"アーティスト、孤独の肖像"『ダーク・シャドウ』(ネタバレ)


 バートンとジョニー・デップがまたまたコラボ!


 200年前、魔女によって呪いをかけられ、吸血鬼にされて血の底に封印されたコリンズ家の当主バーナバス。1970年代に甦った彼は、没落した家と一族を立て直そうとする。だが、かつて彼に捨てられた事を恨みに思う魔女もまた、この地に留まり船主として君臨し、コリンズ家に対して未だに復讐を続けていた……。


 かつて『シザーハンズ』などで異形の存在の孤独を自己像に重ね続けたバートンだが、『スリーピー・ホロウ』において自らもその異形を蔑視する平凡な人間へ堕しかける危機を描いたのを契機に、転換点を迎える。自らと自らの分身が、避けていたはずの父と和解し家族を持つことを描いた『ビッグ・フィッシュ』『チャーリーとチョコレート工場』は、古くから彼の作風を知る者にとっては感動的でさえあった(この辺り、町山智浩氏の『シザーハンズ』評にくわしい)。だが、今再びバートンは迷いの時期を迎えているように思われる。
 『スウィーニー・トッド』におけるヘレナ・ボナム・カーター演ずるキャラクターの末路は「おまえ、俺を裏切るとこうなるよ?」という強烈なメッセージであった。彼女を赤の女王役に据えて結婚という行為を全否定した『アリス・イン・ワンダーランド』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20100415/1271347437)を経て、再び吸血鬼という異形に立ち戻り「家族」を描く今作に込められた思いとは?


 主人公のバーナバス・コリンズは、魔女を弄んだ過去によって妻を失い、吸血鬼に変えられた男。当然いつも通りバートン=主人公として観ると、カルチャーギャップを抱えたまま家族に入り込もうとする姿には、現在、家族を持ったはずのバートンがそこに抱いているギャップや齟齬が込められているのではなかろうか。吸血鬼として人を殺さずには生きていけないバーナバスだが、今作においてはバートンも再びかつての狷介なる性格に立ち戻って撮ったのかもしれない。財産や仕事の才能はあるが、パートナーや子供との関係に苦しむ……これが今のバートンなのだろうか。 


 幼い頃からバーナバスの屋敷で働くお手伝い、その実体は魔女……演ずるは魔性のエロティシズム、エヴァ・グリーン。エロいことで有名な女優だが、今回はど直球で主人公を誘惑する。予告でもびっくりしたが、バートン映画でラブシーンって珍しいな……。「妻」ではない、かつて弄んだ女であるキャラクターだが、やたらと強調される胸の谷間で思い出すのは、カーター以前の恋人であるリサ・マリーの巨乳だ。
 魔女との情事は、かつてのリサ・マリーとの関係の暗示? 実際のところ、バートンが今も彼女に狙われてるなんてことはなく、今回のモテ自慢に見えなくもない展開も鴎外の『舞姫』や井上靖の『猟銃』のような、実体験を交えたフィクションなのであろう。ただ、家族を持ちながらもこうした過去が襲ってくるあたり、バートンの現在の「ぶれ」として捉えると面白い。
 ティム・バートンって、リサ・マリーやヘレナ・ボナム・カーターと、どんなセックスしてるんだろ? 当然ながらそんな下世話な興味は満たしてくれないが、吸血鬼の不能的印象と裏腹のラブシーンは、「俺だってそれなりのことはしてるよ……」という露悪と取れなくもない。


 家族愛を謳う話かと思いきやだだ滑りし、昔の火遊びのしっぺ返しを喰らって屋敷も工場も吹っ飛ばされるあたり、散々である。それでも屈服せずに「おまえは誰も愛することなどできない」と大見得を切るのはいいが、ラストで放り出して自分だけは永遠の純愛に逃げ込むあたり、ダメ人間そのものだ。『スウィーニー・トッド』と同じく裏切った嫁に制裁を加えたのはいいが、最後にヘレナ・ボナム・カーターが「私からは永遠に逃げられないわよ!」とばかりに目を見開いて終わるあたりも暗示的。
 愛だの家族だのとぶち上げて責任を背負ってみたものの、いろんなものに追い回されまくって結局何もうまく行かずに逃避する己の姿を、コメディの体裁を取って自己批判的に描く。それはそれでまことに大人の態度であるなあ、とも言えるが、一見客観を装った露悪的なまでの自己言及は、多分に自己破壊的であるし、大人の自分と昔の自分が折り合いをつけられずに併走し続けているような危うさも、ひしひしと感じたものである。
 最近、休養宣言を出したそうだが(http://news.livedoor.com/article/detail/6537536/)、確かに休んだ方が良さそうな気がするなあ。エヴァ・グリーン魔女の下についてる会社の重役たちにとっつかまるシーンがあるが、あれがハリウッドの重役に見えたね。そりゃあ少々は大人になったんだろうが、ティム・バートンはどこまで行ってもティム・バートンであることも間違いないのだし、背負いきれないものまで背負って無理することなんてないんではないか。人生にハッピーエンドなどない。落ちついたかとも思われたが、希代のアーティストの彷徨は、まだまだ当分続くのかもしれない。


 たぶん、オリジナルのドラマではきっちり尺取ってワンエピソード作ってたんだろうな、と思われるとこは大幅にカット。おかげで家族多い割にやや各キャラクターは薄目。クロエたんとかクロエたんとかクロエたんの正体も、もうちょっと作り込まれてたのだろうなあ。飲んだくれてるジャッキー・アール・ヘイリーが意外に渋かったのも良かったところ。デップさんは安定のいつも通り。エヴァ・グリーンが美しいのだけれども内面が空の人間……いやあ、これはほんとに大熱演だね。いるよなあ、こういう所有欲と執着心に溢れた人……でもそれは断じて愛ではないのだ。
 少々話は散漫ながら、バートン印の美術と旧作を思わせる道具立ては健在で、ファンならば楽しく観られるところ。少し休んで、また新しい作品にチャレンジしてほしいものである。

スリーピー・ホロウ [Blu-ray]

スリーピー・ホロウ [Blu-ray]

チャーリーとチョコレート工場 [Blu-ray]

チャーリーとチョコレート工場 [Blu-ray]