"俺の詩の続きを知ってるか?"『推理作家ポー 最後の5日間』


 エドガー・アラン・ポーを題材にした映画。


 密室で殺された母娘。その状況が、数年前に流行した推理小説『モルグ街の殺人』と酷似していることに気づいた刑事フィールズは、最近故郷に戻って来ていたばかりの作者エドガー・アラン・ポーに、参考人として協力を仰ぐ。すでに絶筆状態で酒浸りだったポーだが、作品を模倣した第二、第三の事件が起きたことでついに立ち上がる……。


 えっと、結局、冒頭の密室から犯人はどうやって脱出したんですかね? 身軽な上に怪力というのは、後の展開からもなんとなくはわかりましたが、マジに窓から自力で出たと言うことでいいの? そう言えば、ここのシーンは何か窓の仕掛けが肝みたいに語られてるけど、小説の方の真犯人に触れなかったのが、逆の意味で印象的。いやいやいや、『モルグ街の殺人』で大事なのはそこじゃないから、そこじゃないから!と繰り返し突っ込みたくなってしまったよ。
 ははーん、これはいわゆる「ネタバレに配慮」という奴ですかな。『モルグ街の殺人』に留まらず、『盗まれた手紙』のような作中で使えば確実に割れる一発ネタの作品を未読の人にこれから楽しんでもらうために、あえてぼかしているのであろうか。
 しかしポーのような超古典を映画内でのみネタバレしたところで、今更そんなぎゃんぎゃんわめくミステリファンはおらんような気がするのだがどうだろう。
 一応あるのかないのかわからんその気持ちを汲んで伏せるが、ここはジョン・キューザックルーク・エヴァンスが真顔で「犯人は○○○○ー○○だ!」と一時なりとも信じかけるような展開が欲しかったと思う。


 まあそんなわけで冒頭から、原作読者からすると、ケツがかゆいようなもじもじと座りの悪い展開が続き、あの作品が出たと思ったら名前だけ、あの作品が出たと思ったら道具だけ、と、いかにもみみっちい中途半端な出し方に留まるのである。見終わった今、おいおいなんで鴉は出て黒猫は出ないんだよ、とか、誰の何家でもいいからとりあえず崩壊させろよ、とかブツブツブツブツと不平ばかり垂れてしまった。
 そんな原作、あるいは作家ポーへの思い入れのあるのかないのかわからない半端っぷりだが、これがラスト近くで犯人様曰く「次はジュール・ヴェルヌだ!」と気を吐かれ、ポーが「ガーン! ショック! 俺だけのファンじゃなかったのか!」と打ちのめされる展開に見事に象徴されていて、それは観客の我々が製作者に対して「こんな映画まで作っといて、ポーに大して思い入れなかったのか!」と感じるのと相似形をなしているのだよね。


 さて犯人が作者ポーを巻き込んで操るために、色々と小説の小道具を仕込んでくる、という展開。その謎が「俺が書いた何々だ!」とわかるのはまあ作者なんだから当然なんだけど、作者じゃなくてもちょっと読み込んでるファンならわかりそうなものばかり。むしろアル中の作者は忘れてそうだし、ファンVSファンの対決になる『ミッドナイトFM』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20120530/1338379666)のような話にすれば良かったのに。かくも「読んでればわかる」ような謎しか出てこず、謎解きのプロットが致命的なまでにしょぼいので、話を引っ張って作者ポーさんに関わってもらうために、つまらない恋愛話と誘拐劇を入れるしかなくなってくる。ここに至り小説と小説家を題材にした映画ならではの作者VSファンの業とでも言うべき対決は吹っ飛び、常人VS狂人のありがちなサスペンスだけが残るのである。


 ジョン・キューザック演じるポーさんの才能の枯渇っぷりは良かったのだから、そこからの皮肉にも犯人による再生の顛末にするとか、まあ色々な展開はあり得たと思うのだが、残念でありました。

黒猫・アッシャー家の崩壊―ポー短編集〈1〉ゴシック編 (新潮文庫)

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