"戦え。愛のため、そして自分自身のために"『スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団』


 エドガー・ライト監督の最新作!


 スコット・ピルグリム(22歳)は、バンド「セックス・ボムオム」のベースで、高校生のナイヴスと付き合っていることに総すかんを食らい中。ある白昼、夢で紫の髪の女を見たことで、スコットは彼女に恋するように。ライブハウスで出会うことのできたその彼女……ラモーナと、ついに付き合いはじめるに成功したスコット。だが、そこに謎の男が現れて勝負を挑んでくる。ラモーナと付き合うためには、7人いる邪悪な元カレ軍団を倒さなければならなかったのだ……!


 意外にも骨太な、愛についての普遍的なストーリーであった。ただのゲームごっこ映画なんじゃないかと心配していたが、だったら町山智浩氏がこんなに押すはずはないよね、と、もっと早くに気づくべきだった。


 主人公であるスコット・ピルグリムは、高校生で中国系の少女ナイヴスと付き合っている。バンドのメンバーのキムや、今や人気バンドとなった元ナタリーことエンヴィーとも付き合った過去あり。「永遠の童貞」……いつからそんなイメージが生まれたのだろう? それらは早くも否定される。なんだよ、「リア充」じゃねえか……。
 だが、どうしようもなくダメだ。別れ方が良くなかったのだろう、キムからは常に軽蔑の眼差しが送られる。スコットの妹ステーシーを演じるのはアナ・ケンドリック……『マイレージ、マイライフ』では立派な大人だった……「高校生? 淫行よ」とこれまた軽蔑。ルームメイトでゲイのウォレス、25歳、演じるはキーラン・カルキンからも高校生と別れろと連呼。……しかし、それらをスコットは一切、無視する。薄々はその意味をわかっているのかもしれないが、目先の楽しさから逃れられない。恋に浮かれてどうってことないバンド活動にまで目を輝かせてくれるナイヴスから離れるのが惜しい。しかし、謎の女ラモーナに一目惚れしたことで、あっという間にナイヴスからは気持ちが離れる。デートしても上の空、じきにラモーナと付き合い出して、二股に突入。
 正直、この辺りはイライラとしてしようがなかった。同室のウォレスのスタンスは一貫していて、「ダメなことはダメと言う。ただし、解決はスコット自身の手に委ねる」というものだ。ナイヴスが一途であるが故に、どっちつかずの状態でいるスコットがなおさら許し難く感じるのだが、ウォレスはあくまで介入しない。彼自身、自分の恋愛関係には関わられたくないのでそのバーターということかもしれないが、それを抜きにしても大人の態度である。だから、スコットの曖昧さが余計に際立つ。
 そもそも「リア充」ってなんだ? 誰かと付き合ってれば、人数が多ければそれでいいの? それで充実してるの? いったいなにが? 秘宝読者は、柳下毅一郎氏の叶井俊太郎評を今すぐに読み返したらいいと思う。例え600人と付き合おうが、彼は何も手に入れず、成長もしなかった。序盤のスコットは、まさにそんな状態にある。


 ラモーナは、当初、ミステリアスな存在として描かれる。クールな佇まいと不思議な存在感、気紛れな性格……スコットもそれにぐっと来つつも計りかね、周囲も「あれはやめとけ」と警告を口にする。謎=危険……。付き合い出して、部屋に行って、冬の街を一緒に歩いて……。浮かれるスコットだが、元カレ軍団の襲撃が始まる。好きだし付き合ってたいけど、なんでこんな目に遭わなければならない? スコットは揺れる。そして、彼にも元カノの逆襲が降りかかる。


 ナイヴスは、ラモーナとちょうど対を為す存在だ。
 年齢、体型、身長……二人が顔を突き合わせ、並んで立つショットでその対照性が際立つ。子供と大人の対比だ。嫉妬に燃え狂うナイヴスの、ラモーナへの「デブ!」という罵倒は、「男が喜びそうな大人のセクシーさ」へのコンプレックスの裏返しの典型的な台詞(対義罵倒語は「ガキ!」「チビ!」)。
 天真爛漫で、一途で、幼く、人の気持ちがわからない姿は、物語開始当初のスコットと同じだ。応援してくれるのはいいんだが、ライブ前に失神して肝心の演奏を聴いてないあたりが、心底痛い。
 だが、大人の女を前にふられた子供、敗北者として消え去るのかと思われた彼女は、そのラモーナとの対比をキープしたまま存在感を失わず、裏のヒロインとしてキャラ立ちしていく。嫉妬に燃え、ラモーナを罵倒し、スコットにつきまとい……。


 ラモーナも単なる「夢の美女」、都合のいい理想的な存在ではないことが、その時には明らかになっている。その存在が争いを、過去から元カレ軍団という刺客を呼ぶ。
 激闘の末に彼らを退けていくスコット。それに連れてラモーナの過去が明かされていく。
 「一週間半で別れたわ」。ラモーナが元カレについて語る度に繰り返す台詞だ。喧嘩っ早く、かつては自分の気持ちを表現するのが下手だった。今もそうかもしれない。目に映るもの全てが敵だと感じていた時期があった。悪い女だった……。そんな過去が7人の元カレの存在を生み、戦いの原因となっている。
 男選びにことごとく失敗し、ろくな付き合いをしていない。気まぐれ、成り行き、好奇心……。最後の元カレ、ギデオンは真性のクズだ。


 二人の女の良い面と悪い面が矢継ぎ早に提示され、スコットはそれと対峙しなければならない。今までしてきた上っ面だけの関係を超えて、付き合うというのはこういうことだと突きつけられる。
 そして、その関係の中で、未熟すぎすべてに不誠実だったスコットはようやく変わり、ナイヴスとラモーナもまたそれに呼応するかのように成長していく。
 スコットと共に戦うナイヴスの一途さは、経験を重ね、覚めた目で世の中を見てしまうラモーナにはないものだ。ナイヴスをどこか眩しげに見つめたラモーナは決意する。この戦いを招き、多くの人を傷つけた原因は自分にある。去っていく「汚れた女」の、「ピュアな少女」を見る羨望の眼差し……。
 だが、それは間違っている。原因ではあるかもしれない。だが、決して彼女のせいではない。ナイヴスもそれに気づいているし、もちろんスコットも……。


 うーん、オレは断然ラモーナ派だな〜。影のある雰囲気とか、いいじゃないか。なに考えてるかよくわからんけど、話も演奏もちゃんと聞いてくれるし、「恋愛」にむやみに盛り上がってる感がなくて、スコット自身を見てくれる人のように思う。もちろん、その分厳しいんだけどね! でも、そういう目にさらされても人間性で勝負できるのが大人の男というものだろう。
 ナイヴスはいい子だし成長するんですけど、さすがに子供過ぎますわ……。これを恋愛対象に見ちゃうのは、犯罪というのももちろんそうなんだが、要は同年代以上の女性と対等の関係を持つ自信がないということじゃないですかね……。スコットがそういう未熟さを克服する過程をも、本作は描いているのだと思う。


 リア充とか、汚れとか、そういう「物差し」自体がほんっっっっっっっっっっっっっっっとくだらねえよっ!!と心の底から思えた一本。
 そういう意味では『ブルーバレンタイン』に匹敵する感興を起こさせた作品でもある。あの作品には、社会、家庭環境、色んな物にしばられて、それを「現実」だから「結果」だからと受け止めなければならない辛さがある。
 今作では、多くの映画ですでに語られた、ある意味ベタなものでありながら、久しぶりにそれに対する「理想」と「希望」を見られたような気がする。人は変われる。誰かを許し、認め、その代償として自分を許すことができる。完璧な男も女もいない。過ちを犯さない人間などいない。けど、認め合って愛し合うことはできる。結果は『ブルーバレンタイン』になっちまうかもしれない。でもやるんだよ!


 正直、ゲーム的な演出は、バトルが始まるまではむしろ邪魔くさく感じた。トイレのシーンが象徴的で「メーター」が出て放尿が済んだのがわかるのだが、その代わりにマイケル・セラが何の演技もしないのにはちょっとびっくりしたよ。こういう演出が為されることで、映像の意味が相対的に薄まってしまうし、世界設定にルールがあるわけでもない中では、これをやる必然性が感じられない。
 元カレ軍団との対決が始まるまでは、この演出は温存してコントラストをつけたほうが良かったんでは、とも思ったが、そうするとその時点で何か解説を入れなければならなくなるし、「こういうものなんですよ〜」と最初から押し切る選択をしたということか。
 しかしながらバトル開始後は、エフェクトなど映像の面白さのみならず、元カレそれぞれの特殊能力にバリエーションを生みバトルに変化をつけることに成功しているし、最初は見た目の面白さだけだったものが、徐々にストーリーの骨子をなしていく。
 「フラグ」なしに始まるラストバトルの、その始まった瞬間のなんとも言えない心もとなさは、ゲーム的な設定を逆手に取り、人の内面が変わることこそが重要なのだと突きつけたと言える。それを経ての「再トライ」という、現実ではあり得ない設定を生んだところに意義があるわけだ。


 そして、監督はゲームは好きだけど、大人だな……。ゲーム的な記号をちりばめながら、登場人物は決して記号としては描かない。男と女の通過儀礼と成長の物語を、丁寧に描いている。色んなものにぐっとくる、ボンクラたちへの愛に溢れた、素晴らしい映画でした。

ショーン・オブ・ザ・デッド [DVD]

ショーン・オブ・ザ・デッド [DVD]

人気ブログランキングへご協力お願いします。