きている我々も、そんな力を持っている。たとえば暴力だ。家庭と言う密室で振るわれる暴力。あるいは権力もそうだろう。金や家、生活を担保にして振るわれる力。カップル、夫婦、パートナーの間に存在するそれら。「恋愛」という行為、状態の中に、副作用のように生まれて来るもの。
 そんな力を使えば、僕たちも恋人に無理矢理に歌を歌わせたり、這いつくばらせて犬の真似をさせることができるかもしれない。世ではそれをドメスティック・バイオレンスと呼ぶ。端的におぞましい、ぞっとするような話だ。映画の中では主人公はタイプライターを叩いているだけだが、そんなお手軽さがこの行為の本質を糊塗するはずもあるまい。思い出しても胸がむかつくシーンだった。


 幸いにも、もう一回洗脳すれば、簡単に記憶は消せるわけで、やり直しも容易だ。ようやく後悔した主人公が彼女を解放するシーンは、やっと未熟さと決別できて、本人的には希望もあるのだろう。だが、彼のしたことは本来、やってはいけないこと、取り返しのつかないことではなかろうか。相手がリセットできるお人形ではなく、本当の生身の人間だったとしたら……。肉体の傷、心の傷、恨み、復讐、訴訟。剣呑な言葉を思い浮かべるのは容易だ。だが、それらが映画で登場することはない。


 女の子も、カスみたいな主人公でさえも可愛らしいし、アントニオ・バンデラスアネット・ベニングらが演ずる脇のキャストも気が利いている。細部の設定や、小道具も含意に満ちていて、いつまでも眺めていたいような美しさに満ちている。
 ファンタジーのような体裁を取りながら、その裏で描かれている幼児性と暴力性に満ちた男の願望と未熟さ、さらに恋愛そのものに対する批評性。ヒロイン『ルビー・スパークス』を演じたゾーイ・カザンは脚本も書いていて、操り人形であるルビーこそが、実はこの物語の操り手であるという逆説も皮肉だ。ラスト、恐る恐る彼女に話しかける主人公は、再会できた幸運を喜びながらも、もう自分に「力」がないことによる不安でいっぱいだ。当然、そこにはかつてDVで彼女を屈服させた負い目もあろう。やり直しの機会を与えたことを含め、そんな彼をどうするのかは、もはやルビー次第……。


 良く出来た面白い映画で、絵面に感じる楽しさと同時に心理ホラーのようなおぞましさも感じさせてくれた秀作であった。しかし、このコントロール願望は気持ち悪くてしようがないし、恋愛でないものを通して恋愛そのものを描く、という手法ゆえに、作中に登場するものには1ミリも共感出来ないという弊害。世の恋愛が失敗する原因のほとんどは、理想と現実のギャップだよね、と思いつつ締めたい。

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