"我が青春の終わり"『新機動戦記ガンダムW Endless Waltz 特別篇』

 

 ガンダムWの完結編。BDに買い替えたので、ついでに鑑賞。


 AC196年、熾烈を極めたホワイトファングと地球国家軍の戦いから一年後。かつての地球国家元首トレーズ・クシュリナーダの娘、マリーメイア・クシュリナーダがバートン財団の後ろ盾を得て地球に叛旗を翻す。囚われの身となったリリーナの救出のため、動き出すヒイロとデュオ。だが、その前にマリーメイ軍の兵士となったトロワと五飛が立ちふさがる。一方、カトルは太陽に向けて廃棄された彼らのガンダムを回収すべく、金星に向けて出発する。


 テレビシリーズは高校の頃にがっちりハマってたので、これも思い入れの強い作品……なんだけど、実際のところあまり好きではない。


 テーマを整理して「結論を出して終わりにする」ということを目的に作った作品、という感じがするのだよねえ。テレビシリーズの終盤の展開にも感じたことだが、物語上の自然な要請としてこうなったように思えず、風呂敷を畳み終わったところから逆算して作った作品、という感じが強くする。


 世界国家の樹立、立ち上がる大衆……他のシリーズにはなかった「理想」を掲げた作品だが、そこへ向かう過程を描くだけならまだしも、 はっきりとそれが成立して結論づけられて終わる、というのは、この混沌として不正義の溢れる現世に生きる人間としては、いささか安直に感じられる。ましてそれらの成立後の後日談的性質を持つ今作は、主人公たちが何やら有り得ない物を守っているようにさえ感じられ、言ってしまうと気の毒だが空理空論、ハッピーエンドも現実のように思えず何やら虚しい物を覚えた。


 敵対する意見を発するキャラクターにマリーメイアという幼女を据えたことにより、「ワガママな子供に教え諭す」という体裁をとったことも、 何か意見の衝突を避けて座りを良くしたような、奇妙な居心地の良さを感じた。『ガンダム』シリーズにあって然るべき、思想や怨念、感情の激突といった不条理感があまりにもなさすぎる。
 同時期にコミックで展開された過去編の掘り下げなども、少々説明的に感じられ、そんなに細部までいちいちつじつま合わせしなくてもいいのになあ、と思ったものであった。
 作画や戦闘シーン、ガンダムのデザインなど良いのだが、テレビシリーズより好きかというとそうではないし、エンターテインメントの完結編としては不満も大きく抱えた作品でもあった。今もって、最後の敵がシェルター!?というのは呆然となってしまうし、コロニー落としの阻止のあっさりぶりにもガッカリしたなあ。端末カタカタやっただけで止まるのかよ! まあそれでも、終わったと思っていたヒイロ達の物語がまた観られたこと自体は良かったし、青春そのものであった作品のラストとして忘れ難い作品でもある。


 さて、十数年の時を経て、現在続編『フローズン・ティアドロップ』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20110625/1308927886)が小説版として連載中。相変わらずのつじつま合わせの野暮さは感じつつも、新たな物語が展開している。思い出をどうこうしちゃうような作品にならなきゃいいがなあ。昔付き合ってたちょっといい女が、十数年後に果たしてどう変わってるか?というどこか甘い不安感を抱いているのである。

ROBOT魂 [SIDE MS] ウイングガンダムゼロ(EW版)

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